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「台北ラブストーリー」第3話 初めてのデート

 日曜日の朝がきた。

 南京東路駅隣の兄弟飯店は、古くて華やかではないけれど、日本語が話せるスタッフがいる落ち着いたホテル。駅に隣接しているため1階のロビーは朝からたくさんの人でにぎわっている。

 俺は約束の10分前に到着し、駅に置いてあった読めもしないフリーペーパーをひろげて「読めるフリ」をして彼女を待った。

--- 何となく落ち着かない。

 俺はほとんど中国語がしゃべれず、彼女の日本語もけして流暢ではない。ただ、幸い台湾の漢字は日本と同じものが多いから、筆談なら何となく意味がわかり、実はそれがすごく楽しい。

 俺は、昨日夜遅くまで整理した中国語会話集をもう一度見直し、やがて約束の時間が訪れ、少し緊張しながらホテルの入口を見つめていた。

 --- 来ない。

 と、突然携帯がなった。

「もしもし」
「あ、圭さん?ごめんなさい、15分おくれます」

 体の力が一気に抜けて急に落ち着いてきた。彼女が、確実にココに向かっていることがわかって急に安心したんだ。

 俺はそれからあわててトイレに行って、鏡の前で自分の髪型と服装を確認した。

 (なんか、こういう緊張感ってすっごい久しぶりだな・・・)

 何故だかわからないけど、日本人の友だちと会うのとは全然違う緊張感があった。10代の頃は、女そのものが未知の存在で、会うだけで緊張したものだけど、それも歳と共にだんだん慣れてきて、最近では初めて会う人に対してもこんなに緊張することはなくなっていた。

--- だけど今日は違う。

 たぶんそれは、言葉とか文化の違いに対する緊張感であり、変な話だけど自分は日本人の代表みたいな感じで、日本人として変な人と思われたりしたくないという気持ちが強く働いていたような気がする。

 今まで彼女と会うのはいつも通勤のバスの中だった。

--- だけど今日は違う。

 会社に行く時とは違う「普段着の自分」は、なんとなくファッションセンスとかそういうものを見透かされるような気がして、自分が外国人である彼女の目にどう映るのかがさっぱり見当がつかなかった。

(やばい・・・マジで緊張してきた・・・)

 そんなことを考えながらロビーの隅の椅子に腰かけ、平静さを装いながら入口を凝視していると、向こうから唯美ちゃんが入ってくるのが見えた。

「圭さん!」

 前髪を直しながら俺のもとに小走りで近づく彼女を見てドキッとした。茶色のブルゾンに薄めのマフラーを巻いて、ジーンズとショートブーツをはいている。

「あ、おはよう」

 俺はそう言ったきり、一瞬見とれてしまって言葉が出てこなかった。

 それはいつもの彼女、つまり銀縁の眼鏡をかけグレーのスカートと白いブラウスを着た彼女とはまったく違う、カジュアルで少し活発な感じのおしゃれな女性に変身した唯美ちゃんだった。

「おそくなってごめんなさい」

 唯美ちゃんは、大きな目をくるりと回して見上げるように俺を見ながらそう言った。

「やっぱり日本人は時間に正確だあ」

 そんな風に言ってから突然「行こ!」って言って俺のジャケットの袖口を少しつまんで引っ張った。俺は、明らかにいつもとは少し違う彼女の一面を見たような気がして少しドキッとした。

「あ、近いの?書店(シューディエン)?」

 俺がそう尋ねた瞬間、彼女は「過馬路(グオマールー)! ※渡ろう」と言って、ジャケットの肘のあたりを今度は少し強めに引っ張った。

--- その瞬間、音楽が流れたような気がした。

 テレビドラマなら、テンポの良い音楽が軽快に流れ始めるわけだけど、何となくそれに似た感覚。そして、あっという間に信号のカウントダウンが3秒を切って、渡り終わると赤になった。

 僕らは狭い歩道を肩を並べて歩いた。

 時々、すれ違う人を避けるようにして俺がバランスを崩すと、唯美ちゃんはさっきしたみたいに俺のジャケットの肘のあたりを指でつまむように軽く引っ張り、「小心(シャオシン)」と言う。

「ねえ、唯美ちゃん」
「はい?」
「さっきから、シャオシンって言ってるけど、どう言う意味?」
「あ、えっと、気をつけてください、という意味です」

(へ~~~)

 こういう日常の何気ない中国語を生で聞けて、しかも意味をすぐ教えてもらえるなんてすごいなと、なんとなく嬉しくなり、もしかして中国語がものすごく上達できるのではないかと、そんな気がしてきた。

 やがて微風廣場(ウエイフォン・グアンチャン)という高級百貨店に着いた。吹き抜けのあるビルの中には高級ブランドの店が立ち並び華やかな雰囲気が漂う。僕らはエスカレーターに乗って上に向かった。

