家族時間は、量よりも質。
今週末は、私と夫のバトンタッチ制で過ごした週末だった。
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土曜日の午前中は仕事の私。お手伝いさんが子どもの相手をしてくれる。さらに夫も加わって、なんだかガーデニングをしていたらしい。
土曜日のお昼はみんなで揃って。午後には私はジャーナリングのワークショップがあったので、夜ご飯の準備をしてからキッズを夫に託してお出かけ。
夕方帰宅すると「ダディーと習字をしたよー」となんだか楽しかったようで。それは良かったね。今日は墨がTシャツに使たなかったね!
家族そろって、みんなで夜ご飯。収穫してくれた大根をたくさん使いましたよ。田舎の母ちゃん風煮込みといったところでしょうか。
贅沢に日本から持ってきたお餅を投入。田舎風に拍車がかかる。食べるのに大騒ぎの長男。喉に詰めないでね。
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日曜日の午前中は、夫がマウンテンバイク。仲間の何人かがこの夏でこの地を離れるそうで、ちょっと頑張る長距離ライドに出かけるらしい。
昨日お願いした分、今日は私が!と気合が入る。子供二人つれて、歩行者天国へお散歩に行って、バッタリ会うだろうなと予想していた友達家族とカフェに立ち寄り。
夫はみなさんとランチをすると聞いてたので、帰宅してから、チャチャッとチャーハンを準備して、キッズと食べる。こぼれるよねー。
思ったよりも長距離で帰宅が遅くなった夫がシャワーをし終えたら、急に入ってきたお友達からの相談のために私がお出かけ。
相談の内容をいろいろと思い返しながら帰宅して、子供たちと騒がしくお風呂に入って、お昼ご飯と同時に仕込んでおいたパスタソースを温めなおして、みんなで夜ご飯。
スパゲッティって床にへばりつくから大変だけどさ、でも楽しいよね。なぜか髪の毛にもへばりついていました。
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少し前なら「こんな形じゃせっかくの週末が家族時間じゃない…」と悩んだかもしれない。
でも『家族時間は、量よりも質』という考え方を取り入れたからこそ、まったく罪悪感はなかった。
それと同時に、この週末は、子供とも夫とも衝突しなかった。ちょっとだけ、私が成長したのかもしれない。
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少し前の私は「家族時間を大切にする」ということに意識を向けすぎていた。
週末は家族みんなで過ごせる時間だと思っていたから、お友達の家に行ったり、何かアクティビティを入れて、楽しく過ごしたいと思っていた。
でも。
家族で過ごす時間が増えれば増えるほど、お互いがくたびれてくる。イライラも増えてくる。言い言葉に買い言葉も増えていく。
何よりも悲しかったのは、夫から言われたこの言葉。
なぜだろう。私にとって、一番大切なのはご飯の時間だと思っていたのに。
相変わらず「おばあちゃんの思い出」に囚われすぎているんだろうか。でもさ、みんなで食べないなら、もはや家族しなくて良いんじゃない?と考えさせられた。
自分にとって軸となる「ごはんの時間」を死守するために、それならばと考えた作戦が、「家族みんなでいない時間」を作ること。
自分だけの時間を作ることに、一切の罪悪感を覚えずに出かけるところから始めてみた。「楽しんでくるね!」「はーい!」とそれだけ。
「家族のため」という言いがちな言葉を封じ込めて「自分のため」の活動をし始めてみた。
すると、少しずつ「家族家族」と言って、首を絞めていたのは自分だったのかもしれないなということに気が付いてきた。
少しずつだけど、イメージしていた「家族の週末」からは離れつつある。でも、今の私たちには、これくらいがちょうどいいのかもしれない。
相変わらず「いや、でもさ、子供が小さいのって今だけであって。もうすぐ彼らの週末はお誕生日会やらサッカーの練習で忙しくなるんだから、家族でいれるうちに、家族で何かやろうよ」みたいな声が頭の中で聞こえてくるんだけど。
でも、ぐっと思い出す。
無理に家族みんなで一緒にいようとしてキーってなって、夫に「そんな言葉を子どもに発する親がどこにいるんだよ」と怒鳴られた日。親として、妻として、もう死にたいと思った日。
いつか子どもたちが「小さい頃の週末」を思い出す日が来たとして、「なんだか母ちゃんずーっとイライラしてて居心地悪かったよな」「週末だけがどよーんとしたよね」なんて言われたくない。
幸い彼らはまだ小さいから、そんなことは覚えてないかもしれない。でも、楽しかった記憶を残してほしいからこそ、無理をするのはやめよう。
自分の中にある映画の中の世界みたいな「家族みんなでワイワイしている週末」は、あくまでも理想なのかもしれない。いや、もしかすると、ワイワイは丸一日じゃなくていいのかもしれない。
今のところ「みんなで夜ご飯」は死守できているのだから。そして、そのご飯の時間が、ワイワイになっているのだから。それでいいのかもしれない。
それぞれ時間を過ごして、最後の夜ご飯が穏便な時間になれば、それで十分。みんなでテーブルを囲んで、おやすみーっていう「終わりよければそれでよし」作戦を、これからもやってみよう。
家族ってさ、難しいね。
サポートありがとうございます。私のところで止めるのではなく、別の方へのサポートという形で「幸せの輪」をつなげていきたいと思います。