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恋愛SF小説『ミッドナイト・ブルー ハニー編』7

ハニー編7 27章 ハニー


わたしはこれまで、考えたこともなかった。大組織の内情など。

わたしが知っているのはマックスが育てた新興組織や、自分で管理する《ヴィーナス・タウン》くらいのもの。シヴァにしても、自分が生まれた組織や、後から乗っ取った小組織のことしか知らない。

「そんなことまで、気を回す余裕はなかったな。自分の仕事だけで、手一杯だった」

と彼は言う。けれど、今回はショーティが……彼の操る有機体アンドロイドが案内役になり、わたしたちを、ある地球型惑星に導いた。

六大組織の一つ《エンプレス・グループ》が勢力圏としている星系内だから、警備は堅い。青い海と緑の大陸。雪を頂く山脈。密林を流れる大河。あちこちに散らばる都市。

自転時間は二十四時間に近く、潮の満ち引きを引き起こす、大型の衛星まで揃っている。理想的な植民惑星だ。

「辺境の人口の大部分は、こういう惑星上にいるのだよ。大組織はそれぞれ、何百もの地球型惑星を所有しているからね」

男性型アンドロイドの口を借りて、ショーティが言う。辺境と言えば小惑星都市、と中央では思われているけれど、それは、あえて流布された虚像だというのだ。

「惑星改造をする時間はあったし、必要な技術もあった。人は惑星上で進化したから、やはり惑星が好きなのだよ」

わたしたちが最初に訪問したのは《アレクサンドリア》と呼ばれる惑星で、一億人近い住民がいるという。全員が《エンプレス・グループ》のメンバーであり、半分ほどが基礎科学や応用技術の研究にたずさわっている。

残り半分は、生活を支えるための仕事を分担しているという。教育、娯楽、農業や漁業、日用品の生産、流通、都市のインフラの維持管理、新たな施設の建設。

組織内で培養されたバイオロイドは七割ほど、あとは本物の人間で、彼らが交際を求めるための社交の場はあっても、拘束された奴隷がいる娼館は、ごく少ないという。

「それで、やっていけるの?」

「ここでは、男女比が半々に近い。むしろ、女性がやや多いかな。だから、男たちが普通に交際相手を見つけられる。相手を見つけられず、個人的な奴隷を持ったり、娼館に通ったりするような者は、まあ、肩身が狭いだろうね。元々、知識階級が多いから、体裁は重要なのだ」

それでは、疲弊して使い捨てられるバイオロイドは、ごくわずかと思っていいのだろうか。

それにしても、当人たちの地獄を、いつまでも無視することはできない。リュクスたちの言う革命は、いつ大組織にも押し寄せるのだろう?

「娼館に拘束されて〝年季〟が明けたバイオロイドは、殺されるのではなく、治療や再教育を受けて、組織の最下層に加えられる。あとは、そこから昇進していけば、人間と変わらない暮らしを手に入れられる。そうやって、バイオロイド比率は七割まで増えてきた」

「人間たちは、みんな、市民社会からの脱走者?」

「初期の頃はそうだった。しかし、今では、ここで生まれ育った者も多い。市民社会のような結婚形式を選ぶ者は少ないが、好きな時期に好きな相手と子供を作ったり、あるいは、人工遺伝子を利用したりしてね。人間の誕生は歓迎されるから、子育てに問題はない」

大組織では、本物の人間が三割程度いるらしい。中小組織の多い違法都市では、一割しかいないのが普通だ。それだけ、人的資源が豊富なはずなのに、停滞しているとは?

「違法都市よりは、はるかに人道的なのね?」

わたしが確認すると、ショーティが答える。

「そう言っていいだろう。そもそも大組織には、心が病んだ者はほとんどいないからね。バイオロイドを虐待したりしたら、まず、その人物が治療されてしまうだろう。イメージとしては、惑星全体が一つの大学町のようなものだ」

わたしたちは、上空をゆったりと飛ぶ飛行船の中から、陸地の様子を見ていった。平野に点在する研究施設、その周辺の住宅地、子供たちのための学校。必要な物資を生産する工場と、豊かな農地。牛や馬のいる牧場は、子供たちのキャンプ場にもなるという。

まるきり、中央の市民社会と変わらなかった。ただ、法律の代わりに組織の規律があるだけ。

組織の運営に協力すること。

上級者の命令に従うこと。

能力と意欲によって決まる階級が、このシンプルな仕組みを成立させていた。その階級に許される行動の範囲内で暮らしていれば、何の心配もない。恋愛も、子育ても、不老処置の更新もできる。

