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【Physical Expression Criticism】京都奈良紀行~歴史的建造物を訪ねて~2~

逓信建築~郵便局の意匠

 銀行は、西洋の意匠を取り入れた歴史的建造物として多く残っていることは知られているだろう。また日本各地の郵便局、電話局も歴史的西洋建築が多い。というのは、どちらも逓信省に所属する逓信局などであり、逓信省には専門の建築技師が勤務していたからだ。そのため、これらは「逓信建築」とも称される。

 初期、特に有名な建築家は吉田鉄郎(1894~1956年)。日本に1933(昭和8)年から36年まで滞在したドイツ表現主義の建築家、ブルーノ・タウト(1880~1938年)が、「モダニズム建築」の傑作と讃えた東京駅前の東京中央郵便局(1933年)は、2012年にJPタワーに建て替えられてしまったが、辛うじて正面の曲線のファサードの意匠が残されている。

 江戸時代の通信は飛脚だった。つまり郵便制度も、1871(明治4)年に生まれた近代化の一つなのだ。そして銀行は、その2年後の1873年に最初の第一国立銀行が生まれ、1882年に日本銀行が生まれたため、金庫室を含めた堅牢な建築が必要であり、各地の銀行は、近代化を示す西洋建築となっている。

 京都では、御所西側の南北の道、烏丸通を下った三条通との交差点東北側に、1926年、吉田鉄郎設計の新風館(京都中央電話局)がある。完全にリノベーションされており、米国の有名ホテルチェーンが入り、全体的に高級感ある新しい複合施設だ。

 その三条通を東に向かうと、1902年、逓信省の三橋四郎(1867~1915年)と吉井茂則(1857~1930年)設計の中京郵便局(京都電信電話局)がある。中は改築されたが、外見は完全にほぼ原型をとどめている。ほかにも郵便局や電話局の西洋建築が残っている。

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新風館

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中京郵便局

京都府庁旧館の魅力

 日本各地で、現在も歴史的建造物として西洋建築が残っているのは、県庁や市庁舎なども多い。明治から昭和にかけて、各地で近代政治制度、地方自治の象徴として、堅牢な建築がつくられたからだ。

 京都府庁を訪れたら、日曜日で閉館中だった。やむなく塀越しに写真を撮っていたら、第三日曜は一般公開とある。だが、東側は文化庁が移転してくるため、警察署とともに大規模工事中だ。ダメを承知で指示の入口に向かうと、なんと公開中であった。

 1904(明治37)年、松室重光(1873~1937年)設計のネオ・ルネサンス様式といわれる名建築で、建物の裏からの姿も美しく、裏側には議場がある。竣工110年の2014(平成26)年に復元して公開しており、定期的に文化セミナーも開催されている。ここで説明してくれた方が、京都や関西の歴史的西洋建築に大変詳しかった。なお松室の建築は、旧満州、日本の植民地時代の中国・大連などにも残されている。

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京都府庁旧館

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復元された議場

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京都府庁旧館二階の丸窓

西洋建築の宝庫~三条通

 京都は碁盤の目の街並みで、東西の道が一条から十条まであり、その間にも細い道がある。その三条通は、メインストリートの一つで、銀行などが多く集まり、歴史的西洋建築の宝庫といえる。そんなふうに思って原稿を準備していたら、2021年12月に再度訪れたときに、前田健二郎(1892~1975年)設計の京都市京セラ美術館(大礼記念京都美術館)で「モダン建築の京都」展(9月25日~12月26日)が開催されていたが、なんとこの三条通のジオラマ「大正時代末頃の三条通模型」があったのには驚いた。この展覧会では、7月と12月に訪れた建築の多くが紹介されていて、新たな情報に触れられた。

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京都市京セラ美術館

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「大正時代末頃の三条通模型。1:300」(1988年、京都府京都文化博物館蔵)

 再び烏丸通と三条通の交差点付近には、さらに西には1920(大正9)年の文椿ビルディング(西村貿易店)、角に1906(明治36)年、辰野金吾設計のみずほ銀行(第一銀行)、東北に前述の新風館、三条通を東に向かうと中京郵便局、さらに1906年、辰野金吾の京都府京都文化博物館別館(日本銀行京都支店)と煉瓦造りなどが立ち並ぶ。

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文椿ビルディング

 さらに進むと、1914年、辰野らのTSUGU京都三条(日本生命)、1916年のSACRAビル(不動貯金銀行)、1890年の家邊徳時計店、1928年、武田五一(1872~1938年)設計の1928ビル(大阪毎日新聞)などを過ぎると、河原町通に達し、それを超えると鴨川にかかる三条大橋に至る。

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TSUGU京都三条

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SACRAビル

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家邊徳時計店

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1928ビル

河原町通を三条から四条へ

 また、河原町通の三条通との交差点から下った四条通にかけても、歴史的西洋建築が残っている。1916(大正5)年、辰野金吾のflowing KARASUMA(山口銀行京都支店)、その裏に1931(昭和6)年の京都芸術センター(明倫小学校)、河原町通と四条通の交差点付近には、1915年の三井住友銀行(三井銀行)、1938年のCOCON KARASUMA(京都丸紅ビル)、「1」で述べたヴォ―リズによる1928年の大丸京都店がある。COCON KARASUMAは2004年、隈研吾によるリノベーションである。

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flowing KARASUMA

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三井住友銀行

 これらには、三井住友銀行のように、正面のファサードなどの意匠(デザイン)を残して改築、リノベーション、新築されたものもある。完全に現代建築と思って見過ごしたなかに、そういう意匠を見つけるのも、街歩きの楽しみの一つといえるかもしれない。それでも、それを見つけると、もっと原型を残せなかったのかと、残念な思いにも駆られるのだ。なお、写真の名称などは現在の建物のものとした。

京都奈良紀行~歴史的建造物を訪ねて~3~に続く

■志賀信夫執筆他のブログ https://tokyo-live-exhibits.com/tag/%e5%bf%97%e8%b3%80%e4%bf%a1%e5%a4%ab/

志賀信夫
Nobuo Shiga
批評家・ライター
編集者、関東学院大学非常勤講師も務める。舞踊批評家協会、舞踊学会会員。舞踊の講評・審査、舞踊やアートのトーク、公演企画など多数。著書『舞踏家は語る』(青弓社)共著『美学校1969~2019 』『吉本隆明論集』、『図書新聞』『週刊読書人』『ダンスワーク』『ExtrART』などを執筆多数。『コルプス』主宰。https://butohart.jimdofree.com/

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