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アートを通して考える3:ろう者と聴者のためのトークセッション第2回「『ろう』とは何か」

2022年2月12日(土)13:00~15:20、オンライン開催
育成×手話×芸術プロジェクト(社会福祉法人トット基金)
アートについて考える3:ろう者と聴者のためのトークセッション第2回「『ろう』とは何か」

講師:皆川愛(看護師、研究員)、山下惠理(図書館司書)

※以下、聴講メモ。

「ろう」とは何か

・耳が聞こえなくて日本手話を使う人
・日本手話を使う人
・耳が聞こえなくて日本手話を使わない人
・難聴者
・中途失聴者
・人工内耳を使う人
などいろいろな人がいるが、「ろう」「ろう者」とは?を考える。

講師の皆川さんと山下さんのお話

■皆川さん
・ろう者にもグラデーションがある。
・「ろう」という言葉が適切かはわからないが、日常的に使われているので、「ろう」について改めて考えたい。
・日本で「ろう文化宣言」:「手話を言語とする者」を「ろう者」とし、その他の点は触れられなかった。
・医学的視点、文化的視点を超えた、人間としての「ろう」とは?
・「日本ろうあ連盟」「ろう学校」というふうに使われている。
・医学的視点:かつての、今もある、「障害」「欠陥」。/1980年代~社会に問題がある。/1990年代頃~文化的視点。
・1995年にろう文化宣言で「手話を言語とする」。文化モデル。
・アメリカのギャローデット大学大学院で「ろう者学」を学んだ。ろう者学はアメリカ、ヨーロッパで発展。
・1960年代、アメリカで、「アメリカ手話は、英語とは異なる文法体系がある」という認識が出て、言語学的な分析が進んだ。
・1980年代、アメリカで、ろう者の親の元で育った研究者がろう文化の本を執筆。イギリスでも社会の中のろう者の抑圧に関する論文が発表。
・アフリカでは、多くの言語があるのに、植民地時代は支配者の言語を押し付けられた。2000年代、それと同じように、ろう者が聴者の言語などを押し付けられているという認識が出てきた。
・「デフゲイン 記号的レパートリー」。
・「文化モデル」の台頭の理由:ろうに関するパラダイムシフト。ろう者は障害者ではない。「文化的集団への構成員」へ。
・ろう文化の構成要素(バッデン):①言語、②声を使うことの価値(手話と同時に声を出す立場、出さない立場)、③社会的関係(聴者の親から生まれる耳の聞こえない人が大半。学校や「デフクラブ」などでろう文化の中に入っていく)、④物語と文学(手話による)。この4種類でいいのかどうか?
・日本におけるろう者の定義:「ろう者とは日本手話という、日本語とは異なる言語を話す言語的少数者である」。
・なぜろう文化の中で手話が重要視されたのか?→アイデンティティ政治(politics of identity)。アメリカで1960年代に障害者運動、黒人運動。建物でバリアフリーが実現されていない、教育も別、公共交通機関で座る位置が分けられているなどの差別解消に向けた運動。1988年、大学でろう学長運動(Deaf President Now)。
・運動を通してアイデンティティの獲得。客体化された本質(聴覚障害という欠陥)から主体化された本質(手話を中心とした共同体)へ。
・ろうの本質とは?手話だけ、なのか?手話1つだけに注力するのでいいのか?
・本質主義がはらむ危険性:人種で白人が最上位だとするために合理化(本質化)した歴史がある。「白人は頭蓋骨が大きく、背が高く、(白人による教育に基づく)IQテストで結果が高いから、優位」とされた。
・「文化的な(cultured)」:高位、恵まれた人というイメージがあり、白人は「文化的」とされた。その後、黒人学校での言葉、黒人の音楽や踊りも文化とする。
・「日本文化=寿司、着物」?それだけではない。
・バッデンの4つの構成要素だけではない(ターナー、1996)。文化は動詞的である。4つの要素は誰からどのように同意を得たのか?(4つの構成要素は限られた視点からのものにすぎない)
・ろう文化の見直しがなされ、植民地主義による抑圧論が考えられるようになった。