彼らはもう何百年も、安全の保証された土地にいるのだ。たまさか、他の星や他の拠点への異動を命じられることはあるけれど、そこでも安全は変わらない。

わたしとシヴァは地上に降りては研究施設を幾つも見学し、街の様子も実際に歩いて確かめた。

緑の豊かな公園、テラスでのんびりできる洒落たレストラン、品物で溢れる商店、様々な娯楽施設。

通りに面したカフェでお茶を飲み、行き交う人々を眺めた。学校帰りの子供たちが、グループで通りを走っていく。鬼ごっこをしては、歩いている大人にぶつかり、謝って許され、また懲りずに駆けていく。笑いさざめきながら。

まるっきり、当たり前の社会。

人々はそれぞれ好きな相手と暮らしたり、別れたりして、好きな時期に子供を作るという。

子供たちは学校で学んで、友達を作り、やがて組織の一員として、階級のどこかに組み込まれる。

たまには、他の組織に移る者もいる。交際相手が、そちらの組織にいるという理由で。

市民社会よりも平和だった。ここには、違法組織の魔手というものは伸びてこないからだ。

強力な違法組織の中にいれば、他の組織からは守られる。組織内での秩序もまた、厳格に守られる。組織に逆らう者は、洗脳されても抹殺されても文句を言えないから。

つまり、何の〝犯罪〟も起こらない。精々、酔っぱらって喧嘩したとか、上司の悪口を言ったとか、三角関係でもめたとか、その程度。

人々は総じて、中央の市民よりものんびりして、善良そうだった。勤務時間を終えれば、街を歩いたり、テラス席で食事したり、友達と遊んだり。

闘争心がない。

覇気が感じられない。

それぞれに仕事上の目標はあるものの、それが達成できなくても、別に処刑されることはない。ただ昇進できない、あるいは降格させられる、というだけのことになる。降格されて不満を持つ者なら、最初から、もっと努力するだろう。

ショーティが解説してくれた。

「これが問題なのだよ。大組織ほど、停滞がひどい」

まさか、それが辺境の大問題だったなんて。

「組織内がぬるま湯になっているから、競争心が薄れてしまう。不老処置を繰り返して肉体は若いが、精神は老成するからね。だから幹部たちは、市民社会で目についた者を勧誘したり、中小組織の若者をスカウトしたりするのだ」

外部の清新な人材を入れることで、かろうじて現状維持できているのだという。

「だが、その効果は限定的だ。最初は野心的な者も、安楽な暮らしが半世紀も続けば、弛緩していく。不老処置を続けていれば、半永久的に安泰だからね。焦る気持ちや、必死な気持ちは薄れていくんだ。それはそれで幸せなことだが、他組織との競合となれば、じり貧になっていく」

たくさんの人員がいても、恵まれた研究環境でも、目を見張るような成果は、あまり出てこないという。

むしろ、新しいアイディアは、生存な必死な弱小組織の中でこそ、多く芽生えるのだと。

「大組織ってのは、ハリボテみたいなものだったのか」

とシヴァも呆れていた。安楽な暮らしに慣れた者たちは、猥雑な違法都市への赴任も厭がるらしい。組織が安全を保障しても、神経がすり減るからと、精々、数年しか居着かないという。

「じゃあ、規律を厳しくしたらどうなるんだ」

「すると、他の者の足を引っ張り、陥れるような出世競争が始まり、油断できない世界になるだろうね。それでは長期間、安定した運営はできないだろう」

人間性そのものが、人間の限界を決めるのだろうか。

「どんな恐ろしい連中の集まりかと思っていたが、とんでもない。ぬるま湯に浸かって、平和惚けした連中だったんだな」

とシヴァ。

わたしも驚いたけれど、人の本性を考えてみれば、そういうものなのかもしれない。

危険を承知で市民社会を捨て、辺境の宇宙に出てきた野心的な人々でも、いったん大きな組織に所属して、守られる身分になってしまうと、切迫感が消えてしまい、平穏無事だけを願うようになってしまう。

「それじゃ、違法都市が危険で猥雑な状況に置かれているのは、わざとなのね」

あちこちで狙撃事件や爆破事件があったり、スパイ行為や裏切り行為が繰り返されるのは、そうでなければ、人々の緊張がゆるんでしまうから。

「その通りだよ。違法都市の住民の大半は、中央から出てきて間もない若いチンピラ男だが、彼らにはエネルギーがある。くだらないこともしでかすが、たまには斬新な真似もする。大組織は、そういう新鮮な部分を選んで吸い上げているのだよ」

