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『うけいれるには』クララ・デュポン=モノ著、松本百合子訳

フランス、セヴェンヌ地方で自然に囲まれながら暮らす家族。長男、長女、そして生まれてきた「子ども」。その子どもには重い障害があった。庭の「石」を語り手として、障害のある子が生まれた家族を描く小説。

著者の実体験が基になっているらしいが、家族の名前が登場せず、「長男」「長女」「子ども」というように言及されるのは、固有性より普遍性を表現するためだろうか。各人には個性があり、類型化されているわけではないが、障害のある子(家族)に接する際の人々の異なる姿勢を象徴的に表したかったのかもしれない。

大人になった長女が出産した後の発言、「そもそも、サンドロとのあいだではっきりと決めておいたことがあったの。万が一、妊娠中の検査で問題が見つかったら、そのときは生まないということ。(略)」(p. 164)は何を示唆するのか。ここには引用していない前後やストーリー全体の文脈を押さえて検討しなければならないが、小説の中で唯一、ピースがはまっていないような違和感を覚えた箇所(ここでこの人物がこう発言することがしっくりこなかったという意味で。おそらく私の読みが足りていないせいだろう)。

長女は大人になって、パートナーと結婚はしていないことについて、こんな発言もしている。「なぜって、カップルって世間が信じ込ませようとしていることとは逆に、もっとも偉大な自由空間なのよ。仕事とか社会的なつながりと違って、規範から逃れられる唯一の範疇なの。(略)なんの決まりもないし、カップルの数だけ基準があるの。これほどの自由を公式の枠に収めようなんて考えられないわ」(p. 166)

自然などの描写が美しく力強い。

S'adapter, Clara Dupont-Monod
(日本語の「うけいれる」は上から目線な感じがするが、この訳は適切なのだろうか)


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