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古典リメイク『レッド・レンズマン』9章-1

9章-1 クリス

 キムから毎週届いていた手紙と贈り物が、ふっつり途絶えた。それは、デッサ・デスプレーンズが周囲に死を振り撒いて、人類の文明圏から消え去った事件のためだった。

 キムは大勢のパトロール隊員と同様、精神に損傷を負って、最高基地の病院に収容されたという。

 デッサは精神破壊装置のようなものを持っていて、それを使って逃げおおせたらしいのだ。この世にそんな危険な装置が存在するなど、わたしは知らなかった。一般のパトロール隊員も、もちろん知らなかった。

 よりによって、キムが、そんな危険人物の秘書にされていたなんて。

 ヘインズ司令の説明では、キムはデッサの背後にいた非人類のボスコーン幹部から洗脳されそうになったらしい。激しく抵抗したため、精神に損傷を受けたらしいのだが、それ以上の詳しいことは、レンズマン秘になるので話せないという。

「また、レンズマン秘ですか!! ええ、わかりましたとも!!」

 わたしはすぐに見舞いに行こうとして、病院側から断られた。見舞いは家族に限るというのだ。

「わたしは、司令官付き補佐官ですよ!!」

 この最高基地内で、わたしの立ち入りを断る施設があるなど、認めてたまるものか。たとえそれが、個人的事情からの面会だとしても。

「わかっています。ですが、グレー・レンズマン、リック・マクドゥガルの指示なのです」

 わたしは腹を立て、宇宙のどこかにいるリックに向けて、心で呼びかけた。

《返事をしなさいよ!! キムはどうなったというの!? あなたがキムを送り込んだ責任者でしょう!?》

 レンズマンは、レンズを私用に使わないというのが原則ではあるものの、家族との連絡に関しては大目に見られている。それに昔から、リックとわたしは心が通じていた。それは、あの子がレンズをもらう前からだ。リックに何か大きな変化があれば、わたしは感じたし、その逆もしかり。

 今回、わたしが心底から怒っているのが伝わったのだろう。リックはすぐに精神接触してきた。

《姉さん、落ち着いて。キムは手柄を立てたんだ。デッサが単なる下級幹部なんかじゃなく、ボスコーン側の大物に通じる存在だったと暴いてくれた》

《だからって、逃がしたら意味ないでしょう!!》

《しかし、大物の精神特性を捉えてくれたんだ。大きな手掛かりになる。デッサが、すり替わりの手品をしていたこともわかったし》

《それで、キムはどうなるの。回復するんでしょうね》

 リックが思考をまとめる前に、彼の心に黒いもやが広がった。それは、隠蔽や絶望を意味する。これまでの経験から、わたしにはわかっていた。キムには望みがないのだ。

《キムは、非人類種族からの精神汚染を受けたんだ。ウォーゼルのような、テレパス種族だったらしい。異質な精神操作を受けて、しかも抵抗したので……心そのものが、破壊されてしまった。現代の医学では、治療のしようがない》

 リックは何か隠している……それはわかった。ただし、わたしに嘘はついていない。肝心なことでは。

《レンズを通したぼくの呼びかけでも、反応しない。それが一番、強い刺激のはずなんだが。誰が会いに行っても、もう彼にはわからないんだよ。会っても何もできない。だから、姉さんもあきらめてくれ》

 わたしは深いショックを受け、しばし黙った。リックが驚いたように、伝達してくる。

《姉さん、彼のアプローチは、ずっと無視してきたじゃないか。なのに……好きだった、というのかい》

 わたしが答えられずにいると、呆れた様子が加わった。

《ちょっとでも好意があったなら、手紙に返事くらい、してやればよかっただろう。誰が見たって、これ以上ないくらい冷たくあしらってたくせに、今さら、何の未練だい》

 そんなことじゃない。わたしの個人的感情なんか、どうでもいい。せっかくレンズマンの義務から逃れられた若者を、リックはいとも簡単に道具にした。そして、もう助からないから忘れろと、あっさり切り捨てているのだ。