とショーティ。弱まった炎に、新しい燃料を投じるようなもの、らしい。

「でも、違法都市に女が増えると、お行儀がよくなって、落ち着きすぎてしまうというのね」

女は男より冷静で、先を読む。無駄ないさかいを嫌い、協力を好む。

「いずれは、そうなるのも仕方ない。少しずつだが、女性の比率は増えつつある。きみの《ヴィーナス・タウン》の影響でね。だが、当面は現状維持というのが、最高幹部会の方針だ」

納得できた。辺境の大部分は、市民社会を超えた平和社会になっていたのだ。

わずかに、小惑星内部の違法都市だけが、無法を売り物にして維持されているだけ。そうすれば、そこに野心家が集まり、互いに刺激しあう。

実態を知ってしまったことで、わたしやシヴァの感じ方も変わってくるのかもしれない。それはつまり、わたしたちが辺境の新来者ではなくなり……中枢に近づいたということなのだろう。

それならそれで、新しい展開を模索すればよい。

わたしはずっと、一つの考えを温めていた。そして、それが十分に固まってから、初めてショーティに相談した。《アレクサンドリア》への旅から帰還して、少し過ぎた頃のこと。

「ねえ、シヴァの細胞を使って、子供を作ることができるかしら?」

    ***

シヴァの元秘書、リナが面会に来たのは、五年くらい前のことだろうか。

彼女はシヴァに内緒で、シヴァの遺伝子を使った子供を育てていた。その子たちが〝リリス〟の影響を受け、シヴァの郷里の一族に取り込まれてしまったと、泣いて訴えにきたのだった。

あの頃、わたしはまだ《ヴィーナス・タウン》の拡大で手一杯だった。だから、シヴァにすがりつく女性の存在がショックではあったし、勝手に子供を作ったことに呆れもしたけれど、じきに忘れてしまった。

それ以前にも、シヴァの子供を宿した女性はいたのだ。胎児は育たず、死んでしまったと聞いているけれど。

これからも、彼に惚れ込む女性は絶えないだろう。それでも、シヴァがわたしの元にいてくれる限り、問題はない。

わたしには、事業が何より優先だった。店と、そこで生きる女たちが、わたしの子供のようなもの。

けれど、《ヴィーナス・タウン》がほぼ安定し、辺境でも影響力の大きな存在になった今ならば、少しは私生活に時間を割いてもいいのではないだろうか。

事業はもう、部下たちが伸ばしていける。わたしの関与は、今より少なくても大丈夫。

シヴァの形質を受け継ぐ子供たちなら、きっと、どんな世界でも、たくましく生き延びてくれるだろう。

最初、シヴァは抵抗した。

「冗談じゃない。俺のクローン体なんか、危険すぎる」

自分そっくりの男の子など、手に負えない暴れん坊になってしまい、周囲に大変な迷惑を及ぼすに違いないと言う。自分の子供時代を顧みて、冷や汗が出るというのだ。

「でも、アスマンはちゃんと成人したでしょう?」

「それは、紅泉こうせんが叩き直してくれたからだ……」

「わたしたちの子供は、わたしたちが躾ければいいわ」

それに、男の子でなくてもいいのだ。

「あなたの遺伝子に少しだけ手を加えて、女の子にしたら?」

シヴァは戸惑い、考え、首を振る。

「それをしたら、〝リリス〟みたいな、はた迷惑な女闘士になるぞ」

「それって、とても素敵じゃない?」

わたしたちの娘が、将来〝リリス〟のような正義の味方になってくれたら、どんなに誇らしく、頼もしいことか。

もちろん、戦う本人にとっては、辛い道かもしれないけれど。

何も、大きな無理をしなくていい。できる範囲の、ささやかな正義を実現してくれたら。

「いや、あいつはただ暴れるのが好きで、正義を言い訳にしてるみたいなもんだ」

とシヴァは言うけれど、そういう従姉妹のために、彼は何年も裏方を務めてきたのだから。

「あなたの遺伝子を活かさないのは、勿体ないわ。せっかく、素晴らしい強化体なんだもの。でも、もし技術的に可能なら、わたしの遺伝子も、ちょっぴり加えて設計してもらえると嬉しいわ。ショーティは、何とかなるだろうって言うし」

