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東京のフリーランスデザイナー、念願の茨城とつながる|島田寛昭さん(東京 / 40代)

LIVE DESIGN School の23年度メンバー同士が、根掘り葉掘りするインタビュー企画! 各地で活動するメンバーたちが日々考えていること、そして、LDSの参加を経て見えてきた展望とは...?

プロフィール
1977年東京都生まれ。母方のルーツがあり幼少期から遊びに行っていた茨城への愛着が強く、筑波大学(芸術専門学群)へ進学。同大学院修了後はデザイナーとして数社に勤務し、2013年よりフリーランスに。その後話題になった案件に、浦和の銭湯「鹿島湯」の自虐広告があり、奇しくも茨城の鹿島アントラーズと紐づいたものになっている。大好きな茨城にデザインで携わりたいと思っていた時に、日本デザインセンター原研哉氏のSNSでLDSが開校されることを知り、受講を決意。
 
ポートフォリオ:TOMOAKI SHIMADA

━━ 普段はどんな活動をしていますか?

東京でフリーランスとしてデザイナーをしています。企業・団体のパンフレット、イベントのフライヤーやポスターなど紙物を中心にデザインをすることが多いです。他にもお店や団体のロゴを作ったり、工事現場のフェンスのデザインもよく制作します。大規模なものでは、福島第一原発付近で数百メートルに渡って復興へのメッセージをデザインしたことがあって、現地で見たときは圧巻でしたね。自分から営業をすることは得意ではないのですが、知り合いを中心に声を掛けてもらうことが多くて、ご縁に恵まれているなと感じています。

━━ デザイナーになろうと思ったのはどうしてですか?

小学生の頃から漫画を描くのが好きで、その後イラストの仕事をしたいと思うようになりました。母がファッションデザイナーだった影響もあると思うのですが、早い段階から美術系の進路を希望していましたね。母方のルーツがある茨城が子どもの頃から大好きで、茨城の大学に行きたくて筑波大学の芸術専門学群に進学しました。幸い高校の担任が同学群の卒業生だったこともあって、すごく応援してくれて。高校時代は美術・体育以外は5段階中の2評価だらけだったので、一浪して学科・実技ともに必死で勉強しました。

晴れて入学後は、「視覚伝達デザイン」を専攻していました。勉強していくうちにタイポグラフィや文字、本にも興味を持つようになって、写植という文字の転写技術やシルクスクリーン、製本に自主的に取り組んでいました。また筑波大学には「総合造形」という専攻があって、現代アート教育が有名です。その分野の先輩・友人たちとパフォーマンスやバンド活動もしていましたね。つくばでの暮らしが心地よすぎて、大学院にも進学して6年間暮らしていました。

━━ 茨城のことが本当に好きなんですね!

そうですね。生まれも育ちも東京なのですが、母の実家があったので子どもの頃から夏休みと冬休みはほとんど茨城の大洋村(現鉾田市)で過ごしていました。海で泳いだりハマグリをとったり、野原で昆虫を捕まえて遊んだりしていた思い出があります。だだっ広い平野に山と海、湖もあって、そのうえ東京にも出やすくて大好きな場所です。

━━ 茨城が島田さんにとっての原風景なんですね。今はフリーランスとして東京でお仕事をされていますが、どんな経緯があったのでしょうか?

実は紆余曲折あって…。もともと独立したいと思っていた訳ではなくて、大学院の卒業後は就職活動に失敗して職を転々としていたんです。東京の実家に住みながら肉体労働やイラストなどのバイトをして、1年後にデザイン会社にアルバイトとして入社しました。その後は派遣で印刷会社、制作会社、広告会社など複数の業種を経験しました。正社員として就職した会社もあったのですが、どうしても社風が合わなくて。ストレスで身体を壊した経験から、「会社にいて死ぬくらいなら一度自分でやってみよう」と思い切って独立しました。実はその前年に参加した高校の同窓会で、広告会社に勤務する同級生と出会って「一緒に仕事しようよ」と声を掛けてもらえたことも背中を押してくれて。この出会いがなかったら今頃どうなっていたのかわかりません。気づけば独立して10年が経っているので、周りの人たちには感謝しかないですね。

━━ 人とのご縁もあって独立されたんですね。島田さんはLDSのプログラムに積極的に参加されているイメージがあります。参加した感想を教えてください。

まず、地域で活躍するデザイナーがこんなにいるんだと驚きました。「世の中にまちや人を変えるすごいデザイナーがいる」と友人に話せるようになったことが、自分の中での大きな変化でしたね。LDS開校のきっかけとなった書籍『おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる』をいつも持ち歩いていることもあり、自分が地域の仕事に興味があると知ってもらうきっかけになりました。

