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解剖/死を忘れることなかれ


※「ギレルモ・デル・トロの驚異の部屋」の第3話「解剖」及びクライヴ・バーカーの小説「セルロイドの息子」のネタバレを含みます。

 Netflixで「ギレルモ・デル・トロの驚異の部屋」を全話見た。どの作品も監督の個性が色濃く反映されて素晴らしかったが、その中でも特に強い印象を持った作品「解剖(デヴィッド・プライアー監督)」について考えた。
 
 物語は、前半には、ベテラン保安官が友人の検視官を相手に、奇妙な連続殺人事件の捜査について説明し、後半は検視官がその殺人犯の手にかかった被害者たちの遺体を解剖していくというストーリーである。
 
 捜査の内容について保安官の話を聞いていると、これは人間の仕業ではない、いわゆるボディ・スナッチャーものだとわかる。宇宙人に身体を乗っ取られた人間が、他の人に危害を加えるという話だ。ただし、そういったSF要素だけでなく、人物の造形をしっかり描いていることにより、話が陳腐なものになっていない。検視場に向かう車の中で主人公の検視官は癌を患っており余命いくばくもないことを保安官に告げる。検視官を演じるのは、「アマデウス」でモーツァルトに嫉妬する宮廷楽士サリエリを演じたF・マーリー・エイブラハム。人知を超えた巨悪に立ち向かう、老紳士の風格はどこか「エクソシスト」のメリン神父を彷彿とさせる。検視を行う際は、まるで、レコードをかけるように録音機を作動させ、「友よ、許したまえ」と遺体に呼びかけ、解剖したあとは丁寧に縫合する。その姿はまさに一流の音楽家のようだ。自分の身体は逃れられない死に捉えられているのに、他者の死因を解明することを生業にしている主人公に深く感情移入せざるを得ない。

ボディ・スナッチャーものでいうと、「メン・イン・ブラック」の皮がたるんだ農夫が大好きだ。

 検視が進む中、殺人犯の身体に地球外生命体が寄生しており、動く死体となった宿主の襲撃に合い、検視官は新しい住処として寄生されかける。お前に寄生した後、友人の保安官の生き血を吸ってやると豪語する寄生虫に対して、検視官は覚悟を決めて死を受け入れることにより、寄生虫と心中することで、友人を、そして地球を脅威から守る。
 
 この映画はノワール調な連続殺人の捜査から始まり、異世界からの生物との決戦のラストまで、基となったマイクル・シェイの短編小説(S-Fマガジン1986年8月号に収録)を忠実に再現している。映像作品の方では、遺体を解剖するシーンが舐めるように描かれるため臨場感があり(解剖映画の傑作「ジェーン・ドゥの解剖」を彷彿とさせる)、ラストの検視官ならではの反撃(第8脳神経を通しての会話の映像化はケレンたっぷりだ)にもカタルシスがあった。

 人間は癌に侵された場合、より死を身近に感じる。発見が遅れた場合、身体がその病魔に打ち勝つことはまれだろう。クライヴ・バーカーの小説に癌細胞が具現化したクリーチャーが古い映画館のフィルムの怨念と融合し人間に悪夢を見せるという話(「セルロイドの息子」)があるが、物語のラストでは人生を諦めかけていた女性が、逃げおおせたかに見えたその怪物に向けて拳銃を発砲する。人間は誰しも死ぬことから逃れられないが、その恐怖に打ち勝つということは、誰も信じない怪物に銃をぶっ放すことや、しかるべき時に検視官としての腕を発揮する等といった、自分らしく生ききるということと同義なのではないだろうか。