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死にたいって誰かに話したかった

南綾子さんの
死にたいって誰かに話したかった
を読みました。

このタイトル…
まさにわたしが何年か前から
思っていることだから、
それがそのままタイトルになっていて
驚きました\(^o^)/


ネタバレにならないように
サクッと軽めに感想をシェアします。

"生きづら会"
わたしも参加したいです。とっても!

わたしもこれまでの人生で起きたことで
人に話せていないことを
誰かに聞いてもらいたいなぁと
思うことがよくあります。

聞いてもらったら全てが解決する、
なんて思っていません。

ただ、心に溜めていても
それが生きていく足枷になるばかりのような
気がしているのです。

だから、溜めないで発散した方が、
心の重りが少し軽くかるのではないか?
と思っています。

だからと言って、
何でもいつでも話したいかと言われれば
そんなこともない厄介な面もあります。

それは、話すことで
その時の苦しみの渦中に
再び落とされることがあるところです。

もう終わったことなのに、
またその時の気持ちに引き返すのは
とても辛いから避けたい。

でも、たまに誰かに話したくなる…
そんな心の傷ってありますよね。


この本を読みながら
"人生で4番目に辛かったこと"
を一緒に考えてみたり、
後半はわたしも
生きづら会の一員の
気持ちになっていました。


知らず知らず過去の経験が
今の自分の原点なんですよね。

辛過ぎて、蓋をして
闇に葬って、
もう思い出すことのない経験ですら、
実は今の自分を支配していたり。

本の後半で
とっても共感した部分をシェアします。

誰にも話せなかったことを話して、
救われるために。
あるいは誰かの話を聞いて、
救われるために。
けれど、自分は、自分だけは、
話したところで何も解決しない。
話しても苦痛は少しも軽減されないし、
かといって秘密にし続けていても
心は一秒も休まらない。


話して0.00000001グラムでも
心が軽くなればいい。
人の話を聞いて、ほんの少しだけ
心が軽くなることもある。
(自分だけじゃないんだって知れるだけでも安心することもある)

"秘密にし続けても
心は一秒も休まらない"

最後のこの言葉には
共感しかありませんでした。
言語化してくれてありがとうございます。

是非、生きづらさを感じている人に
読んでもらいたい1冊です。




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