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好きではない音楽(プログレッシヴ・エッセイ第2回)

好きな音楽と好きではない音楽の差ってなんだろう。

第1回で、脳にとって「集中」行為のひとつに「好きな音楽を聞く」とあったことからふと疑問に思った。
揚げ足を取るわけではないが、私にとって「集中」行為にさせない音楽はあるのかと。そしてあるならば、それが好きではない音楽なのだろうか。

そういえば飲食店のBGMは苦手だ。
友人と食事をしている最中でも、気になるフレーズがあれば会話は瞬間的にシャットダウンされ、耳はスピーカーに持っていかれる。
「あ、ごめんごめん、で?」と返し嫌な顔をされたこと多数。
友達だったらまだセーフかもしれないが、仕事関係となると完全にアウトだ。
なかなか難しい。

2000年代半ばのガストは天国だった。
BGMはなく、備え付けの大画面からNHK-BSの海外のニュースがずっと流れていたからだ。
ニュース番組には音楽はアイキャッチぐらいにしか使われず、ほんの一瞬しか流れない。
昼休みに読書と作詞・作曲を行なっていたので集中力が持続し、心地よかった。
ランチは決まってガスト。
500円の日替わりランチにドリンクバー。
天国だった。

ということはBGMで流れる何気ない曲ですら「集中」するのだから、好きではない音楽ではない。
苦手イコール好きではない、ではないのだ。

音楽をつくる身として、おそらくすべての音楽に対し「どうやってるんだろう?」とか「なぜこうしなければいけないんだろう?」と常に考え理解しようとする。
ネタを探しているのだ。
ただし積極的に新しい音楽を聞こうという姿勢でもないことも付言しておく。

では、ネタを探せない理解が及んでいる音楽が好きではない音楽ということか。


――金属恵比須?


全部知ってしまっている。
自らも理解が及ばないようなものをつくらなければならないのだろうか。
否、好きではないわけではないれども。

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