ユニクロ、東急ハンズ、無印良品など日本の店がたくさん入ってる。

 「へ~~~!台北に紀伊国屋があるんだ!」

 たどり着いたその場所には、日本でお馴染みの紀伊国屋書店があった。

「你看你看(ニーカン) ※見て見て のだめ!のだめ!」
「お~~~!中国語の "のだめ" だ!」

 俺の反応がよほど面白かったのか、唯美ちゃんはケラケラと子供みたいにうれしそうに笑った。

 「ねえ、千秋先輩って、千秋學長(シュエチャン)って言うんだね。後輩はなんて言うの?」
「女ならシュエメイ(學妹)」
「へ~~、じゃあ、もしかして男だったらシュエディー(學弟)?」
「對對對(ドイドイドイ)! ※そうそうそう」
「ははは、おもしろい!じゃあ、これ、呀啵~(ヤポ~)って何?」
「ははは、これは、のだめの叫び声ですね」

  中国語の "のだめ" の中には、教科書には載っていない表現がたくさんあって、すごく面白かった。俺はとりあえず第1巻を買って、唯美ちゃんは日本語会話の本を買った。

「このまま、歩いてSOGOに行きましょう」

 彼女は、そう言ってまた俺のジャケットの袖口を人差し指でつまんで少し引っ張った。俺はそのたびに道に迷った子供みたいに小走りで彼女を追いかけるように歩いた。

 ううう~~~楽しすぎる~~~

 11月の終わりの少し肌寒くなってきた台北の空に向かって、俺は何か新しい物語の始まりを感じていた。

◇ ◇ ◇

 百貨店を出てガード下に沿って真っ直ぐ歩いていくとMRT駅の交差点にたどり着く。そこには日本でもお馴染みのSOGO百貨店が2つそびえ立っていた。ひとつは忠孝館、もうひとつは復興館だ。

 「あっち行ってみましょう」

 広い交差点を人混みにもまれるようにしながら、俺たちは復興館に向かった。長いエスカレーターを何度か乗りつないで上まで行くと、Levi'sやEDWINの看板が見えてきた。

「啊,你看(ニーカン) ※見て! これ、圭さんに似合います」

 唯美ちゃんは、黒のダウンジャケットを両手で広げて俺の肩に合わせた。

「着てください!」

 俺はうながされるままに、ダウンジャケットを着て鏡の前に立つと、彼女は俺のすぐ横にチョコンと立って、嬉しそうに少し首をかしげた。

 「ね、似合うでしょ?」

 鏡の中の二人は、ちょっと恋人同士みたいに見えてきた。

(やっべ~)

 俺は我慢できなくなってきて、「ねえ、ちょっと腕組んでみて」って言ってみた。すると彼女は突然「あっ!」と言ってサッと離れた。

「はは、ごめん、冗談・・・」
「はははは・・・」

 明らかにこれは領空侵犯であり、外国人である彼女との距離の取り方はもう少し慎重にしないといけないと思い反省した。

(やばいやばい・・・)
 
「ねえ、お昼にしようか?吃飯!吃飯(チーファン)! ※ご飯食べよう」

 話題を変えて、それから俺たちは忠孝館まで移動して、「勝博殿(サボテン)」というとんかつ屋さんでヒレカツ定食を注文した。今日の前菜は黒豆と大根の漬物だ。

「え~っと、これは黒豆(くろまめ)です」
「くろまめ?是什麼東西(シーシェンマトンシ)? ※それ、何ですか?」
「小豆(あずき)みたいなものかなあ・・・」
「あ・ず・き?」
「うん、中国語で言うと、え~っと、"シャオトウ(小豆)"だ!」
「シャオトウ?」 

 唯美ちゃんは、ビックリした顔をして大声で笑い出した。

「ん?おかしい?」
「ははは、それはシャオドウです」
「え?シャオトウじゃないの?」
「圭さん、シャオトウは ”小偷(シャオトウ)” と書いて、泥棒の意味ですよ」

 唯美ちゃんが、紙ナプキンに中国語を書いて丁寧に教えてくれた。

 中国語の発音は本当に難しいと思った。発音を少し間違うとまったく違う意味になってしまうんだ。ただその間違いが可笑しくて、中国語の勉強は本当に楽しいと思った。

「発音、むずかしいです。」

 唯美ちゃんが笑いながら言った。

「わたしも、そういう間違いたくさんありますよ」

 昨日からずっと、食事をするときに何を話そうかと考えて緊張していたんだけど、小豆と泥棒の話で大いに盛り上がってしまい心配はいらなかった。

「圭さん、再來一碗(ザイライイーワン)って、日本語で何て言いますか?」
「あ、ご飯、おかわりする?」
「はい、おかわりします。本当においしいです。日本のごはん」

 唯美ちゃんは、日本のお米は本当においしいと何度も言いながら、自分が日本のことを好きな理由をたくさん話してくれた。

--- 日本人は礼儀正しいし、時間に正確です。
--- 日本のアニメや音楽は、どれもすばらしいです。

 俺はそんな風に日本のことを褒められて、なんとなく恥ずかしいような嬉しいような気がしてきた。

「圭さんは、台湾が好きですか?」
「俺?もちろん、大好きだよ!」
「本当ですか~?うれしい!」

 彼女は無邪気にそう言って、箸を置いて笑顔で俺を見つめた。

「わたしもね、日本のことが本当にだいすきなんです」

 その瞬間俺は、生まれて初めて日本人であることを誇らしく思った。
 これまで優柔不断で何に対しても前向きになれなかった自分でも、もしかしたら何かできるんじゃないかとそんな気がしてきた。

 それは、自分の中で何かが変わっていく前触れのような瞬間だった。



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