既に、リナはそれを実現させたではないか。

しばらく考えさせてくれ、とシヴァは答えた。わたしは彼を急かさず、待つことにした。

子供を持つということは、重大な決断だ。人類社会にどんな未来が待っているのか、誰にも予測できないのだから。

これから先、人類そのものが、大きく変貌するのかもしれない。

ただの肉体強化や不老処置ではなく、人間の形を捨ててしまうような進化までは、わたしにも想像がつかない。

それが当たり前の未来が来てしまったら、わたしの子供たちはどうなるのか。

人間であることを捨て、人間らしい喜怒哀楽も捨て、わたしたちには理解できない怪物になってしまうのか。それとも、人類を庇護してくれる神になるのか。

いえ、そんなことは、悩んでも仕方がないこと。子供たちが成人するまでが、親の責任。

それくらいの歳月なら、シヴァと二人、何とか持ちこたえることができるのではないか。その先は、子供たちがどうなろうと、わたしたちとは別の人生なのだから。

やがて、シヴァがわたしに答えを持ってきた。

週に二日は休日にすると決めてあるのだが、その休日の朝、アンドロイド侍女が朝食の皿を片付けた頃、彼はわたしにこう切り出した。

「子供の件だが、一つ、条件がある。きみがその条件を呑んでくれたら、協力する」

意外に思った。断られるか承諾か、回答は片方だけだと思っていたので。シヴァが改まって、わたしに要求することがあるなんて、初めてではないかしら。

「どうぞ、言ってみてちょうだい」

少しは怖かったけれど、彼が望むことなら、呑むしかない。

すると、シヴァは深刻な顔をして言う。

「自分が親になることを考えてみて、初めて、わかった気がする。俺はずっと、周りに守られていたんだと思う。自分の一族にだ」

ああ、今ようやく、それを納得したの?

「自分では勝手に不貞腐れて、家出までしたが、それでも、その年齢までは、ちゃんと守られていた……良質な教育を受けたし、色々と鍛えられた。別の言葉で言えば、愛されていたんだと思う」

よかった。シヴァが自分の一族のことを、きちんと思い直してくれて。もちろん、愛されていたから、シヴァはまっとうに育ったのだ。シヴァだってずっと、従姉妹たちを愛してきたのだから。

「それで、思った。きみの親も……きっと、きみを心配し続けている。今、この瞬間にも、ずっとだ」

あ。

それは。

「きみには親も、祖父母も、妹たちもいるだろう。だから、故郷に連絡して、生きていると、それだけ知らせてやってくれ」

わたしの方が、痛いところを突かれた。家族のことは忘れようと思い、マックスに振り回されている間も、シヴァと出会ってからも、ずっと記憶の底に沈めてきたのに。

わかっている。愛されていたことは。

ただ、わたしが臆病だっただけ。

顔が醜いことで悩んでいる、惨めな思いをしている、それを人に言えなかった。つまらないプライドのために。

相談すれば、母も、祖母や叔母たちも、親身になって助けてくれただろうに。

劣等感で凝り固まり、人に心を閉ざしていたから、マックスのような、やはり凍った男にしか、手を差し伸べてもらえなかったのだ。

整形して、美しさに慣れた今では、たいした悩みではなかったと、ようやく思えるようになっている。

でも、そのおかげで辺境に出られた。幸せな娘でいたら、シヴァと出会うことは決してなかった。何が幸いするか、わからない。

「今のきみがどこにいて何をしているか、それは教えなくていい。きみの家族が、危険にさらされると困る」

「ええ、そうね……」

今のわたしは〝連合〟の庇護下にあるけれど、どこでどう陥れられるか、誰に逆恨みされるか、わからない。

「だが、生きて、無事でいることだけは、伝えられるはずだ。ショーティが、出所をたどられないように、メッセージを届けてくれる」

わたしは手を伸ばして、シヴァの胴体にしがみついた。

「ありがとう。そうするわ。生きて、幸せでいるからと伝えます」

それで、家族の心配がすっかりなくなるわけではないけれど。生死すら不明のまま、皆に重い苦しみを抱えさせたままではいけなかった。

「でも、シヴァ、あなたは?」

自分の気持ちが定まると、わたしは彼を見上げて尋ねた。

「あなたの一族には、ずっと連絡を取っていないままなんでしょう。それはどうするの?」

彼は顔を歪めた。まだ悩んでいる。

「俺は……だめだ。戻れない」

彼の一族は〝連合〟には所属していない。ただし、敵対もしていないと聞いている。

辺境での家族関係は、市民社会のそれとは違うかもしれないけれど、もしも将来、わたしたちの子供たちが苦難に陥った時には、彼の一族が助けてくれる可能性があるのでは?

