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自己紹介記事。コイツ何者?と疑問を持った方はこちらをどうぞ

Who is Liumei? 

2021年現在、おもに書籍編集者、ライター、翻訳者、児童英語講師をしているリュウメイズ企画の橋本留美です。
出版業やイベント開催も数年前までよくやっていました。
書籍ではとくに自己啓発、スピリチュアル、自然・宇宙法則、代替療法、微生物農法などの分野をよく担当してます。
著書として、地元茨城県常陸太田市の江戸時代の実話を現代語訳した『病父を尋ねて三百里~豊後国の二孝女物語』(新日本文芸協会)があります。

牡羊座のO型で、いろんな占いで開拓者タイプと出ます。空気読むのは苦手です、笑。
夫と娘の三人暮らし。紆余曲折を経て、今は地味~な日々の生活を楽しみ、幸せに暮らしています☺ちなみに、絵は描いてませんw(←若者にはわからないギャグ)

では、そこに至るまでの人生、一体どんな感じだったのか。

日本を飛び出しシンガポールに就職するまで

小さい頃は厳しくて口うるさめな父親のおかげもあって、愛着障害が割と大きな、自分に自信の持てない子に育つ。
田舎でクラス替えがなく少人数の小学校に通い、小1で友達が引っ越してから他の子とあんまり仲良くなれない6年間を過ごす。
中学校ではたくさんいい友達ができたけど高校ではその全員と別れてしまい、人とうまくコミュニケーションが取れなくて一部の知ってる人としか話せない場面緘黙症になってしまった時期も。
でも友達が少なかったおかげで他の子より勉強の時間があったのか、あんまり受験勉強はしなかったけど成績は校内でビリ10%以内からトップ10%以内になり、なんとか地元の茨城大学に合格(といっても理系は全くダメで小学生より計算できない)。親もとを離れて暮らし、人並みの自由を手に入れる、笑。
ちなみに厳しくするのは父の教育方針でもあったらしく、成人する頃にはあまりうるさく言わなくなった。

大学では、弁護士として数々の有名冤罪事件で無罪を勝ち取った恩師と運命的な出会いを果たす。
その尊敬する恩師に進学を勧められ、同じときになぜか内定していた会社が倒産してしまい、もう後がない状態に。この時ばかりは必死で勉強し、何とか横浜国立大学大学院の修士課程に入る。
大学院では国際開発を勉強し、海外生活に興味が湧くようになり、特に東南アジアに妙に惹かれて一度暮らしてみたいと思うようになる。
といっても目指していた開発協力の仕事では語学力が必須だったため、卒業後はアジアどころかなかなか就職先さえも見つからず、ひとまず開発協力NGOの国内活動に参加して約1年経験を積むことに。

その期間も終わり、これからどうするべ~と途方に暮れていた矢先、国内の就職難で海外現地就職をする人が増えていることを知る。「現地就職? シンガポールならいけんじゃね」と思い(嘘です当時は「~じゃね」なんて言葉はありません)、一か八かシンガポールに渡って就職活動にトライ。
するとありがたいことに日系電機メーカーが雇ってくれることになり、念願のアジア生活が叶う。

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当時のシンガポールの目抜き通り、オーチャードロード。

ハードだけど充実してた海外生活

最初は慣れなくて大変、しかも孤独だった海外生活も、たくさんの人に助けられ、だんだんいろんな国籍の友達もでき、充実した日々を送れるように。

仕事は毎日がトラブル続きのお祭り状態で、ひじょーに大変な反面面白くもあり、やりがいを感じてワーカホリック気味に一生懸命働く。
ところがなぜかだんだん生理不順、PMSがひどくなってきて、毎月何日も休まないといけない状態になり、仕事が続けられなくなって4年で退職。
それから1年NUS(シンガポール国立大学)の中国語クラスで勉強し、コース終了後また別の会社に就職したけれど、一向に体調は良くならず。ホルモン治療を受けたり子宮内膜症の手術を受けたりしたけど、逆に薬の副作用で症状はひどくなり、精神的にもダメージを受ける。
最後にはあまりの心身の調子の悪さにとうとう6年間のシンガポール生活に終止符を打ち、日本に帰国することを決意。

