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国語の問題集を解き続けても論理力が身につかない2つの理由とは?

はじめまして!
東大生&京大生の国語に特化した個別指導「ヨミサマ。」代表の神田直樹です!
高校に通わず完全独学で東京大学文科Ⅰ類に合格し法学部を卒業後、この前までMcKinsey & Companyでコンサルタントをしていました。

さて、職業柄国語力に悩む数多の小中高生を見ているのですが、ふと思ったことがあります。
それは、多くの人々は「国語の問題集を解けば国語力や論理力が身につく」と考えているのではないか?ということです。

そして、受験が近づいてきて、実際に問題集に取り組んでみたはいいものの、一向に点数は上がらず、自分自身が成長しているか分からず途方に暮れる…
そんな生徒を多く見てきた気がします。

なぜそんなことが起こってしまうのか?
国語力や論理力を身につけるため、問題集にはどう向き合うべきなのか?
今回の記事ではこの疑問に答えていこうと思います!

ライター:神田直樹(ヨミサマ。編集部編集長)
高校にも塾にも通わず、完全独学で東京大学文科Ⅰ類にトップクラスの成績で合格。
東京大学法学部を卒業後McKinsey & Companyで研鑽を積み、その後現職。

1.国語の問題集の「落とし穴」2つ

さて、皆様が、
「国語の点数を上げたい!」
「論理力を高めたい!」

と思ったときに、最初にしてみることは何でしょうか?

多くの方が、「国語の問題集を買って解いてみる」と答えると思います!

ですが、私に言わせれば、それは大きな落とし穴一歩手前の行為であります!

(※ちなみに、「読書を通じて国語力を高める」ですが、それはそれで注意点があるよーという話はこちら。)

1-1.「解説」という落とし穴

閑話休題。
では、なぜ国語の問題集は落とし穴的な勉強法なのでしょうか?

それは、「国語の問題集を解くこと」では、子どもが正しく「現在地点」を理解することが難しく、答えに至るまでの道筋を身につけにくいからです!
問題集をただ解くだけの作業は、子どもにとって最も尊いもの、「時間」を浪費しかねい行為です。

例えば、皆さまもこのような経験をしたことはないでしょうか?

中学生時代の私は、いつも国語の試験でこんな感じでした…

国語の学習において大切なことは、
「なぜ自分の答えはダメなのか?」
「どう考えたらその答えに至るのか?」

ということを把握することです。

他の科目と異なり、国語の現代文にはほとんど暗記の要素がないので、何百回と問題を解くことを繰り返すだけでは、一向に成績が上がることはありません。なぜなら、毎回読んだことがない文章が問題になるのですから。

要は、問題集などに載っている「解答」や「解説」それ自体は無価値であって、それを通じて自分の答えのどこが至らぬ部分で、どのように考えれば正解に至るのかがわからない限り、国語の問題は解けるようにならないからです。

とはいえ、国語に苦手意識がある小中高生が自力でそれを見出すことは、ほぼ不可能といっても良いのではないでしょうか?

問題集も、上記の問題を解決するつくりになっているものはほとんどありません。

例えば、先日小学6年生向けのある問題集を精査している中で、どうしても私が理解できない、「え?なんでそんな模範解答になるんだ?」というものがありました。
そこで解説を解説を見てみたところ、
「『太郎の花子に対する気持ち』は、特に最後の段落から読み取れます。」
とだけ書いてあって、膝から崩れ落ちましたね。

これを当然何百周繰り返しても、五里霧中は五里霧中のまま、本当に時間を無駄にしてしまうだけだと思います。

自分の答えの至らぬ点を適示し、正答までのプロセスを学べない限り、一向に論理力が鍛えられることはありません。


1-2.「小問」という落とし穴

さらに、国語のテストや問題集には、もう一つの問題があります。

それは、小問というシステムです。

通常、国語の試験は、1つの文章に対して、4~8個程度の小問がくっついてくると思います。

例えば、
⑴下線部①はどういうことか
⑵下線部②のようになった理由として最も適切なものを以下の選択肢より選びなさい
⑶…
みたいな感じですね。

これが、論理力を鍛えるという観点においては阻害要因になってしまっていると考えています。

「それは当たり前ではないか?」と思うかもしれませんが、あれらの小問は、国語の実力を「測る」ための存在で、国語の実力を「身につける」ために最適な形をしていない、ということを考えねばなりません。

そもそも、「論理力がある」「国語の問題を解ける」ということはどういうことかというと、
「何を伝えたい文章なのか」ということを適切に読み取り、それを構造的に分かりやすく伝達すること
にあるわけです。

それに対し、いちいち漢字とか、その他穴埋めなどの枝葉末節を訊かれていたら、「集中」という観点でも、「時間」という観点でも分散してしまう上に、一つひとつの小問を解けたか解けなかったかということに一喜一憂してしまう。

そうではなく、国語ができるようになるということの本質は、その文章の主題つまり「何が言いたいのか」を適切に理解し、構造的に伝達することにあります。

だからこそ、国語の問題を解く際、いや、文章を読む際に問いかけられることは、まずここから必ず始めるべきなのです。
「この文章は何を言いたい文章なのですか?」
と。


2.正しい問題集との向き合い方とは?

とはいえ、どういう風に論理力を身につけるべきなのか?国語を学ぶべきなのか?ということを投げかけずに去るのもフェアではないと思うので、私なりのソリューションを用意しています。

それこそが、東大生&京大生の国語に特化した個別指導「ヨミサマ。」です。
ヨミサマ。は国語力を上げることに特化した授業を展開しています。


2-1.「対話」

主な特徴は2つ。
まず1つ目は、「対話」を通じ、正確に読めている部分と、誤認がある/曖昧な部分をしっかり分けて適示した上で、どのように正当に至るかの思考を細かく共有していく点に特徴があります。

「問いかけ」を通じて、東大生&京大生の思考過程を追体験します


2-2.「一問集中主義」

2つ目の特徴は、「一問集中主義」と呼んでいるメソッドです。
我々は、問題集にでてくるような小問をすべて無視します。代わりに訊くのは、問題全体を踏まえないと答えられないような、本当に核心を突くような質問一つだけ。
いつでも、この核心への問いかけから授業はスタートします。

読解から表現の一文字に至るまで、トータルでサポートすることで、真の国語力・論理力を鍛える場がヨミサマ。です。

東大生&京大生から物事を教えてもらえる場は世の中にたくさんあります。
しかし、東大生&京大生と一つのものごとについて対等に対話や議論を行える場を提供している場がヨミサマ。です。

僕らがどのように世界を見ているか、体験してみませんか?


3.「ヨミサマ。」の体験とは?

そんなヨミサマ。も、開始半年で生徒が250名を突破しました。
そんな中で、いよいよヨミサマ。の授業を60分間無料で体験できる「無料体験」が始まりました!

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