 そんな冷たい世界で、あの子は……わたしに……毎日の出来事を……素直な気持ちを……書き送ってくれた。返事も出さない、わたしなんかに。

《……あんたの人でなしぶりには、もう愛想が尽きたわよ!! せめて面会くらいさせたって、何も害はないでしょう!!》

 じかに会いたい。この手で、あの子の手に触れたい。髪を撫でてやりたい。いくら詫びても、もう聞こえないとしても。

《だから、家族に限ると……》

 ふん、それが何の障害よ。

《彼のプロポーズを受けるわよ。そうしたら、婚約者でしょ。家族よね》

 リックが唖然とするのがわかった。

《そんな無茶な……》

《何よ、いまさら。男と付き合え、結婚しろと言ってたのは、あんたでしょ》

《いや、だけど……彼はもう……》

《まだ死んでいないでしょ。付き添って、手を握るくらいはできるわ。もしかしたら、目覚めるかもしれないじゃないの》

《しかし……レンズで呼びかけても、全く反応が……》

《あなたは、お義理で呼びかけただけでしょ。わたしは本気で、全身全霊で呼びかけるわよ!!》

  ***

 とうとうリックに特例を認めさせ、わたしは病院の特別棟に入ることができた。

 他にも大勢、精神を破壊されたパトロール隊員たちが入院している。軽傷で済んだ者は順次、退院していったけれど、重症のまま生命力の尽きた者は、ぽつり、ぽつりと亡くなっていく。

 精神破壊装置というのは、相当に危険な代物だ。レンズマンたちは、それを持つデッサと、背後にいるボスコーンの大物を追うのに必死らしい。

 けれど今のわたしは、そちらの心配よりも、キムが目覚めるかどうかの方が重大問題だ。

 キムはまだ若く強健なので、肉体の力で、かろうじて生き残っていた。それでも血管に栄養注入の管をつながれ、身動きもせずに病床で横たわっている。筋肉が弱らないよう、電気刺激を与えたり、動かしたりという治療は続けられているけれど、やはり、目覚めないままでは、限度がある。

 わたしは椅子を持ってきて傍らに座り、目を閉じたままの、やつれた顔に話しかけた。

「キム、わたしが来たわよ。あなたのクリスよ」

 まさか、自分が男性に、こんな呼びかけをするとは思っていなかったけれど。

「毎週、手紙をくれたわね。本当は、全部、読んでたのよ」

 それが一年、続くようなら、ちょっとは見直すつもりだったのよ。

「しっりしなさいよ。レンズマンの呪縛から解放されて、幸せになるんでしょ。こんなことで死ぬなんて、馬鹿らしいわよ。目を覚まして、楽しいことをしなさいよ。あなたの人生、これからなのよ」

 動かない手を握り、ぎゅっと力を込めた。キムからの贈り物も全て、箱に入れて私室に置いてある。

「……最初は、いつかまとめて、叩き返してやるつもりだったのよ」

 でも途中から、使いたい誘惑にかられるようになった。だって、わたしの好きな香りの香水、好きな色彩のスカーフ、趣味のいいブローチやペンダントなんだもの。人にあげるなんて、とても無理。

「ねえ、この香水、つけてきたのよ。あなたの贈り物よ。このブローチも、あなたがくれたのよ。似合うでしょ?」

 本当は、毎週の手紙を読むのが楽しみになっていた。キムは心に浮かぶまま、子供の頃の思い出や、調子に乗った時の失敗談、訓練生時代の苦労のあれこれなどを書いてくれていた。それを読んでいるうち、わたしも、キムの故郷の町と、そこで育った少年を、心に思い浮かべられるようになっていた。

