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古典リメイク『レッド・レンズマン』8章

8章 リック

 こういうことになるとは、予期していなかった。

 いったい、誰に予測できただろう。

 デッサ・デスプレーンズが、アリシア人の与えたものではないレンズを――いわば、ブラック・レンズとでも呼ぶべきものを所有しているなどと。

 監視役のレンズマンたちから悲鳴のような報告が届いた時、既にデッサはデスプレーンズ本社のある惑星ヘラスから離脱し、私有のクルーザーで星系を離れつつあった。止めようとして立ち塞がったレンズマンやパトロール隊員たち、数百名を死傷させて。

 彼女は逃亡するため、あたり構わず精神波の攻撃を放ったのだ。まともに浴びた者は即死するか、発狂するかした。かろうじて助かった者も、重度の精神退行を起こしていた。

 彼女一人の力ではなく、レンズの向こうにいた何者かが、力を貸したのかもしれない。

 キムはそれを、非人類のレンズマンだと感じたらしい。しかも、銀河パトロール隊には未知の種族だと。

 それだけはかろうじて、監視役のレンズマンたちが、ぼくにつないでくれた。

 だが、キムがデッサの秘密を暴いた直後、彼女は精神攻撃で真っ先にキムを昏倒させた。同時に、同じ島にいた二人の秘書もまた、昏倒させていた。

 彼女たちは、思考波スクリーンをつけていたにもかかわらず、脳が焼き切れて、ほとんど即死だったらしい。後から島に乗り込んだレンズマンたちは、彼女たちの死体に対面しただけだ。一人は浴室で、一人はテラスで倒れていた。それまで、若く元気で生命力に溢れていただろうに。

 デッサが攻撃範囲を制御できなかったのか、それとも、秘書たちの口を塞ぐべきだと思ったのか。彼女たちは、何年もデッサと共に暮らしていたから、ある程度は事情を知っていたのだろう。

 ぼくは迂闊にも、こうなるまで知らなかったが、思考波スクリーンを身につけたままでも、周囲の人間の心を読んだり、攻撃したりすることは可能らしい。

 とにかくブラック・レンズの所有者には、それができる、ということだ。

 あるいは、そのレンズを与えた何者かが――未知の非人類レンズマンが――背面から精神攻撃に協力していたのではないか。デッサ一人にあれだけの殺戮ができたとは、信じられない。

《いずれにしても、途方もない精神力だ。我々は、ボスコーンを甘く見ていたようだ》

 とウォーゼルも沈鬱な思考を送ってきた。

《ただの海賊や、麻薬業者の集まりではなかったのだ。背後にレンズマンが……ブラック・レンズマンがいたということは、我々の銀河文明と匹敵する裏の文明圏が、この銀河に存在するということではないのか》

《この銀河に……そう思うか?》

 いくら広大な空間とはいえ、既に銀河パトロール隊が数百年、探査を続けてきているのだ。友好種族も多い。ローカルな惑星文化ではなく、巨大な汎惑星文明があるとしたら、とうに発見されているはずではないのか。

《ふむ。もしかしたら、この銀河の外に、かもしれん》

《あるいは、この銀河の外が全て……ボスコーンの文化圏だとしたら?》

 ふときざした空想だが、それはあまりに恐ろしい。ウォーゼルも否定した。

《リック、それは飛躍がすぎるぞ。それならとうの昔に、我々が負けていたはずだ》

 アリシア人がいて……レンズを与えてくれなければ。

 我々は、レンズを正義の象徴のように思っていたが、実は、ある程度進化した種族なら、善悪に関わりなく創れるものなのかもしれない。

 だが、それもまた、恐ろしい考えだ。いずれ、アリシア人に確認するべきかもしれない……彼らが、答えてくれないのではないか、という気もするが。

《それはまた、後にしよう。まずは思考波スクリーンだ》

 思考波スクリーンは、通常の人間の思考帯域に合わせて設計されている。それより高い帯域――高度な精神力の証――ならば、スクリーンは紙きれ同然なのだ。

 後からウォーゼルと実験してみて、確認した。ぼくたちでも、思考波スクリーンを突破することはできる。非常な努力で、思考の帯域を上げれば。

 だが、長時間は持たない。デッサにしても、背後の何者かにしても、そんな真似は、たまにしかしていなかっただろう。

 だが、キムを誘惑して操ろうとした時、彼女たちはブラック・レンズを通してキムの心に侵入しようとして、失敗した。本来、レンズマンの資質を持つキムは、レンズなしでも洗脳に抵抗できたのだ。

 ブラック・レンズの存在を暴いてくれたキムは、お手柄だった……だが、本人は病院に収容されたまま、目覚めない。

 咄嗟の防御で自分の精神を閉ざしたらしく、命だけは助かった。しかし、ぼくがレンズで繰り返し呼びかけても、昏睡から醒めないのだ。点滴を続け、かろうじて肉体だけは生かしてあるが、このままでは、やがて衰弱して死ぬだろう。

 それにまた、逃亡するデッサを止めようとしたパトロール艦では、乗員たちがことごとく精神攻撃を受け、無力化されている。

 とうとうぼくとウォーゼルは、ヘインズ司令に断った上で、全てのパトロール艦隊に、追跡をあきらめるよう指示を出した。

 今の彼女は、誰にも止められない。このぼくでさえ、対決したら無事で済むかどうか、自信はない。

 おそらく、生きたまま捕獲するには、複数のグレー・レンズマンの協力が必要だろう。それまでは、無人艦隊に追跡させておくしか、やりようがない。

 彼女がこのままどこか、ボスコーンの大きな基地にでも駆け込めば……いや、そんな分かりやすい真似はすまいな。もう、冷静さを取り戻している頃だろうから。無人艦隊なら、いくらでも撒いて、逃走できるだろう。

