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ニューヨークの人たち

昔少しだけ住んでいたニューヨークに初めて降り立ったとき、最初にはっきりとつぶやいた言葉は「すべてがデカい!」だったと思う。
人も道路も建物もコーヒーのサイズも…すべてが日本の1.5倍以上には感じるほどだった。

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日本に帰ってきてからも、友達に会いに行ったり結婚式に参加したりと何度か訪れている街で、飛行機を降りて税関を通ったあとのJFK空港の匂いとか、外に出るとほのかに流れてくる下水っぽい匂いとか、決して「いいにおい〜」という類ではないものだけれど、その空気を吸い込むといつも懐かしさを感じて、ちょっとほっとする。

私にとっては、東京でひとり暮らしをするのもニューヨークでひとり暮らしをするのも、行く前は大きく違うと思っていたけれど、実際の暮らし自体は感覚として同じだった。というよりも、わりとすぐに慣れた。
ただ生活の中で大きく違ったことは、毎日の通学・通勤、散歩など、街を歩いているときに感じる何かだった。
もちろん長く住んでいる東京に比べて、1年しか住んでいないニューヨークでは、その感覚は旅行みたいに新鮮だった、というのは少なからずあるとは思う。そして歴史や文化が違うのだから、感覚が違うのは当然だとも思う。

それらが前提ではあるけれど、同じ人間として日々感じられたものの違いを時々考える。
なんていうか、ニューヨークの街では地下鉄に乗っていても街を歩いていても、ふとしたことで心が動いた。東京での私には、今までそれがあまりなかった。ニューヨークが好きで絶賛したいとか肯定したいとかそういうことではない。東京では心が閉じる感じ、ニューヨークでは心が開く感じがした。

そのようなことを感じるきっかけとなった些細な出来事のひとつひとつを、最近ニュースでニューヨークの映像を見るたびに、ふと思い出したりしている。

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ニューヨークの朝。
家を出て、いつものように階段を降りる。
(写真は私が住んでいたところではないけれど、アパートはだいたいこんな感じ)

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とそこに、ゴミ収集をしているおじさんがいる。
「おはよう!」と言われて「おはよう!」と返し、収集車の横を通り過ぎようとすると「近くを通らないほうがいいよ!あっちへ渡って、遠回りしていきなー。ここはゴミで臭いから!」と言われて笑って「ありがとう」して、遠回りして地下鉄の駅へ。

歩きながら、電話をする用事があったので電話をかける。と、番号を間違えた!知らない相手に「間違えました、すみません!」と言うと、「全く問題ないよ!良い1日をね!」とさわやかに返されて、間違えちゃってごめんなさい、の気持ちがすぐに消えて晴れやかな気分になる。

ニューヨークの街にはストリートミュージシャンが多くて、地下鉄の乗り換えのための地下道や、駅のホームでも演奏している人をよく見かけるし、色々なところから音楽が聞こえてくる。時には、風変わりなミュージシャンにも出くわす。

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その横を通り過ぎて、電車に乗る。
ある日は、向かいに座った2歳くらい?の女の子が、M&Msのカラフルなチョコをパクパク食べていた。と、次の瞬間、レインボーカラーのよだれが、たら〜🌈

またある日、ホームレスのおじさんが小銭を求めて電車内を歩いていたとき、近くにいた小学生くらいのグループが全員かばんの中をあさり、アメやガムやグミやチョコやペットボトルのジュースをすべて渡していた。

別の日は、向かいに座った5歳くらい?の女の子が、クレヨンしんちゃんみたいな雰囲気で「おえ〜おえ〜もう吐いちゃう〜おえ〜(冗談)」と、楽しそうに叫んでいて、同じ車両の人たちはみんな声を出して笑っちゃってる。
女の子のお母さんは、頭を抱えて「オーマイガー!恥ずかしくて死んじゃいたい!」と言うのでみんながまた笑って、いろんな人たちが女の子やお母さんと会話をし始めた。

次の駅で乗り換えるために立ち上がろうとしたら、車掌さんのアナウンスで「次の駅で急行に乗り換えられます。でも混んでいるし快適とはいえないでしょう。だから僕としてはこの各駅停車に留まることをお勧めします」みたいなことを言っていて、みんながくすっと笑う。

席が空いていれば座ろうと急ぐところは東京もニューヨークも変わらない。
でも、お年寄りに席を譲る率はニューヨークが圧倒的に高い。遠くからでも声を掛けるし、近くにお年寄りがいることに気づかず座った人は「ごめんなさい、あなたがいるのが見えなくて。どうぞ、座ってください」と、お年寄りの背中に手を置いて誘導していた。

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用事が済んで、スタバでコーヒーブレイク。
ラテとクッキーを注文した。すると、クッキーを袋に入れてくれたおじさんが「1枚目は割れていたから、2枚入れといたよ。2枚分楽しんで!」と。
ラッキー! とはいえ、ニューヨークのスタバのクッキーも日本の2倍くらいありそうな大きさなので、1つ食べてもうひとつは後でね。むふふ。
写真はスタバじゃないけど、見るだけでつい笑顔になっちゃうカップケーキたち。
甘すぎそう〜!

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好きな洋服屋さんに寄って色々と見ていると、知らない女性が「ねえ、これ似合うと思う?」と話しかけてくる。「似合ってる!それいいと思う!」と言うと「やっぱり?じゃあこれにしよっ」って。
靴を試着していると、また別の知らない人が「それすごく似合ってるよ!」と言ってくれたりする。
街を歩いていると「そのブーツ好き!どこで買ったの?」みたいな会話が自然にある。だから私も、同じようなことを自然に言えるようになっていた。
東京では、ニューヨークよりも、知らない人に話しかけるのにずっと勇気がいる。いつの間にか、自然にできるようになっていたはずの振る舞いが、また勇気を出さなければできない自分に戻っていた。

でも話しかけることができたときは、だいたいの場合、話しかけてみてよかったな、と思う。決して闇雲に話しかければいいと思っているわけではなくて、そこに会話があったほうがスムーズなとき、楽しくなりそうなとき、助け合える、譲り合えるときなど、さらっと言葉が出たほうがその場が明るく温かくなる瞬間が街の中にはたくさんある。

今はこんな世の中になって、人との距離は更に遠い。お互いに避け合うという気持ちでいるよりも、お互いにいたわり合う気持ちで距離をとれた方が、穏やかな日々を過ごせる。

また自由に動き回れる日々がきたら、東京の街の中で、こんなことを考えていた時間をふと思い出せたらいいな。

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