■山下さん
・2000年代の、植民地主義による抑圧論。
・デフフッド:ろう文化の概念を開く(手話の使用を条件としない)。ろう者に関わる人も含め、ろう文化に関わろうとするアイデンティティ形成の過程を指す。
・聴者とろう者の関係:「社会」を考える。
・植民地支配を受けたフィリピンの事例。
・公用語は英語、使用言語はフィリピノ語。日本には3万人のフィリピン人が住んでいる。
・「フィリピノ語を学んでもメリットがない」「フィリピンに固有の文化はない」と認識されてしまっている。植民地支配による文化の破壊や、国民のほとんどが英語を使用し海外に働きに出る人も多いことから。
・英語と地方語のヘゲモニー。フィリピンは多言語社会。多くある言語のうちタガログ語がフィリピノ語となった。英語は公用語として政府の文書などに使われ、エリートの言語。フィリピノ語は民族共同体を形成する役割。
・教育機関では、文系はフィリピノ語、理系は英語で教えられている。「英語はエリート、現地語は非エリート」という意識を強化。そのような言語的状況をヘゲモニーという。
・2018年、フィリピン手話が公用語とされる。フィリピンの人は、英語の書き言葉はわかるが、フィリピノ語の書き言葉はわからないことが多い。
・英語で、deaf=聴覚障害者、Deaf=ろう者。フィリピノ語では差別的な表現しかない。
・フィリピンの多言語状況は、たび重なる各国からの植民地支配による。(アメリカの)英語やスペイン語を押し付けられた後に、自分たちの文化を再構築しなければならなかった。
・1907年~フィリピンでアメリカ手話による教育(手話併用法)が行われた。教育を行ったアメリカ人のディライト・ライスはろう者の親の元で育った手話ネイティブだった。『Silent Worker』という新聞で何度も活動が紹介された。(この新聞はギャローデット大学のアーカイブで閲覧可能)
・当時、アメリカ本国では、音声言語が手話より優位とされ、手話による教育は禁止されていた。優性思想。
・ライスは、アメリカでかなわなかった、手話を使うろう者のコミュニティ、コスモポリタンへの布石としてフィリピンで手話教育を行った。(フィリピンのオリジナルな手話とは?ということにもつながっていく)
・アメリカのセンサスが「お父さん」、フィリピンセンサスは「子ども」。19世紀アメリカの基準を使用。フィリピンでも聴覚「障害者」、「欠陥」があるとされた。defective classes(欠陥のある階級)という考え方は、「誰が正当なアメリカ国民か?」という追求から生み出されたもの。それは、フィリピンで、「聞こえる人が正常、聞こえない人が異常」とされたことに影響した。「貧困」などとも結び付けられた。
・フィリピンの手話には、フィリピン手話、ピリピノ手話、Signing Exact Englishの3種類がある。1つ目は公用語に指定された言語。後の2つは聴者にとって便利なもの。
・「フィリピンの手話はアメリカ手話と十分に違うのか?」:cultureの手話の例。アメリカ手話は指文字cを使うが、フィリピンの手話では独自の表現を使う。
・フィリピン人が植民地支配から自分たちのアイデンティティや文化を形成しなければならなかったのと同じように、フィリピン内の聴者とろう者も分断されている、とする研究がある。
・フィリピンの大学にろう者学のコースがある。
・大文字始まりのDeaf=ろう者は手話言語を基にした共同体。それへの批判(「多様性の排除」への批判)として、デフフッドが出てくる。また、「ろう文化は本当に存在するのか?」という批判もある。
・そうした批判は強い立場の者が提唱する。「聞こえることが正常」という意識を引きずっているから、そのような批判をするのでは?
・小文字のdeafを取り戻す。「ろう者」としての規定は、その人のろう以外の部分、身体を不可視化してしまう。
・フィリピンの、耳の聞こえない人の修道院。ろう者が英語の聖書を読み、中途失聴者の英語が得意でない人に手話で内容を伝える。
・修道院以外のフィリピン社会では、耳の聞こえない人はフィリピノ語が苦手で、フィリピノ語(などの現地語)の表記しかない店など日常生活の場面で困ることがある。
・修道院では、「誰が通訳者となるか?」の貼り替えが行われていた。
・どの言語、音声言語、手話、英語、フィリピノ語がいいとか悪いとかではない見方をしたい。