 改めて彼女の身元を調べ直した結果、とんでもないことがわかった。デッサ・デスプレーンズは、十代半ばのあたりで、別人に入れ替わっている。十二歳のデッサと、十八歳のデッサは、まるきり別人なのだ。内気な少女が、どこかで、燃えるような野心家にすり替わっている。

 その時、公的な記録も、家族や友人たちの記憶も、全て書き換えられているのだ。極めて巧妙な改竄だった。レンズマンが疑ってかかったのでなければ、見抜けなかっただろう。

 だが、友人のそのまた友人の日記や、偶然に撮られた写真など、広い範囲で見れば、複数の手掛かりが残っていた。それらを総合して、やっと入れ替わりが確認できたのだ。

 本来のデッサはおそらく始末され、レンズを持った偽者が、まんまと人類社会に入り込んだというわけだ。もしかしたら他にも、そうやって人間の入れ替えが行われているのかもしれない。シャンタルやユエンも、調べれば、そういう過去が出てくるのかも。

 ぼくはレンズマン同士の精神接触で、ヘインズ司令に緊急の大規模協議を要請した。

《まず、全てのグレー・レンズマンに参加を要請して下さい。その会談の後で、他のレンズマンに情報を流しましょう。あのブラック・レンズがどこから来たのか、デッサが何者だったのか、背後にいた未知の種族の本拠地はどこか、最優先で調べる必要があります》

 海賊や、麻薬組織どころではない。これは、パトロール隊の根幹にかかわる大問題だ。レンズに対する信頼が失われたら、何とか保たれている銀河の平和が崩壊する。

 精神融合で協議に参加した他のグレー・レンズマンたちからは、色々な意見が出た。

《デッサの肉体は、人類そのものだ。ロスト・プラネットを当たってみてはどうか》

《ブラック・レンズの件は当面、極秘にしよう。レンズマンへの信頼が揺らいではまずい》

 またしても、レンズマン秘だ。一般人には真実を知らせず、レンズマンだけで問題を解決しようとする。だから姉さんのように、反感を持つ者が出るのだが……ぼくもこの件では、それが正しいと思う。対策がないうち、ブラック・レンズのことを知らせて、市民を怖がらせても意味がない。

《公式発表では、何らかの新兵器と説明させよう。たとえば……精神破壊装置というようなものでどうかな》

《真空の宇宙空間を通して、数光年離れたパトロール艦隊の乗員を殺せるほどのもの、かね》

《現に大勢の被害者が出ている以上、仕方あるまい。まずい説明でも、ないよりましだ》

《銀河文明に所属する全種族に、デッサに関する情報を求めよう。どこへ隠れようと、必ず発見してやる》

《背後の黒幕らしき種族も、精神特性から肉体的特徴を推測できる。専門家に、可能性のある星系をリストアップさせよう》

 ただ、レンズを与えてくれたアリシア人に、ブラック・レンズの件を問い質すとなると、先輩たちはみな尻込みした。ぼくが代表して尋ねてみたいと訴えても、渋い様子だった。

《リック、確認するが……あなた方は、悪党にブラック・レンズを売っているのですか、とアリシアのメンターに尋ねるつもりかね》

 非難の感情が波のように伝わってきた。それは、天に唾を吐くような冒涜行為だ、と歴戦のレンズマンたちは思うらしい。レンズに頼って戦ってきた年月のおかげで、レンズをくれたアリシア人に対しても、深い感謝と尊敬を覚えているのだ。

《ブラック・レンズなど、粗悪なまがい物に決まっている。アリシアのレンズとは別物だ》

《こちらで調査もせず、恩人に疑いをかけるのはまずいだろう》

《そもそも、我々はみな、警告されているではないか。二度とアリシアに戻ってきてはならないと》

 それは、全てのレンズマンが魂に刻み込んでいる警句だった。レンズをもらうため、普通は候補生の時代にアリシア星系に近づき、アリシア人に魂を調査されている。そして、二度とアリシアに近づくな、と言われて追い払われるのだ。彼らには、幼稚な後進種族との接触は苦痛であるらしい、と理解されている。

《あの警告は、〝絶対〟だぞ》

 アリシア人が後進種族に何か言ったら、それは宇宙の物理法則にも等しいのだ。それは、ぼくにもわかっているが。

《我々がアリシア人を疑うなど、そんな失礼な真似をしたら、もうレンズをもらえなくなるかもしれない》

《他の調査を全てした上で、それでもどうしようもなかったら、その時にまた相談しよう》

 ウォーゼルやナドレック、トレゴンシーなどの非人類レンズマンは、情緒的というより合理的な見方をした。

《アリシア人がブラック・レンズに気付いていないのなら、頼っても無駄だ。気付いていて放置しているなら、我々に何とかしろということではないか》

 いずれにせよ、まず自助努力というわけだ。

 そうして、レンズマン全体に情報を流し、手分けして調査にかかることになったのはいいが、ぼくには一つ、困った課題が残された。キムが廃人になったことを、キムの家族と、そして、姉のクリスに伝えなければならないのだ。

  姉さんが何と言うか、想像がつく。

 ぼくが、前途ある若者を一方的に利用して、潰してしまったと責めるだろう。しかも、せっかく、姉さんに惚れてくれた若者だったのに。

 言い訳はできない。する必要もない。これから先も、ぼくはまた誰かを犠牲にするだろう。この銀河の平和を守るためなら、ある程度の犠牲はやむを得ない。

 だが、おかげで戦いは新たな展開に入った。敵はもしかしたら、この銀河の外に広がっているかもしれないのだ。

  『レッド・レンズマン』9章に続く

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