「戻りたくない、という意味なの?」

「いや……」

シヴァは言葉を探して、しばらく悩んでいた。ようやく、絞り出すように言う。

「戻る資格がないんだ。俺には……」

「でも、一族は、あなたを愛してくれたんでしょう?」

「子供の頃は。だが、自分の愚かさで……居られなくなった」

彼がなぜ十代の終わりに家出したのか、ショーティからは聞いている。ずっと従姉妹に片思いしていたけれど、それが報われなかったからだと。

でも、この様子では……

「あなたが、故郷の誰かを傷つけたの?」

シヴァは鉄槌でも受けたかのようにこわばり、しばらく凍っていた後、席から立ち上がった。

「すまない。まだ話せない」

でも、たとえ何を聞いても、わたしは大きく揺らぐことはないと思う。彼はたぶん、そのことでずっと苦しんできた。人は、心から悔やめば、それで許されるはずだと思うから。

だって、罪を犯したことのない人など、いないはず。みんないつかどこかで、誰かを傷つけている。

そして、傷は必ずしも悪いものではない。それが、生きる力になることもあるのだから。

「いつか、あなたの従姉妹たちに会ってみたいわ」

そう言うと、立ち去りかけていた背中が、いったん止まった。それから、何も言わないままで部屋を出ていった。

ハニー編7 28章 カーラ

ハニーが、シヴァの子供を育てるつもりだと言った時……十年越しの付き合いのルーンは、すぐに喜色を浮かべた。

「素敵ですわ。おめでとうございます。もちろん、子育てを手伝わせて下さいね」

わたしは少し遅れた。

「おめでとう、ございます」

ルーンがあれこれ祝意を述べ、弾んだ様子で先に去っていくのを見送りながら、心の中では、

(潮時か)

と思っていた。ずいぶんと長居してしまったが、独立しよう。一人になって、先を考えよう。新しい場所に行けば、新しい考えが浮かぶかもしれない。

「あの……間が悪いかもしれませんが……」

わたしが《ヴィーナス・タウン》の職を離れたいと告げると、ハニーはあまり驚かず、ただ、いたわるような顔をした。

「薄々、感じてはいたの。あなたは、どこか遠くに行きたいんじゃないかって」

そうか。日々の仕事をこなしてはいても、そこに魂が入っていないことは、知られていたか。

「ここは、いい組織ですよ。ここにいられて嬉しかった。感謝しています。でも、何か足りない……足りないと感じている。それを捜しに行きたいんです。自分が何を求めているのか、自分でもわからないけれど」

「止めないわ」

ハニーはにっこりした。今では、組織の陣容も厚い。わたしが抜けても支障はないと、お互い承知している。

「でも、わたしの側近としてのあなたの席は、置いておくわ。何十年でも、何百年でも、ずっとね。気が向いたら、いつでも帰ってきて。お茶を飲みに、ちょっと立ち寄るだけでもいいのよ。どこへ行っても、ここがあなたの〝帰れる場所〟だと思って。あなたはもう、わたしたちの家族なんだから」

たとえハニーに殴られたとしても、これ以上の衝撃はなかっただろう。家族だって!?

わたしはしばらく、茫然として立ち尽くした。

確かにここは、結束の堅い組織ではあるが……所属する女たちにとっては、ほとんど天国のような場所だ……ハニーにとっての家族とは、シヴァと、これからシヴァと作る子供たちのことではないのか。あるいは、そこにショーティも入るとしても。

何という皮肉。もしハニーがわたしの正体を知ったら、家族扱いどころか、悲鳴をあげてシヴァを呼び立てるだろうに。

「わたしね、ずっと観察していたの。あなた、シヴァを見続けてきたでしょう。わたし、何も言わなかったけど。だって、シヴァを譲るつもりは全然ないからよ」

は? 譲る?