■皆川さん
・フィリピンには植民地支配と、聴者とろう者の分断という、二重の複雑な状況があったことが興味深い。
・コミュニケーションは言語によるとされるが、言語には、聴覚・音声言語、書記言語(書く)、手話や身振りなどの視覚言語の3つがある。
・フィリピンには多様な言語があり、日本でも実は日本語だけではない。
・聴者も、音声言語だけでなく身振りや身体も使って伝え合う。ろう者も手話だけで伝えているわけではない。
・イギリスのロンドンは、以前は白人中心の社会だったが、今は、以前の植民地からの移民をはじめ中国などを含むさまざまな場所にルーツを持つ人々が暮らす。「超多様性」:複数の背景を持ち、相互に影響する。
・Deaf Gain(デフゲイン):ろうの意味の再構築。「障害者(正常性)」→「文化的集団の構成員(民族性)」→「ひとりの人間(多様性)」。
・「感覚的多様性」(バーハン、2014):「感覚的志向」の視点でろうを考える。盲人:聴覚・音声的、ろう者:視覚・触覚的。(聴者も生活環境によって嗅覚で危険を察知するなど)
・一緒であることの危険性。なぜ多様性が大事なのか?アイルランドでかつて1種類のじゃがいもを栽培していたため、飢餓につながった。人間もいろいろいる方がよい。
・まとめ:ろう者は聴者と異なる身体的特性を持つため、特有の身体感覚や文化が生じた。しかし、規定は新たな排除や線引きを生み出し得る。「違い」をどう捉えるのか、が今人間に問われており、それはろう者についても同様である。

■補足:事務局の管野さん
・日本では手話が禁止されていた時代があった。「音声で伝えるべき」という価値観があった。

講師の皆川さんと山下さん×モデレーターの田中みゆきさん×事務局の管野さんのトークセッション

■田中さん
・「多様性」はよいことだが、では何がコミュニティを形成するのか?

■山下さん
・アイデンティティを求める過程、自認、グラデーション、を考え続けることが重要。

■田中さん
・皆川さんの「記号的レパートリー」。曖昧なものを曖昧なまま受け止めるのは、身体としては日常的に行っていると思うが、言語化も伝える上では大切だと思う。どう言語化できるか?

■皆川さん
・感覚的多様性:手話の中には触手話もある。
・ろう者は見た目ではわからない。アイデンティティの表現はどうするか?
・手話の「8」の表現はいろいろあるが、「統一」が大事なのか、伝わることが大事なのか?
・いろいろな手話表現がある中でも、ろう者には「通じる軸」がある。
・多様ではあるが、「軸」はある。

■管野さん
・ろう者=手話と結び付けてしまいがち。しかし、ろう者の中でも人生のどの段階で手話を身に付けたかは異なるし、口話を使う人もいる。
・口話でも、音声だけを使って伝えているわけではない。

■田中さん
・フィリピンでのろう文化の形成、創出を受けて、日本でも考えたい。

■管野さん、皆川さん
・フィリピンでろう者はろう文化の形成をどのように達成したのか、また、今では達成したと考えているのか?

