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人形の愛

骨格は両性具有。
肉付きは少女であり、母である自分の歴史をあらわしている。

昨年から、モデルの自分の屋号として doll  を名乗っている。
優しく魅力的な女性であり、覚せい剤の俗称でもある。

女性に対しては同性としての親しみやすさをが役に立つ。
紳士的にひたすら力になろうと行動し受容する。
そして、思うように喜ばれないと失望したりもする。笑
ボディタッチでどぎまぎしてしまうのは圧倒的に対女性だ。
うぶなオレである。
ワタシが出てくることは実はほとんどないのかもしれない。


男性に対して、オレは友情を育みたい。
「同性の」くだらない仲間がほしいという切実さがあったが、
女性として見られることをあきらめる必要があることは忘れることにする。

複雑なのは、その一方でワタシがでてくること。
求められることが直感的に分かってしまうと、応じてしまいたくなる
やさしい危うさを抑える努力が必要だ。
そもそも落として遊ぼうくらいな、ドキドキさせるのが仕事ですから、
みたいな妙なプロ意識もある。
こんな矛盾に罪悪感や戸惑いを抱えてきた。

私が苦手なシュチュエーションがあるとしたら、
男女が入り混じった場かもしれない。
たいていは対女性を優先して、男性的にふるまうことになるが
大勢の中で疲れるというよりは、
自分が女性としてそこにいるのか、男性としてそこにいるのか
内面的な微細な揺れがある。

女だけ、男だけ、というコミュニティのなかではそんなに混乱はせずに
それぞれ男として、女としてそこにいるということが比較的できると思う。

最近は自身の主体性を優先できるようにはなってきたが、
境界が薄く、敏感で、他者が自分に求めるものを感じ取りやすいということと
自身の中の男性性、女性性のバランスがよすぎて、どっちにも振れるという器用さが、
逆に混乱をまねくこともある。


昨年あたりから、女性的な「受け取る」力を意識するようになった。
女でいていいのだと。全部一人でやらなくていいし、解決もしなくていい。ここに行きたい!とだけ放ってしまって、
あとはひたすら受け取ってかなえていく。

女として愛されることを受け取れなかった。
それは最も面倒で、複雑で、誰かが傷つく結果にしかならないと学んでしまっていたから。
男女問わず深入りすることを避けて生きてきたりもした。


しかし唐突に、ああ、私に出会って、ドキドキしたり、苦しい思いをしたり、ゆらいだりする人がいたとして、そこに罪悪感などいらなかったのだと。
いのちへの、その相手への信頼があれば、罪悪感などと手前勝手な見当違いもいいところだったのだとふっきれた。
傷つくのも、悲しむのも、ざわついたり、嫉妬したり、失望もすべて
生きてこそ味わっている。

生きてある実感をご提供しているのだとしたら、立派な貢献だ。


誰にも構わずに、わたしを輝かせていく。
笑って生きていく。笑わせて生きていく。


女だろうが、男だろうが、
(自己理解と共にコントロールができてきたとはいえ)
日常的な混乱や平和の波もあるがままに受け入れて
そばにいてくれる家族に改めて最大の感謝を。

そして、いつも突拍子もない言動に驚きながらも、
笑いながら見守ってくださる友人たちとの出会いを大事に生きていく。

ありがとう。

2022.2.28 記

写真(作品部分) TETSURO HIGASHI  https://tetsurohigashi.com/ 
共同作品 上記HP内 TRAVELER OF TIME シリーズ

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