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・・・シンガポールは当時まだ家賃が安かったので、友達とルームシェアしながらこんな一見豪華なプール付きコンドミニアムに住めた時期もありました☺ 仕事してる間は忙しくてプールにも全然入れなかったけどね・・・😅 ヘッダー写真は外の庭に咲いていたお花です。

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良く食事&飲みに行った当時のホーランドヴィレッジ。デジカメが出たての頃だったので夜の撮影はぶれぶれ。

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旧正月前のマーケットがにぎわうチャイナタウン。

ちなみに病気休暇が多すぎて長期休みは取れなかったけど、週末の三日連休など利用してマレーシアのビーチには足繫く通い、タイやインドネシア、ベトナム、ラオス、ミャンマーなどにも足を運ぶことができました。

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シンガポールから一番近いマレーシアのビーチリゾートと言われるシブ島には何回も行きました。

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マレーシアのコタバル。アクセス不便で文化も都市部と大きく違い、全員体調不良になったり大変な旅行を経験しましたが、ここから行ったプルフンティアン島は過去ナンバーワンの美しいビーチでした。

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帰国前の最後の旅行で訪れたスコタイ。

海外ならではのニュースな出来事といえば、(1)インドネシア人の友達の結婚式のために滞在したジャカルタでテロ事件が発生し眠れぬ一夜を過ごした、(2)日本がサッカーワールドカップ出場を決めた世紀のジョホールバルの決戦が見れた、などがあります。(ここは太字でドヤりたいところ)

また当時はネット文化が始まったころでSNSもなく、ホームページを立ち上げてシンガポール生活について綴っているうちに、日本語の文章を書く楽しさに目覚めました☺

→なんと消えたジオシティーズのアーカイブがあった!

帰国して起業。うまくいかない経験から学びはじめる

帰国後は自宅療養と称し、実家で半年以上半分引きこもり生活を送る。でも無職でお金もなく、親にも責められて肩身が狭かったので、フリーでの仕事を目指し翻訳の勉強を始める。するとちょうどその直後、県内の会社で翻訳コーディネーターを募集していることを知り、渡りに船と思い就職。実家を出て一人暮らしを始めることに。

ところがその会社がほとんどの社員が1年以内で辞めるとんでもないブラック企業だったため、早々に退職。これはもう独立して仕事するしかない、って状況になり、もと同僚と翻訳事務所を開き共同経営を始める。
まだ体調も万全ではなくて、最初は大した仕事もなく大変だったけど、だんだん仕事も増えて数名のスタッフも雇えるようになり、2年後には会社組織になった。
翻訳の仕事は科学技術系の論文が多く、外国暮らしで日本語の難しい文章が読めなくなっていた私には最初キツかったが、徐々に慣れてコツを掴めるように。

その頃、体調のことや会社経営の悩みを解決したくて、いろんな本を読み漁り、スピリチュアルや自己啓発、自然療法などについて学びを深める。
さらに同じような価値観を持った人たちのグループと出会い、活動を共にするようになる。
その中で夫と出会い結婚、娘を出産。同じころ仲間が文化芸術活動の協会を立ち上げ、出版業を開始するというので、翻訳事務所の経営からは退き、育休後に独立。同協会の活動に参加することに。

子育てしながら編集者、ライター、英語講師に

子どもができてからは、それまでにない幸せを感じることも多い反面、ワンオペで「孤育て」が辛い日々を過ごす。1歳で娘が保育園に入って緩和されたけど、それからもなかなか仕事と家事育児の両立がうまくできなくて悩み続ける。
ただ、時々実家に帰って両親を頼ったり、ちょうど震災の時期に夫の転勤で義父母の家の近くに引っ越してからは、義父母にもすごく助けらてなんとかやってこれた。
さらに世の中のコンプライアンスが厳しくなるとともに、夫もプライベートの時間がとれるようになり、家事育児もマメにやってくれるようになった。

仕事では、独立後いろいろなイベントを開催したりしながら、出版業のことを少しずつ学んでいき、自分でも企画出版をしたりといろいろな試みをしていたが、なかなか軌道に乗らず試行錯誤の日々を送る。