■山下さん
・私がフィリピンで見てきたのは、限られた人々(マニラの高所得者層で、地方からマニラに来た人々)。
・デフフラッグを持って集団で歩くなどのラリーの活動など、訴えていく文化がある。(フィリピン全体で)

■皆川さん
・1960~70年代ろうあ連盟の活動で、運転免許や医師免許が取得できるようになった。
・今はろう者のデモは行われていない。
・日本でもアメリカでも、目標を達成するために、法律改正などを求めて運動をする。
・多様性は大切だが、「軸」を感じにくく、団結や運動につながりづらいという面もある。危険性も感じている。「デフゲイン」がよいとは限らない。

■田中さん
・対話する場を持つのが大事。
・「違い」に注目しがちだが、「共通」点もある。
・アート:身体表現の可能性や、ろう文化の構築に当たり、アートが果たせる役割とは?

■山下さん
・ろう演劇:俳優の体験、背景が身体表現に出る。手話以外の身体表現も考えていけるのではないか。(言語化はなかなか難しいが)

■皆川さん
・アートは見えない部分を表現できるのではないか。
・アートに触れたろう者や聴者の身体の反応も観察し、考えられるといい。
・見えていなかったものを顕在化する、共有する。

■山下さん
・聴者として、「わかった」とせず知り続ける、当事者抜きで決めない。

■田中さん
・美術館のアクセシビリティ:聴者の文化をろう者に伝えるということではなく、感覚を捉え直す(?)などの試みをしていきたい。

Q&A

【Q】本質論、アイデンティティ政治、イデオロギーについて。
■皆川さん:
・ろう者などが権利を獲得していくために何をすべきか?何を主張すべきか?がアイデンティティ政治。その参加者も、男性が多いなど、偏りはあった。力を持つものが参加し変えていくのは問題点としてある。
■山下さん:
・イデオロギーの形成自体を考える。

【Q】人種差別の事例はアメリカでは比較としてわかりやすいが、日本の状況としてはどんな比較事例があるか?
■皆川さん:
・アメリカでは目に見える問題が注目されやすい。
・日本では単一と言われるが実は人種差別などはある。
・ジェンダーの事例からも考えられる。(例えば手話で「女性」を小指で示すのは、体格が小さい、か弱いとされるから?など)

【Q】フィリピンのろう者と中途失聴者の役割交換や交流について。
■山下さん:
・フィリピンでは法制度が日本より進んでいる一方、コミュニティは、日本とは違う状況がある。

【Q】ろう者学の今後の展開について。ろう者学は西洋学的、男性ロゴス的でもある。クイア理論的な観点から、ろう者学はどのように発展していくか?
■皆川さん
・社会に潜む多様性を考えていきたい。
■山下さん
・あることを乗り越えるためには、その内側にある考え方を使って、新たな方向性を考える。これまでのろう者学を知りつつ、発展させていきたい。
■皆川さん
・ジェンダーという考え方が出てくることで、見えなかったものが見えるようになった。

総括(田中さん)

・手話と結び付けられていた「ろう」だが、目に見える手話以外の身体性などにも注目していく。
・「ひとりの人」として見る。感覚的多様性の観点。
・今回のセッションだけで「ろうとは何か」を網羅することはできないが、考え続ける、対話を続けることが大事。
・今後のセッションでも引き続き考えていく。

■管野さん
・「多様性、みんなそれぞれ違っていていい」だけでなく、引き継がれてきた文化をどう捉えるかも考えていく必要がある。
・今後の告知:「レクチャーパフォーマンス ワーク・イン・プログレス」の「1995-2022:たった一人の私たちへ」(2022年3月5日(土)・6日(日)、STスポット横浜)

思ったこと

・「ろう者学」がアメリカやフィリピンの大学で研究されていることすらこれまで意識したことがなかった。
・フィリピンのろう者の状況や社会を植民地支配の歴史と絡めて考察する観点が興味深い。
・「規定すること」と「多様性の肯定」の危険性や、「ひとりの人間の中の多様性」の尊重は、例えば「『日本人』とは何か」という問いにも適用できると思う。
・「あえて曖昧なままにしておく」「過程をずっと続ける」。


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