 これっぽっちも悪気のない、健全な男の子。

 わたしなんかには、勿体ないくらい。

 どうか目を開けて。わたしを見て。ううん、わたしでなくてもいいから、誰か女の子を好きになって、幸せになって。

 何の刺激が効くかわからないと思い、香りの強い花を室内に置いたり、色々な音楽を流したり、力のない手の指を折り曲げてみたり、思いつく限りのことを試した。

 このまま放っておいても回復する希望はないので、病院側も、わたしの工夫を認めてくれる。

「点滴を抜くとか、患者を大きく動かすとか、危険なことさえしなければ、刺激を与えてくれて構いませんよ」

 わたしは本格的な休暇をとり、しばらくキムに付き添うことにした。ヘインズ司令に無理に取らされた休暇の他にもまだ、休暇の権利は溜まっているのだ。

 これから毎日、朝から晩までキムに付き添って、話しかけ、手を握り、脚をさすってやる。

 ボスコーンの大物を追うのは、レンズマンたちがすればいいのよ。

 ……それにしても、デッサ・デスプレーンズは、精神破壊装置なんて途方もないもの、なぜ預けられたのか。彼女の背後にいた未知の非人類種族というのは、ボスコーンの真の中枢なのか。

 並みのレンズマンでは、破壊装置による攻撃を防御しきれないという。その攻撃は、思考波スクリーンさえ突破するというのだ。今度は、その攻撃を防ぐための新型スクリーンや新型艦を建造するというけれど。そうしたら敵は、それ以上の装置をまた造るのでしょうね。

 リックも危ないわ。あの子、デッサの居所を突き止めたら、真っ先に突っ込んでいきそう。あの子まで、キムのようになったりしたら、どうすればいいの。

 ああ、わたしがもしレンズマンだったら……だけど、女にはその可能性がない。

 キムの手や腕をさすりながら、とりとめもなく考えた。

 デッサとは、幾度か、大きな式典やパーティで顔を合わせたことがある。華やかな美女で、有能な実業家で、とびきり危険な女であるのはわかっていた。でも、まさか、これほどの危険人物だったとは。

 キムみたいな若者には、無理な任務だったのよ。デッサに張りついて、何か突き止めようだなんて。大物と通じているとわかった途端、このありさまじゃないの。

 それにしても……こんな風に、精神を破壊するなんて……銀河文明は、ほとんどの種族を仲間に入れているはずだ。まだ発見されていない種族で、人類の科学力を超えるほどの種族がいたのだろうか……

 いえ、違う。科学力が高いからこそ、発見できないのだとしたら。彼らは用心深く、隠れているのだ。面倒な後進種族と接触することを嫌って。

 でも、それなら、なぜデッサにそんな武器を与えたり、ボスコーンの後ろ盾になったりするのだろう。銀河を支配したいのなら、その精神力と科学力で、真っ向からパトロール隊に勝負を挑んできてもよさそうなものだ。

 何か、それができない事情がある……?

 レンズマン秘……

 普通人には知らされず、レンズマンだけが共有する秘密が、色々とあるのだ。レンズマンならば、もっと詳しい事情を知っているのだろう……

 でも、普通人には黙ったまま、自分たちだけが重大事を抱えているなんて? この銀河の行く末を左右するようなことでも、自分たちだけの考えで決めるというの!?

 ***

「クリス、あまり根を詰めないで下さいな。わたしが代わりますから、少し外を歩いていらしたら?」

 病院にはキムの母親エレーナも来ていて、病室で出会うことができた。穏やかな風貌の、理知的な中年女性だ。年齢からいうと、わたしより一回り年上なだけ。

 わたしたちは一目で互いを理解し(どちらも、レンズマンの家族だからだ!!)、すぐにクリス、エレーナと呼び合う仲になれた。わたしが勝手にキムの婚約者を名乗ったことも、笑って認めてくれた。そうでなかったら、こうして毎日付き添うなんて、不可能だった!!

