見出し画像

「台北ラブストーリー」第1話 出会いの予感

 2010年、台湾台北。

 台北の朝は、道路を埋め尽くす車とオートバイのラッシュで始まる。バス停には人があふれ、押し合うようにして乗り込むと、バスは急停止と急発進を繰り返しながら、走り続ける。

(携帯の着信音)ルルルルル

「あっ、圭?」

 電話の相手は加藤有紗(ありさ)。大学時代に一度付き合って、その後別れたにも関わらず時々こうして電話をしてくる。

「あんたさあ、台湾にいるって一体どうゆうこと~?」
「いやっ、なんか、前の担当者が急に体調崩して帰国しちゃったみたいでさ」
「え~~?あんた中国語なんか全然できないでしょ?なによそれ」
「ははは、そうなんだけど、俺もちょっとアレ、やばいなあって思ってんだよね」

 マジでヤバイと思っている。

 中国語は大学の第二外国語で選択していたから多少はわかるつもりだったんだけど、いざこっちに来てみると台湾の漢字はいわゆる繁体字というヤツで、俺が大学時代に勉強した簡体字とは全然ベツモノだったんだ。

「ははは、まあ、せいぜい頑張ってね。そっちで彼女でも作ればすぐうまくなるよ、中国語!」
「ははは、全然しゃべれないのにさ、彼女なんてできるわけないじゃん」

 目の前の席が空いたのを見つけてサッと座った。

「じゃあな、お前も仕事頑張れよな」
「うん、圭もね、再見(ザイチェン)」 ※またね

 実を言うと、有紗も大学時代に中国語を選択していて、こいつは真面目に勉強していたから俺よりも中国語のレベルは高い。

 俺は携帯をしまって、ヘッドホンをつけた。

 会社は、都心からやや離れた郊外にあるオフィス街にあって、通勤はバスで毎朝約1時間。最近は少し慣れてきたせいか、こうして音楽を聴いていると仮眠できるようになってきた。

 バスに揺られながらウトウトとしていると、突然、バスが急停車した。

 キキキ~~~! 

「あっ!!」

 目の前に立っていた女が、突然バランスを崩してこちらに倒れかかってきた。俺は、一瞬目を覚まして彼女を見た。

 次の瞬間、彼女のバッグがビュンと音を立てて遠心力を蓄えながら目の前に飛び込んできた。

「ぎゃ!」

 彼女のバッグが思い切り俺の目を強打して、思わず変な声を上げてしまった。

「啊!先生!對不起!對不起!」※あ、ごめんなさい!ごめんなさい!

彼女が中国語で謝った。

「いや、大丈夫です」

 俺が日本語でそう言った瞬間、バスは今度は逆方向に大きく揺れた。

 キキキ~~!

「あ!」

 更にバランスを崩した彼女は、今度は何の抵抗もできずにそのまま俺の上に覆いかぶさってしまった。

--- 彼女の顔が、座っている俺の顔の10センチ手前まで近づいている。

 髪は長くサラサラで、銀縁の眼鏡をかけていた。

--- ほんの一瞬の出来事だった。

 彼女は、真っ赤な顔をしてサッと体勢を立て直し、もう一度申し訳なさそうに言った。

「先生!對不起!真的不好意思!」※ごめんなさい!本当にごめんなさい! 

 俺は、目の前で一生懸命謝っているこの女をあらためて見直した。上は白のブラウスで、下はグレーのスカート。眼鏡の奥の瞳は大きく、睫毛も長い。

 やがてバス停に到着し、ブザーを押して立ち上がると、彼女は真剣な眼差しでもう一度俺を見つめて謝った。

「真的不好意思・・・」 ※本当にすみませんでした

 俺は一瞬どう答えていいのかわからず、

「あ、いや、大丈夫です。OK、OK」

 そう日本語で言ってバスを降りた。

 その時はまだ、これが台北ラブストーリーの始まりだとは想像もつかないでいた。


◇ ◇ ◇

 その日は、一日中頭の中を同じシーンが繰り返しリピート再生していた。

「啊!先生!對不起!對不起!」※あ、ごめんなさい!ごめんなさい! 

 目の前10センチのところで驚いたように見開いたその瞳が、頭に焼き付いて離れなかった。

(CDでは何度も聞いたことがあるけど、本物の "對不起" は、初めて聞いたなあ)

 俺は、今まで聞いたどんな中国語よりも彼女が恥ずかしそうに言った「ごめんなさい」が心に残っていた。すると突然メッセンジャーのアイコンが立ち上がって誰かが電話をかけてきた。

--- 有紗だ!

