ただ書いただけの記事が、受け入れてもらえる場所。
お友達と話していた時に「noteって居心地がいい」という話になった。
いろいろな媒体に手を出してみては、ちょっと休憩モードに入ったり、そもそも続かなかったものも多い私。
でもnoteだけは「ちょっと苦手だな」という時期に突入することなく2年以上経っている。先日も27か月続いていますよとnoteが教えてくれたばかり。
でね、なんでかなーって考えてみたの。
たぶん、noteはかっこつける必要がないからじゃないかなぁ。
「誰かが見ているから」を意識しなくても大丈夫な場所って、最近減っていませんか?
どこを見ても「有料級の有益な情報を、コンパクトにまとめて、ビジュアルで分かりやすく」「情報発信は滅私奉公。だれもあなたのことに興味なんてないから、情報だけを提供すべし」みたいなハウツーで溢れている。
そういうルールに乗っかれば、もしかしたら「フォロワー数は爆増!」するのかもしれないし、「1か月で××万円稼げる!」かもしれないんだけど。
でもさ、クリエイティブな遊びって、見返りを求めてやるものじゃないと思うんだよね。(そういう方は、遊びと思ってなくてマーケティングツールと捉えているんだろうけれど)
そんな中で、ただただ、好きなように書いていいんだよ、って言ってくれる場所はnoteは暖かい。
そして、実際に「誰かに見てもらえるか分からないし、誰も見ないかもしれないれど、自分が書き残したいから書いています」系の記事が、あちこちに溢れていて、コミュニティを暖かくしている。
もうすでに忘れかけている数か月前の子どもとのやりとりが残っている。
パワーアップしたくて内省した日のことがただただ残っている。
ただただ眠いとしょーもないことが書いてある。
どれも、誰かに向けて書いたわけではない。自分が書き残しておこうと思っただけ。そんな記事を出すことが許されているし、暖かく見守ってくれる人たちがいるのがnoteの世界。
私がフォローさせていただいている方々は「誰かが見てくれたら嬉しいけど、何よりも自分が書きたいから書きますね」系の記事を書かれる方が多い。
情報詰め込みました系の記事で溢れる世の中だからこそ、日常があふれています系記事に惹かれるんじゃないかな。
「エッセイ的なもの」をこれからも書き続けたいし、読み続けたい。そんなことを思いながら、今日もnoteを開いています。
▼そしたら、まさに同じことを考えていらっしゃる方の記事に出会えたので、ぺたり。「おもいっきり個人的note」って素敵!
サポートありがとうございます。私のところで止めるのではなく、別の方へのサポートという形で「幸せの輪」をつなげていきたいと思います。