「ごめんなさいね。彼を独り占めしていて。あの人だけは、誰にも渡せないわ。わたし、シヴァがいないと、生きていけないんだもの」

おい。待て。

激しい誤解があるぞ。

この自分には、もはや恋愛感情などというものはない。男も女も、その内情がわかってしまっているからだ。誰かに憧れるなどと、もはや有り得ない。

まして、シヴァだと。あんな単細胞。

「何か、誤解が……」

こわばる笑顔で言いかけたわたしを、ハニーは優しく遮った。

「いいの、言わないで。それより、餞別に、欲しい船を持っていってちょうだい。連れて行きたいスタッフがいたら、誘って構わないし。わたし、あなたが何かを見つけて、報告に戻ってきてくれるのを待つわ。ここで、子供を育てながらね」

シヴァも、わたしを引き止めなかった。

「俺の目の届く範囲で監視できた方がよかったが、どうせ、ショーティが追尾するだろうからな。どこへでも行け。ハニーが何か言ったとしても、別に、帰ってこなくていいからな」

彼らしい、さっぱりした挨拶だった。

そうして、わたしは《アヴァロン》を離れた。ハニーが気前よく託してくれた中規模艦隊で。

組織に十年もいると、部下も増え、外部の知り合いも多くなる。ついてきたいと言った者たちもいたが、しばらく待つようにと話して、置いてきた。もし助っ人が必要と思ったら、連絡するからと。

マックス本体に戻り、彼に吸収されるつもりはない。まだ人間として、このカーラの肉体で、何かをしてみたい。あちこち放浪してみれば、きっと、何かにぶつかるだろう。

(生きる目的……何か、自分のしたいこと)

子供の頃は、ただ、居場所が欲しかった。それは、自分を待ち望んでくれる誰かのことだったと思う。冷たかった母親とは違う、優しい女。

しかし、今は、たぶん何年でも自分一人で居られる……と思う。

一人でいても、以前のような焦りや、惨めさがないからだ。

多少、寂しいと感じることはあっても、そういう自分を認めてしまえば、別に惨めではない。

もし、寂しくて辛いと思うようなら、戻れる場所がある。それはハニーが、カーラの正体を知らないからだが。

シヴァは、それをハニーに告げずにいてくれた。だから、戻れる可能性がある。

「武士の情けか」

一人でつぶやいて、一人で笑った。宇宙での一人暮らしは、どうやら、独り言が多くなりそうだ。

ハニー編7 29章 シヴァ

怖い。たまらなく怖い。

真実を知られ、ハニーに軽蔑されることが。

娘と息子がすくすく育っていることは、担保にならない。ハニーはかつて、マックスに見切りをつけたではないか。俺だって、

『もう、あなたとは暮らせないわ』

とハニーに宣告され、《ヴィーナス・タウン》から追放されるかもしれない。

あるいは紅泉が、《ティルス》か姉妹都市で俺を見るなり、

『よくもおめおめ、戻ってきたわね。ぶった斬るから、首を出しなさい』

と言うかもしれない。人はいつか、自分のしでかしたことに復讐されるのだ。

自分が一族の本拠地に帰り、探春と向き合うことを想像すると、寒気がする。ハニーのように、ただ家出してきたのとは違う。俺は、自分の居場所を自分で台無しにして、それに耐えきれず、逃げ出したのだ。

探春は永遠に、俺を許さない。

たとえば、俺がマックスを絶対に信用しないのと同じだ。超越体になったからといって、慈悲深くなったとは限らない。

ここから旅立っていったカーラの方は……図々しさに磨きがかかった。盛大な送別会で送り出されたのだから、二度と戻らないだろうと思っていたのに、平気な顔でふらっと立ち寄っては、子供たちをあやしたり、ちょっとしたハニーの頼みを引き受けたりしている。

まあ、すぐにどこかへ出ていくから、勝手に何かを進めているのだろうが。

あの頃、一族の大人たちは、事件のことを隠そうとしていたから、紅泉は俺のしたことを知らなかったようだが、今ではもう知っていて、俺を見たら報復してやろうと考えているかもしれない。

『よくも、探春にそんなことを。おかげで、どうしようもない男嫌いになってしまったじゃないの』

これまで何千人、何万人と殺してきた〝正義の味方〟なのだから、相手が従兄弟の俺でも、容赦しないのでは。

だめだ。故郷に戻るなんてことは、とてもできない。

ハニーにだけ家族への連絡を要求しておいて、自分は出来ないというのは情けないが、仕方ない。

俺のしたことは……女には、絶対に許せないことだろう。いくらガキの頃の話とはいえ……限度を超えている。もしも子供たちに知られたら、俺は父親失格と言われ、二度と会ってももらえないのではないか。