「に~はお~」
「有紗!あっ、そうだ、ちょうど良かった」

 有紗に聞きたいことがあった。

「なに?なんかいい話?」
「お前、中国語得意だろ?」
「うん、何?」
「對不起と不好意思ってさ、どこが違うの?」
「どっちも謝るときに使うんだけど、不好意思の方が少し軽い感じかな」
「へ~、すげえな。お前、何でそんなこと知ってんの?」
「あたしさあ、実は結構台湾のドラマとか見てんだよね」

 まさか台湾のドラマが日本で見れるとは想像もしてなかった。

「ねえ、なんで?なんで急にそんなこと聞いてくるの?」

 俺は、今日バスの中で起こった出来事を有紗に話した。

 すると彼女は「それって "出会い" じゃない?」と、ちょっとからかうみたいにそう言った。

「出会い?」

 なぜかその言葉に胸が少しぎゅっと来た・・・

「うん、出会いって突然はじまるものらしいよ」
「らしいよって、誰がそんなこと言ったんだよ」
「知らないけど、でもそれってチャンスだよ、絶対!」

 有紗の声が少しテンション上がってきた。

「でもさ、相手がどこの誰かもわからないし、もう二度と会わない確率のほうが高いんだぜ」
「そう!だからさ、だから~、もし今度偶然会うようなことがあったらそれは運命なんだよ」
「ははは、お前ドラマの見すぎじゃねーの?」

 そんな風に言ってはみたものの、実は何となくその気になってきた。

「何時のバスだったの?」
「えっと、俺んちの前を朝7時50分頃出るやつ」
「じゃあさ、これから毎日そのバスに乗ってごらんよ。また会えるかもしれないよ」
「ははは、いいよ別に会えなくたって」
「いいから、あたしの話聞きなさいよ」

 昔からこうだ。有紗は自分の話が通るまで絶対に許さない。

「もし、会えたらそれは運命だからね。絶対に逃しちゃだめだよ」
「逃すなって言ったって、会ったって何もしねえし」
「だめ、会ったら声かけるの!」
「お前さ~何言ってんだよ。俺中国語なんて話せないって言ってんじゃん」
「簡単な中国語あたしが教えてあげるから」
「いいよ~そんなの」
「いいよじゃなくて、あたしの言うとおり声かければ絶対大丈夫だから」
 
(有紗が教えてくれるなら、思い切って声かけてみようかな・・・)

 ちょっとそんなことを考えた。

「あのさあ、夜市とか行った事ある?」 ※夜市:Night Market
「ああ、あるよ。」
「そこで、お店の人が圭に声をかける時、何て呼んでたか覚えてる?」
「いや、よく覚えてないけど・・・」
「帥哥(シュアイグー)って呼ばれなかった?」
「うんうん!そんな風に呼ばれたかも!あれ何?」
「"かっこいいおにいさん"っていう意味。」

「はははは、マジかよ?俺、そんなにかっこいいか?」
「ば~か、みんなに言ってんだよ」
「ははは、ならわかる。で?」
「で~、女の人には何て声をかけるかというと "美女(メイニュー)" って言うんだって」
「へぇ~、メイニュー?どう言う意味?」
「美女って言う意味。まあ、日本語で言えば、お姉さんって言う感じらしい」
「へぇ~」

「だからさ、今度バスで出会ったら"ハイ!メイニュー"って声かけるといいよ」
「なんだよそれ?やだよ、いきなりそんなの~」
「恥ずかしがってちゃダメだよ。台湾ではそれが普通なんだから」

 そう言って有紗は、なんとなく笑いをこらえてるようなそんな気がしたんだけど、その時の俺はそれに気づかなかった。

「メイニューか・・・」
「そう!」
「日本で言う "あの、ちょっとすみません!" みたいなノリなのかなあ~」
「あ、そうそう!そういうノリ!」
「わかった。ありがとう」
「ははは、お礼なんていいよ~がんばってね。結果聞かせてね」
「有紗~」
「ん?なに?」
「あ、いや、お前案外いいやつだな~サンキュ~」
「ははは、何言ってんの~友だちじゃん」