「ええ、ありがとう。それじゃ、ちょっと出てきますから……夕食は、二人で外のレストランに行きませんか?」

「ええ、いいわね。ちょうど、気になっていたレストランがあるの」

 時間を調整して、昼間はどちらかがキムに付き添う。夜は、付き添い用の別棟の客室で眠る。気晴らしに、外の店で食事をしたり、花を買ったりする。

 長期戦の構えだった。こういう生活が、何か月続くか、わからないのだ。半年か、一年かもしれない。それも、いつか目覚めるとしての話。郷里で教師をしているエレーナは、やはり長期休暇を取ってここに来ている。

 昏々と眠り続けたまま、ぴくりとも動かないキムを前にして、わたしたちは幾度も語り合った。わたしの両親の話、彼女の夫の話。そして、キムのこと。

「息子から、聞いてはいたんですよ……クリスさんに、求婚しているって。でも、まるっきり相手にされていないと、笑っていました。まさか、あなたのような忙しい方が、こうやって付き添って下さるなんて」

 レンズマンの妻だっただけあって、エレーナは気丈な人だった。しばしば、泣き腫らした目をしてはいたけれど、努力してわたしに微笑んでくれる。わたしも精一杯、笑い返した。

「わたしみたいな、きつい女に求婚してくれる男性なんて、うんと貴重なんですよ。もっとしつこく、何年でも口説いてくれるだろうと、楽しみにしていたのに……これじゃ、わたしが納得いきません」

 最初にキムにプロポーズされた時、何も、あんなに怒ることはなかったのに。デートくらい、してあげてもよかったのに。わたしは馬鹿だ。失ってから初めて、捧げられたものの貴重さに気がつくなんて。

 エレーナは、夫のたまの帰宅を待ちながら、学校の教師を続けて息子を育てたそうだ。

「子供たちの相手をしている間は、無我夢中になれますから。何もしていなかったら、寂しさでおかしくなっていたでしょう。あなたのように、高度な仕事ではありませんが……」

「とんでもない。子供を育てる以上に、立派な仕事はありません。わたしなんか、基地のがみがみ屋だというだけですから」

 こんな状況でも、会えて話せたのはよかった。エレーナが客室に引き上げた後も、わたしは病室に残って、横たわる青年にあれこれ話しかける。

「もうちょっとうまく、やれなかったのかしらね。あなたもリックも、デッサが危険だとわかっていたんでしょう。まったく、超優秀な男たちが何人も揃っていて、デッサを取り逃がすなんて……しかも、こんなに被害者を出して。女だからって、甘く見たのが悪いのよ」

 わかっている。ボスコーンの中枢に近い、異星種族が背後にいるとは、誰も予想していなかったのだ。リックの狙いは正しかったが、レンズマンでもないキムには、太刀打ちできない相手だった。

「精一杯、抵抗して、ずたずたにされてしまったのね……」

 出会った時は艶やかに張りきっていた頬が、すっかりこけてしまっている。皮膚の色も青白く、生気がない。

 医師団も無論、電気刺激や化学療法など、あらゆる手段を試していた。けれど、もう目覚める見込みはないと判断されて、最低限の生命維持だけに落ち着いている。

『ご家族が付き添って話しかけるのは、構いませんよ。反応はなくても、聞こえているかもしれません』

 と言い渡されていた。明らかに、聞こえてはいない、何をしても無駄と、医師たちの態度が示していたけれど。

 数日前には、軍医総監のレーシー先生もやってきて、恐ろしいことを言っていた。

『いよいよとなったら、片手か片足を、麻酔なしで切断してみよう。肉体が危機に陥れば、精神が覚醒するかもしれん。それで目を覚ましたら、儲けものだ。なに、手足なんて、後でつなげばいいんだから』

 おかげでエレーナは脳貧血を起こし、ふらふらと倒れかかった。わたしは彼女を支えて座らせながら、歴戦の医師に怒鳴り返した。

『何てことを言うんですか!! 他に、まともな治療は考えつかないの!! そんなこと、最後の最後の最後でないと認めません!!』

 そして、彼を廊下へ追い払った。この病院は彼の領土かもしれないけれど、キムの病室だけは、わたしが死守しなくては。

 でも、キムは眠りながら、どんどんやつれていくようだ。栄養は送り込んでいるとしても、脳の機能がここまで低下していては……あと何週間、生命力が続くだろう?

   『レッド・レンズマン』9章-2に続く

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