また、普段のプログラムはオンラインが中心ですが、リードデザイナーや参加者のみなさんと対面で会える機会も多くて嬉しいです。フィールドワークで一緒に数日過ごしたり、リードデザイナーの方が出展されているイベントに足を運んだり、東京で開催されたランチ会や新年会に参加したりしました。参加者の年齢層や関わっている分野が幅広くて、人とのつながりや視野が広がって楽しくてしょうがないですね。

あとLDSのすごいところって、リードデザイナーの方も参加者みたいなノリがあるところかなと思っていて。今までにいろんなスクールに参加してきたんですが、講師と受講生ははっきり立場が分かれていたし、講師同士の繋がりを見ることってあまりなかったように思います。毎月のレクチャーでその日の担当じゃないリードデザイナーの方も真剣に話を聞かれていて、後半のディスカッションの時間も一緒に議論できたり知見を聞くことができたりしておもしろいなと感じています。

━━ リードデザイナー新山直広さんの拠点である鯖江のフィールドワークにも参加されていましたね。

もともと旅好きで全国各地に行っているのですが、なぜか北陸は行ったことがなくて参加しました。伝統工芸などものづくりの現場を見学したり、作り手の方から直接話を聞いたりと、過去のひとり旅では叶わなかったことが怒涛の勢いで叶った夢のような3日間でしたね。

あと、のどかな田園風景の中にいきなり洗練されたお店が現れたりして、日頃ごみごみした東京の下町に住む身からしてみると「豊かさって何だろう」とすごく考えさせられました。越前鯖江という土地にたくさんのデザイナーや移住者がいることも知ることができて、感動しっぱなしでした。

フィールドワークの後日談もいくつかあります。1つ目は東京に戻ってから、鯖江で工房見学をさせていただいたボストンクラブさんの眼鏡を購入したことです。自分へのフリーランス10周年記念も兼ねてのことで、銀座のショップで鯖江に行ってきたことを話したら、お店の方とも盛り上がることができました。2つ目は紙の神様を祀る大瀧神社でお参りをしたら、帰京後1週間でたくさんの仕事の依頼が来たことです。ご利益がすごくて本当にびっくりしました。今年は家族を連れてお礼参り、そしてRENEWにも行ってみたいと思っています。

鯖江フィールドワークでの一コマ

━━ LDSに参加してから、いろいろな変化があったんですね!

そうなんです。さらに大きな変化もありました。開校式の時に「1年後のなりたい姿」をみんなで書いたと思うんですけど、あの時に「仕事で茨城に行く」って書いたら3か月後には叶ってしまって。これまでは茨城の友人のために自主的に制作物を作ったことはあったんですが、依頼を受けて茨城に関わる仕事をしたことはなかったんです。LDS開校後のある時、リードデザイナーの吉野敏充さんが茨城の案件に関わっているとslackで発信されていて、「巻き込んでください!」と連絡をしたところ受け入れてくださって。まだまだ道半ばですが、念願だった茨城の仕事に関われるようになりました。

またLDSに参加していることや、「茨城に関わりたい」とSNSで発信していたら、茨城出身の知人からつないでもらって行政の方とやり取りする機会もできました。有言実行って今まで苦手だったんですけど、人に自分のやりたいことを言うようになったら徐々につながり始めたので本当にありがたいです。

━━ この1年でかなり人生が変わっていますね。今後やってみたいことはありますか?

いずれ茨城に住めたらいいなと思っていて。まずは仕事をきっかけに、茨城の親戚とつながり直せたらいいなと思っています。早朝は農家さんのお手伝い、日中はデザインの仕事…そんな生活ができたらいいですね。家族のこともあるので、もし住めなかったとしても足を運ぶ機会は増やしていきたいです。

何より、LDSのおかげで吉野さんのように「デザイン」の概念がなかったような地域でもデザインを浸透させている方を間近に見る機会にも恵まれたので、自分も見習ってもっと頑張っていきたいなと思います。

(聞き手|菅原春香さん


地域で必要とされる「広義のデザイン」について、各地のデザイナー陣と参加者どうしが学び合う場として始まったLIVE DESIGN School。現在、24年度のエントリーを受付中です!デザイナー(志望)はもちろん、イラストレーター / 大学生 / 行政職員 / 地域おこし協力隊 / 販売員 / 製紙業 / 百姓!などなど多様な肩書きの方にエントリーいただいています。詳細はこちらから!

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