 俺は、親切に色々教えてくれる有紗に感謝の気持ちでいっぱいになってきた。

 (メイニューか~~~。マジで、もし会えたら声かけてみようかな・・・)

 その晩、頭の中で何度も「メイニュー」と、発音の練習をしてみた。

 なんとなく、中国語が話せるような気がしてきた。


◇ ◇ ◇


 翌朝、いつもと同じ時刻にバスが来た。大直方面行きの208号バス。まるでディズニーランドのアトラクションに乗るような気分で、少しワクワクしながら後方の乗車口から乗り込むと、この間とまったく同じ席に座った。。

(確か、この間は、圓山駅で乗って来たはずだよなあ~)

 駅が近づくにつれて少しずつ緊張してきた。

 俺は、心の中で「メイニュー」と何度も繰り返した。

--- 駅に着いた。

 たくさんの人が一気に乗り込んでくる。朝のバスは女だらけで、車内は結構華やかな雰囲気に包まれる。俺は人混みの隙間から前方の入口を見つめた。

 (来ないなあ~)

 やっぱり、もう二度と会えないのかなあ、と少し落ち込んだ。やがて車内がいっぱいになった頃を見計らって運転手がドアを閉めようとしたその瞬間、俺は見た。

 (あ!!来た!!) 

--- 間違いない!彼女だ!

 運転手が彼女に気づいてドアを開けた。

(あ、まずい!!マジで来ちゃった!!)

 俺は、さっきまでとは打って変わってうろたえてしまった。息を切らして前方の入口からバスに飛び乗った彼女は、人の隙間を縫うようにしてこちらにどんどん向かって進んでくる。

(やべえ、こっちに来る!何て言うんだっけ、どうしよう!)

 さっきまで余裕で「メイニュー」と繰り返し練習していたのに、いざ彼女を目の当たりにしたら情けないほどうろたえてしまった。

(落ち着け、落ち着け)

 心の中で有紗が教えてくれた言葉を繰り返していた。

(メイニュー・・・メイニュー・・・)

 やがて彼女は、俺の目の前で足を止め、吊革につかまった。

(どうしよう・・・もしかしたら、俺のこと覚えていないかもしれないし・・・)

 彼女は、緑色の大き目の四角い手提げ袋を持っていた。無印かどこかで売っているようなシンプルなデザインだけどセンスは悪くない。

--- 中から何かのぞきこんでいる。

(なんだろう?これ・・・)

 彼女の手提げ袋の中には、なにかハンバーガーの写真のようなものが写った下敷き状の厚紙が数枚入っていた。俺は彼女と目が合わないようにずっと下を向いていた。

(駄目だ・・・中国語なんてわからないし、声なんかかけられない・・・)

 すると、昨日の有紗の声が頭の中でこだました。

--- もし会えたら、それは運命だからね。絶対に逃しちゃだめだよ!

(運命なのかなあ・・・)

 そう思ってふと顔をあげると、一瞬彼女と目が合った。

「啊!」 ※あ!

 最初に声を発したのは、彼女の方だった。明らかに、俺のことを覚えている様子だった。

 (今だ!!声をかけろ!!)

 有紗の声が聞こえたような気がした。

「あ、あの・・・」
「啊,你是・・・」 ※あ、あなたは・・・

 思い切って声をかけた。

「あ、あの・・・メイニュー・・・」
「????」
「あ、メイニュー・・・実は・・・」
「啊,不好意思」 ※あ、ごめんなさい
「あ・・・」
「你說什麼?」 ※何て言ったんですか?

 (あああ、やっぱり通じないんだ~~)
 (ごめんなさいって言ってた・・・)
 (発音が悪いからメイニューがわからないんだ・・・)

「あ、いや、I cannot speak Chinese なんです、あ、はい、すみません」

 苦し紛れに訳のわからない英語と日本語で答えた。

「あの・・・あなた・・・にほんじん、ですか?」
「ひっ?」

 なんと、彼女が日本語をしゃべった!!!!

 俺は驚いて彼女を見つめた。

「わたし、いま、にほんご、べんきょうしています。すこし、はなせます」
「えっ?・・・」

--- 運命だ!これは本当に運命の出会いかもしれない!!!!

 有紗の言うとおりだと思った。

◇ ◇ ◇

 彼女は、片言の日本語でゆっくりと喋り出した。
 
「あの、あなた、このあいだのひと、ですね?」
「あ・・・いや・・・はい」

(やっぱり覚えていてくれたんだ!)

