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live with “HSP”

HSPの長所の一つに『洞察力が優れているところ』があります。

私もそれが自身の長所であると思っていて、誇らしくもあったのですが、社会人になり、いろんなことに気がついてしまうありのままの自分でいると疲れてしまうのではないだろうか…?と考えるようになりました。

そして私は自分のアンテナがキャッチしたことに対して無視するようになりました。

すると、ありのままの自分でいるよりも一層疲れてしまい、遂にはそれまで当たり前のように感じていた小さな喜び(空がすごく綺麗だとか、今日は信号に引っかからずスムーズだな等…)までもが感じられなくなっていました。

そこでやっと『HSPである私自身を抑え込むこと』は『HSPである私のまま生きていくこと』よりも圧倒的に生きづらさが増すということに気がつきました。

HSPは生まれつきのものである上に、脳内のシステム上のことなので変えようと思って変えることは難しく、それよりもHSPを受け入れてどう付き合っていくかを考えて行動することの方がずっと幸せになれると思いました。

気がつきすぎて疲れることは事実ですから、大勢でいるとたくさんのアンテナを張っていろんな人の感情を仕草や表情、声のトーンなどで察知してしまい、家に着く頃にはクタクタになってしまいますが、その分嬉しい言葉もたくさん貰ってきました。

『あなたといると元気になれる』

『他の人には話せなかったのにあなたにはこんなにも素直に話せる』

『あの時、私に声を掛けてくれたことを今でも感謝してる』

これらは意図して行動した結果得たものではなく、私がありのままでいた時にもらった言葉です。

最近はHSPであることを拒み、この生きづらさから開放されたいという一心で日々を過ごしてきましたが、その方法を間違っていたのだと気づかされました。

確かにHSPは苦手とするものが多く、他の人が考えなくていいことまで考えてしまい、よく『考えすぎ』『気にしすぎ』といった言葉を投げ掛けられますが、それでも『私はHSPである自分のことが好き。だってたくさんいいこともあるから』と心から思えるようになれば、そんな言葉も今ほど気にならなくなるのではないかなと思いました。

ありのままの自分から、違う何者かになろうとすればする程、自分自身を否定することに繋がってしまいます。

だから、これからは自分自身の良さを存分に活かし、日常生活の中で起こる様々なことに対して喜びを感じられるようになりたいと思います。

もし、アンテナを張りすぎて疲れてしまうことがあったら、一日中何もしない日をつくるなど工夫をして、自分で調整できるようになりたいです。


今回、私が仕事を通してうつに近い症状がたくさん出たり、精神がボロボロになってしまったことにより、多くのことに気づけたのは何よりもの収穫だと思っています。

あれだけ苦しんできた母との関係も、今回の件で話し合いをしたことから和解し、良好な関係を築けるようになりました。

それから、私のことを大切に想ってくれている友人が本当にたくさんいることも、普段口数の少ない恋人がたくさん心配してくれていたことにも気づくことができました。

もし、いま私がいるここが人生の分岐点になっているのなら、それなりの勇気が必要ではありますが、私が私でいられる道を歩むための選択をしたいと思います。




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