ショーティは俺の悩みを知っているが、何も言わない。俺が解決すべき問題だと思っているのだろう。

それとも、自分がいれば、俺はいなくても、ハニーと子供たちは問題なく暮らしていけるということか。

――受精卵は、ショーティが製作してくれた。ハニーと相談して、まずは、育てやすいと言われる女の子を誕生させたのだ。

「偶然にできる子供と違って、親がデザインする子供というのは、難しいわね」

遺伝子設計の段階で、ハニーはあれこれ悩んでいたが、俺は欲張らなかった。肉体的な強さは、重要ではない。普通に健康なら、それでいいのだ。

知能が高すぎるのも不幸かもしれないので、情緒の安定した、バランスのいい強化体であるように注文しただけだ。

ショーティは、俺とハニーの遺伝子をうまく折り合わせ、調整してくれた。おかげで二人とも、賢く元気に育っている。

それはリザードやリナを通じて、リナの子供たちに伝わっているかもしれない。二人がどんな感想を持つかは、予測がつかない。

俺はまだアスマンと梨莉花りりかに会ったこともないし、これからも会わないかもしれない。彼らが、この子たちを妹や弟と認識するかどうかも、わからない。それは、彼らの考えで決めることだ。

俺は自分がハニーとの間に子供を持った幸運が、まだ信じられないくらいだが……リアンヌとの間にできた子供は、紅泉たちが手を尽くしてくれても、助からなかった……それはもう、昔のことだ。

ハニーはすっかり頼もしい母親になって、仕事と子育てを両立している。

「ママ、ご本読んで」

「ママ、綺麗なお花でしょう。ママにあげる」

「ママはチョコとナッツ、どっちが好き?」

子供たちには乳母も家庭教師も付いているが、隙を見てはハニーの執務室に走り込み、忙しい母親の注意を惹こうと努力している。ハニーも可能な限り、子供たちの相手を務めてくれる。

「一冊だけ、読んであげるわ。そうしたらパパと、お昼寝するのよ」

ママに未練たっぷりの子供たちを抱え上げ、子供部屋へ連れ帰るのは、俺の職務だ。

「さあ、もう一冊、絵本を読んでやるから、ここにおいで」

今ではだいぶ、子供の扱いに慣れたと思う。トイレも風呂も歯磨きも、手早く確実に世話できる。ぎゃあぎゃあ泣かれても、けぼげぼ吐かれても、慌てることはなくなった。

ショーティも、子供たちを背中に乗せて廊下を走ったり、鬼ごっこや隠れんぼの仲間になったりしてくれる。

上の娘はハニーの母方の祖母の名を取ってペネロペ、下の息子はハニーの父方の祖父の名からリュウと名付けた。

ペネロペは俺の面影がある黒髪、黒い目の娘で、リュウは母親似の、淡い髪と灰色の目の子供だ。

俺の娘なんて、どんな大女になるのか不安だったが、五歳になったペネロペは、ほっそりした妖精のようだ。背は高くなるだろうが、しなやかな美女になる片鱗が今からうかがわれる。

リュウは骨太で食欲旺盛だから、がっちりした大男に育つのではないか。

二人とも、もう少し大きくなったら、護身術や射撃を教えてやろう。いつ何時、どういう変転があっても生き残れるように。

俺も一族の中で、ありとあらゆる教養を叩きこまれたものだ。科学知識だけでなく、文学も音楽も……当時はただ面倒なだけだったが、今は感謝するしかない。

それにつけても、故郷に帰れない自分が情けないが……

ハニーは時折、気の毒そうに俺を見て、

「シヴァ、わたしには何でも話してくれていいのよ」

と言うが、それは、俺がまともな男だと信じてくれているからだ。まさか、そんなにひどいことをしているはずがないと。

だが、実際は……茜に会うまでの俺は、ひどかった。

いや、茜を失うまで、まだ大馬鹿のままだった。初対面で、俺があんな馬鹿なことを言わなければ、茜が絶望して自殺することもなかった。取り返しがつかない。どんなに悔やんでも。

探春にしたことも、消せないことだ。

あれで女を手に入れられると思うなんて、どうしようもないクソ餓鬼だった。あの頃の自分に出会えたら、しこたまぶん殴って、根性を叩き直して……いや、駄目だ。暴力に訴えても。

辺境の弱肉強食を見ていたから、暴力が解決法だと思ってしまったのだ。強ければ意志を通せる、望みが叶うと。

なまじ恵まれた肉体を持っていただけに、暴力に走ることは簡単だった。銃を使ってもバイクを飛ばしても、俺は無敵だった。

一族の財力に守られていた面もあったが、何よりも、怖いもの知らずの冒険好きだった。暴れたくて、力試しをしたくて……

俺が父親だなんて、今更ながら、震えが走る。

そんな責任、本当に全うできるのか。

もしかしたら……子供たちが大きくなる前に、いなくなった方が、まだましなんじゃないだろうか。

ある晩、子供たちを寝かしつけてから、隣接する自分の寝室に戻り、ハニーは俺を自分の横に座らせた。広げて見せたのは、ペネロペの新しい服だと思ったが、そうではなく、《ヴィーナス・タウン》で売り出す新製品だという。