「あのとき、ごめんなさい・・・」
「あ、いや、そんなに謝らなくていいんです・・・はい・・・」

(やっべ~、マジで緊張してきた・・・)

「あの、あなた、さっき、なんと言いましたか?」
「さっき?」

 やっぱり彼女は、さっきの俺の言葉が聞き取れなかったんだ!

「あ、さっき・・・あの・・・メイニュー って言ったんです・・・」
「メイニュー?」 

 彼女は不思議そうな顔をして俺を見た。

「あ、わかりませんか? メイニュー・・・って言ったんですが・・・」 
「あっ、ああ~」

 彼女は、突然「わかった」というような顔をして、緑色の手提げかばんの中からさっきのハンバーガーの写真が写っている厚紙を取り出してニッコリ微笑んで言った。

「わかりました、これですね」
「は?」

 意味がわからなかった・・・

「いや、これなんですか?」

 そう尋ねると、彼女はにっこり笑って「Menu(メニュー)です」と言った。

--- Menu(メニュー)???

「你剛剛說Menu,對吧?」 ※さっき、あなた、メニューって言ったんですよね

「え?」

 突然謎が解けた!発音が悪いから メイニュー(美女) が、Menu(メニュー)に聞こえちゃったんだ!

(やばい、うまくごまかすしかねえぞ)

「あ、そうそう、Menuです。」

 彼女は、ホッとしたような顔をして俺を見た。

「あの、どうして、あなたはモスのMenuを持ってるんですか?」
「わたしは、広告会社で、はたらいてます。これはMenuのサンプルです。」

 彼女の日本語は、たどたどしいけど発音がしっかりしていてとても聞きやすい。そうこうしているうちにバス停が近づいてきた。俺は、勇気を振り絞ってきいてみた。

「いつも、このバスに乗るんですか?」
 
 彼女はニッコリ笑って「はい」と答えた。俺はその笑顔がとても素敵だと思った。
 
「じゃあ、また明日」

 そう言うと、彼女はやはりにっこり笑って「はい、またね」と言った。

 俺はゆっくりとバスを降りて空を見上げた。
 
(運命の出会いだ~~~~)

 思いっきり大声で叫びたい衝動にかられた。

◇ ◇ ◇

 夜、家に帰るとFacebookにメッセージが入っていた。
 
--- 髪の長い銀縁眼鏡の彼女には会えたの?

 有紗からだ!俺は、すぐ電話した。

「ハロ~どうだった?今朝」

 有紗は、開口一番そう言った。

「ありさ~~運命の出会いだ」
「マジで?」
「ははは、ホントに会えた!」
「すごいね!それで?」
「それでって、う~ん・・・」

「ああ、じれったいなあ~声かけたのか?って聞いてんの!」
「ああ、ははは、かけたよ、でもなんか通じなかった」
「え?マジすか?」
「なにが?」
「いや、あんた何て声かけたの?」

 有紗は、何か俺の返事を待ちきれないという様子でせかした。

「お前の言うとおり、メイニュー(美女) って声かけたんだよ」
「ぎゃはははははは」

 有紗は、ものすごくうれしそうに笑った。

「なんだよ」
「いや、ごめん、それで、相手は何だって?」
「なんか、意味がわからないみたいで」
「うんうん、それから?」
「持っている手提げ袋の中からモスバーガーのメニューを取り出してさ」
「モスのメニュー?はぁ?」
「これメニューです、って言ってた」
「ぎゃはははっはっははっははははは」

 その瞬間有紗は笑いすぎてしばらく会話ができなくなった。

「お前さあ、笑いすぎだぞ」
「あ、ごめん、はははは」
「俺さ、発音悪いから、彼女きっとメイニューをメニューと勘違いしちゃったんだよ」
「ははははは、あのさ、どうでもいいけど彼女何でモスのメニューなんか持ってんのよ」
「いや、オレもさ何でだろう?って不思議だったんだ」
「も~マンガじゃないんだから、そのタイミングでモスのメニューが出てくるなんて出来すぎてるじゃん~」
「いや、なんか彼女さ、広告会社に勤めてるらしいんだ」
「広告会社?」
「うん、新メニューのサンプルを持っていくらしいんだ」

