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2024.11.1の日記「ファッション道中膝栗毛」

今日のズボン、専門学生の頃から着ている。



専門学生は19歳の頃だから。。。

11年前・・・・・・・。

あれから11年?へ?まじ?

みたいな気持ちに今なった。今。

11年もずっと同じズボン履き続けているのっていいことなのか悪いことなのか。



物持ちがいいとは言えるけど、19歳の服をそのまま着てるっていう罪悪感というか垢抜けなさというか。

19歳の服をずっと着ているから垢抜けないのか。垢は抜けてないのよなあ。

幼いと言われれば聞こえはいいけど、京都の人が「幼いわねえ」と言ったらそれはもうそういう意味だし。

大人っぽいとは言えないし、お姉さんみたいな感じでもないから困っている。幼児からおばさんへ飛び級。

そんな飛び級絶対いや。嫌だけど今絶賛飛び級試験最中なんだろうな。

その試験キャンセルするにはどうしたらいいんだろう。



実際、かわいいの感性が19歳から変わっていないというのもあるし、仕事の服なんかなんでもいいだろっていう気持ちがあって

ずっと同じ服を着てしまう。

前者のかわいいの感性が19歳から同じは流行の時が当時で止まってしまっている。これは非常に問題としてあげられる。しかし、

今のかわいい服が自分に似合うのか?という疑問が湧いてしまう。お姉さんみたいな服が似合うのか?
お姉さんって言ってる時点でもう若干キモ以下?

なんでも似合う女になれ自分。

結論これしかないよな。。。まじで。道険しすぎる。



後者の仕事の服なんかなんでもいいというのはこれは自分の怠慢。

間違いなく怠慢。怠っている証拠。

やっぱり、ちゃんとした人って仕事行くにも何に行くにも小綺麗にしているのよね。

そういうところきちんと見習わないと、なりたい自分になれないのよな。



服の入れ替え戦を行わないと目標に近づくことはできなさそう。

衣替えの季節だし、衣替えも兼ねてチキチキ服入れ替え戦でも近々行わないとなあ。

服の量がいかつすぎるんだよな。19歳からのかわいいの積み重ねで毎シーズンなんだ
かんだ服買ってしまうし、

増える一方で置き場がない。



こんなに服で頭を抱えている一方で母は

BOOK・OFFにて服を6着1300円ほどで購入してきたと先日自慢された。

仕事用のジーンズはなんと100円だったそうだ。

そしておしゃれ着として購入したズボンは250円。

トップスで一番高くて500円。

嬉々として報告してくれる母になんだか私は涙が出そうになったよ。

そこまで貧乏ではないはず。

母曰く、「こんな安い服を買ってしまうと、通常の値段の服は買えない」

だそうだ。



なんだこの差は。

どこで生まれてしまった。この母から私は生まれたはずなのに。



私はとりあえず、小学生の頃にしまむらで買ってもらった緑のパーカーの処分から始めよう。



じゃ、また。

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