「可愛いでしょう。試作品なんだけど、子供服のシリーズを商品化しようと思うの」

ハニーを見習ってかどうか、部下の女たちが、ぽつぽつ子供を作るようになっている。父親は人工精子という場合が多いが、他組織の人間だということもある。いずれにしても母親の手元で育っているが、当然、周囲の女たちも育児に協力している。

「以前、リュクスたちが言っていたこと、実現しつつあるわ」

ハニーが言うのは、《アグライア》のことだ。最高幹部会の後押しを受けた若い女性総督に子供が誕生し、そこへ、子供を持ちたい女たちが熱い視線を注いでいる。《アグライア》では既に子育て村が誕生し、規模を拡大しているのだ。

ハニーは、たまたま戻ってきていたカーラを大使として派遣し、ジュン・ヤザキと同盟を結んだ。二つの大きな流れが合流したのだ。

「これからは子供服や、文房具や、児童書も揃えていきたいの。《アグライア》でも、たくさん買ってもらえるしでしょうし、うちの部下たちにも必要だから」

「ああ、いいな。絵本はいくらあってもいい」

それからハニーは、服を下に置き、俺の顔を見直した。そして、手を伸ばして俺の顔に触れる。

「シヴァ、あなた、気掛かりなことがあるなら、わたしに言ってくれていいのよ?」

言わなくては、と思った。永遠に黙っているわけには、いかない。

だが、言ってしまえば、もうハニーに、優しい言葉をかけてもらえなくなるかもしれない。

俺は恐がりだ。ハニーを失いたくない。もう二度と、こんな優しい女には巡り会えないだろう。

「怖いんだ。怖い。今が幸せすぎて」

すると、ハニーは困ったように笑う。

「それは、わたしもそうよ。あまりに恵まれていて、空恐ろしいわ」

俺は違う。隠し事をしている、後ろめたさのせいだ。本当は、ハニーに愛してもらえるような男ではない。

「だけどね、子供たちのためには、あなたの故郷と連絡を取れる方がいいのよ。わたしたちに何かあった時、子供たちが頼れる先が、一つでも余計にあった方がいいでしょう。シヴァ、あなた、故郷の何を怖がっているの?」

もう、これ以上は逃げられない。全身に冷や汗をかき、酸欠の金魚のように、虚しく口をぱくぱくしていたら、ハニーが眉をひそめて言う。

「初恋の従姉妹をレイプした以外に、何を隠しているの?」

俺は衝撃で、思考が停止した。

なぜ。いつ、それを。

まさか、ショーティが。

何も言えないままの俺に、ハニーは続けて語りかける。

「だから故郷にいられなくて、家出してきたんでしょう? それは、許してもらえなくても仕方ないわ。どんなに非難されても、ただひたすら、頭を下げるしかないでしょう。わたしも一緒に謝るから、とにかく、挨拶だけはしに行くべきではなくて? まさか、殺されはしないでしょう。あなたの従姉妹たちは、正義の味方なんだもの」

それから俺をじっと見て、首をかしげる。

「あとは何?」

心が爆発しそうだった。俺は、どれだけ馬鹿なんだ。ハニーは、俺の罪も失敗も全てまとめて、愛してくれている。ショーティが絶対、陰で笑っているはずだ。

「まあ、大きななりをして、どうしたの」

俺は床に膝をつき、ハニーの腰にしがみついていた。女にしがみついて泣くなんて、マックスには死んでも見せられない姿だが、ハニーは俺の頭を撫でて、慰めてくれた。

「あなたはちゃんと、立派な父親でいてくれるわ。わたしも子供たちも、あなたを頼りにしているのよ。あなたがいてくれて初めて、わたしたちは家族になれたのだから。子供たちが大きくなるまでに、この世界を、少しでもいい場所にしていきましょうね。それが、親としての責任ですものね」

俺は生きていける。ハニーがいてくれさえしたら。永遠にとは望まない。あとしばらく、この幸福を続けさせてくれ。何十年か、何百年か。それとも、何千年か。

遠い未来のことは、まだわからない。いま、人間でいられるうちは、人間の幸福を味わいたい。それを超える世界のことは――その時が到来してからのことだ。

   ハニー編 完

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