でもある時、仲間との活動で出会った先生からご依頼をいただいてお仕事を手伝ったのをきっかけに、出版社から編集・ライターの仕事を請け負うようになる。
するとなぜかあちこちで「憑依型」と評判をいただくようになり(笑)、徐々に依頼が増え始める。やってるうちに自分は集中が必要な仕事と事務作業との両立がかなり苦手だということがわかり、販売や出荷など細かい仕事の多かった出版業は休止して編集やライター業に専念。現在に至る。

ただ語学の仕事には関わっていたかったので、3年ぐらい前に通信講座で児童英語講師の勉強を始め、J-SHINEの小学校英語指導者準資格も取得。意外にも口コミだけで問い合わせをいただくようになり、今は自宅で細々とレッスンもしている。

本当の自分を取り戻し、幸せを感じる日々

今振り返ってみると、結婚して子どもが生まれてからの自分はそれまでに比べて段違いに幸せにはなったけど、まだどこか辛く、苦しかった。
それは自己評価が低いまま下手に自己啓発を学んで、人格を高めることやポジティブに考えることが大事だと思い、「自分ではない何者か」になろうとしていたから。

だから実際はいい人じゃないのにいい人になろうとしたり、人に感謝できないのに感謝しようとしたり、好きなことをがまんして「でも自分は幸せだし」と思おうとしたり、ネガティブなことを考えてしまうのに良いことを無理やり考えようとしたりして、どんどん自分らしく生きれなくなっていた。

ずっと自分を認められない心を抱えて、「成功したら自分を認められるんじゃないか」とここにない幸せを求めていた。
でもその心をどうにかしない限り、いくら成功したとしても絶対に幸せになれないってことが今なら良くわかる。

幸いその後、いろんな方との出会いに恵まれて、どんなに性格悪くてワガママでネガティブな自分でも、それが自分だ、別の人になる必要はない、ありのままの自分で生きていくんだと思えるようになってきた。

そうしたらだんだん他人の生き方も認められるようになり、自然に感謝の気持ちも湧くようになり、それどころか何も無理せず自分の喜びでやったことで人から感謝されることも多くなった。
自分が苦手なことはそれが好きな人にやってもらい、自分は自分が好きで人が苦手なことをやりながら楽しく生きられるようになってきた。

以前の自分は、本当は幸せに思えなくても「私って幸せだなあ」って思おうとしては辛くなっていたけど、本当の自分で生きられるようになった今は、日常の何気ない瞬間に「ああ、私って本当に幸せだなあ」って思いが自然と湧いてくる。
しかも心から幸せを感じられることが増えれば増えるほど、「思いが現実を作る」という説の通り、家のことも仕事のこともどんどんいい方向に進んでいってる。

・・・ていう感じで、いろいろありましたが、今は何かと不安定な世の中にいながら、日々幸せを噛み締めながら暮らすことができてます☺ 

過去の出来事を話すと「波乱万丈だったね」「大変な思いをしたんだね」と言われることが多く、確かにそうだったかもしれないんですが、やはりうまくいかないのは自分が本当に行きたい道から逸れているときばかりなんですよね😅 本当の自分の思いを大事に生きるようになったら下手なトラブルもなくなってきました。
トラブルさえも自分を幸せに導いてくれるために起こるんだってことが、今ならよくわかります。

あとこうやって振り返ると本当にたくさんの方に助けられて今の自分があることがよくわかりました。感謝しかありません( ;∀;)

これからも日々の生活に幸せを見つけてはnoteで綴っていきたいと思います。また仕事柄いろんな素敵な方と出会っては人生に活かせるような学びを深める機会も多いので、その情報も今までのようにシェアしていきますね!

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ときどき、健康やスピリチュアルな相談、人生相談などをいただきますが、コンサルみたいな感じになると無料では難しいです。知識的なことは本に書いてある通りなので、まずはそれぞれの作品をお読みください。

作品リスト

2020年までの編集協力の作品リストは表紙のみの公式サイト笑へ→http://www.liumeis.com

2021年からの作品リストはこちら。

ミラクルばかりの幸福な人生に変わる 七龍神の開運お作法 望月 彩楓 KADOKAWA

太陽の法則 心のモヤモヤが消える究極のカウンセリング  佐藤 康行  KADOKAWA

すごいセルフ除霊 超開運「お清め」習慣 柳生 忠司  KADOKAWA




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