 有紗は、笑いをこらえながら言った。

「ははははは・・・圭、ごめん!あたしが悪かったよ」
「なんだよ、お前、別にお前のせいじゃないし」

 俺は、そこで初めて有紗に騙されていたことを知った。
 普通、そういう場面で声をかけるときは、「不好意思」でいいらしい・・・

「でもさ、普通、初対面の外国人にいきなり メイニュー(美女) なんて言われたらドン引きするよね」
「お前さあ、ふざけんなよなあ」

 有紗は、そう言ってまた笑い出し、しばらく話すことができなかった。

(まあ、騙された自分が悪いんだけど、話しかけることができたんだから、良しとするか・・・)

 俺は、有紗に騙されたことなどどうでもいいほど浮かれていた。

「それで?仲良くなれたの?」 

 有紗が興味津々に聞いてきた。

「ああ、毎日同じバスに乗るんだって。また明日って言ってたから、たぶんまた明日会えるかもしれない」
「ふ~ん、あんた、よく中国語わかったね」
「あ、いや、それがさあ、彼女日本語ちょっと話せるんだよ!」
「マジで?すごいじゃん!」
「そうなんだよ、俺もなんか運命感じちゃってさ」
「じゃあさ、日本語教える代わりに中国語教えてくれとか言って約束すれば?」
「いいね、それ!」 

 なんとなく、わくわくしてきた。

「有紗~好きなものは何ですか?って何て言うんだっけ?」
「ん?你喜歡什麼(ニーシーホワンシェンマ)?とか、そんな感じでしょ。」
「おおお~~」
「あっ、じゃあさ、あたしが彼女の役やってあげる!練習練習!」
「ありさ~~ありがとう~~~うううう」
「はいはい、泣かないで、じゃあ、行くよ。」

---你喜歡什麼? ※好きなものは何ですか?

「あ、俺?」
「そう、あんた何が好きなのよ?」
「なんだろう、納豆とか・・・」
「あんた、バッカじゃない?納豆なんて台湾人はみんな嫌いだよ!」
「マジ?」
「わかんないけど、ほら例えば "読書" とか答えんのよ」
「あ、そうか。」

---我喜歡讀書(ドゥーシュー)・・・・・・

「あ、あのね、普通日本で言う読書は 看書(カンシュー)って言ったほうがいいみたいだよ。」

 知らなかった・・・

「じゃあ、たとえばどんな本が好きなの?」
「俺?う~ん・・・のだめ・・・とか?」
「ぎゃはは、それいいじゃん!のだめカンタービレ!台湾でも人気あるし」
「マジ?ははは、のだめってさ、中国語でなんていうんだろ?」
「ググレ!」

 グーグルで「のだめ 中国語」と検索すると、すぐ見つかった!

「交響情人夢・・・こうきょう・・・じょうじんゆめ・・・ヤベぇ、俺、これ、読めねえよ」
「なに日本語読みしてんのよ!グーグル翻訳で発音聞けるよ!」

 早速グーグル翻訳に「交響情人夢」の文字をコピペして、発音を聞いてみた。

--- ♪ ジャオシャン、チンレンモン ♪

「お~~~~~!!」 

 俺と有紗は、妙に盛り上がった。

--- 我喜歡交響情人夢(ウォ~シ~フヮン、ジャオシャン、チンレンモン) ※俺はのだめが好きです

 こうして、俺と有紗の中国語会話練習は夜中まで続けられたのである。


◇ ◇ ◇


 朝が来た。

 東の空から射し込む光がビルの隙間から斜めに通りを照らしている。街のあちこちで朝食店がテーブルを広げたり鍋を洗ったりと、せわしなく朝の準備を始めている。俺は、セブンイレブンでサンドイッチとオレンジジュースを買って、店内のカウンターに腰掛けた。

 7時50分まで、まだ時間があった。

 今日、もし会えたら名前を聞こうと思っていた。彼女は、日本語が少し喋れるとは言っても、まだ片言だし、自分でもやっぱり中国語できいてみたいと思った。

(そのために、昨日、あんなに遅くまで練習したんだからな・・・)

「請問,你叫什麼名字?(ニージャオシェンマミンズ)」※名前は何ですか?

 カウンターに座ってボーッと外を眺めながら、俺はそんな風に無意識につぶやいた。すると隣に座っていた労働者風の男が、突然クルリとこっちを向いた。

「啊~?」 ※あ~?
「啊、沒什麼、不好意思」 ※あ、なんでもないです、すみません

 俺はあわててサンドイッチを口に押し込み、立ち上がってバス停に向かった。

(やっべ~、もう少しであのおやじナンパするとこだった・・・)
(あれ?でも、あのおやじ、オレの中国語理解できたのかな?)

 昨夜有紗とやった会話練習の効果が出てきたのかもしれないと思い、少し自信が出てきた。
 
 いつものように7時50分のバスに乗り込み、今日は座らず後方入口付近に立った。バスはゆっくりと「圓山駅」のバス停に近づいていった。たくさんの人がバスを待っている。

 その人混みの中に彼女を探した。

 ジャージ姿の女子高生、通勤姿のOL、朝のバスは本当に女だらけだ。俺は目を泳がせるみたいに視線を走らせ、人混みの中のひとりひとりをサーチした。

(あっ、いた!)

 彼女は、少し背伸びするみたいにしてバスの中をうかがっていた。そして目が合った。

 彼女は、俺を見つけると、右手で小さく手を振りながら笑った。やがて扉が開いて、人が押し寄せてくる。そして人波にもまれるみたいにしながら彼女がバスに乗り込んできた。

「おはようございます」 

 彼女が日本語でそう言った。

「あ、おはよう~」

 俺は、中国語で何か答えようとしたけど、何も浮かばなかった。

「あの、また会いましたね」

 俺がそう言うと、彼女は「はい」と言ってにっこり笑った。

 バスが動き出した。だけど何を話していいのかわからず、しばらく二人は何もしゃべらなかった。

「あの・・・」

 突然、ふたり同時に話しかけ、急に力が抜けたみたいにリラックスしてきた。

「あの、・・・え~と」

--- 請問,你叫什麼名字? ※名前は何て言うんですか?

 俺は、何度も練習したこのフレーズを思い切って吐き出して、覗き込むように彼女を見た。

(俺の中国語、通じたかな?・・・)

「啊,・・・わたしは、シュー・ウェイメイです。」

(おおおおお~~~通じた!!!)

「あの、もう一度おねがいします。シュー?・・・」
「シュー・ウェイメイです。」
「あの、どんな漢字ですか?」

 そう尋ねると、彼女は突然俺の手をサッとつかんで、手のひらに指で文字を書き始めた。

 それはあまりにも突然の出来事だった。

--- ドキドキした。

 周りの喧騒が遠のき、一切の音が消えてしまったような気がした。そして時間が急にビデオのスロー再生みたいにゆっくりとスピードを落としていった。

「許(シュー)」・・・「唯(ウエイ)」・・・「美(メイ)」・・・

 初めて目にする中国語の女性の名前だ。

「あ、すごくいい名前だね」
「ほんとうですか~?うれしい~」

 俺は心からそう思った。

「あの、あなたのなまえはなんですか?」
「あっ、俺、草刈圭って言います。」
「くさかり・・・けい?」
「はい」
「いい名前ですね、あの、何てよばれていますか?」
「あっ、そうですね、圭(けい)って呼んでください」
「圭さん、ですね」

 今度は、俺が聞く番だ。

「あの、シューさんは、みんなに何て呼ばれていますか?」
「わたし、ウェイメイって呼ばれてます」
「ウエイ・・・メイ・・・?」

 俺が、少し発音しにくそうにしていると彼女はすかさずこう言った。

「あ、でも、難しかったら、日本語の名前、おねがいします」

(日本語の名前??)

「わたし、いつか日本に行きたいです。その時、日本語の名前あると、いいとおもいます」
「あ、じゃあ、オレが考えてあげる」

 俺は、彼女を喜ばせたくて必死で考えた。

(唯一の美。ゆいみ・・・ただみ・・・うう~~ゆみ・・・ん?・・・ゆみ・・・)

「あのね、シューさんの名前を日本語で読むと ゆいみ とか ただみ とか、そんな感じなんだけど・・・」
「はい」
「ゆみちゃん ってどうかな?」
「ゆみちゃん?」
「そう、日本人でも覚えやすいし、呼びやすいし、かわいいし」

 ちょっと興奮してきた。

「え~~~すごく、かわいいですね~~」
「どう?」
「うん、それにします!わたしのこと、 ゆみ ってよんでください。ありがとうございます!」

--- ゆみちゃんだ!

 日本語で呼んだら急にすごく親しみやすくなってきた!

 ゆみちゃんだ~~~~!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?