半端な人

今は斎藤環さんの『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』を読んでいる。ヤンキー論本だ。ヤンキーカルチャーを真面目に分析しているので面白い。まだ途中までしか読んでいないが、特に肯定している訳でもなく、否定している訳でもなく淡々と分析されている。また、木村拓哉と白洲次郎の名前が出ていたのが意外だった。僕は両者とも好きなのだ。働いている時に白洲次郎にはまり、彼に関する本を読んでいたことがあった。その生きざまがかっこよかったのだ。また、木村拓哉に関しては、本は読んだことないが、子供の頃からテレビで見てきたりして、大人になってから彼のことをかっこいいと思うようになった。とにかく彼はなんでもできるのだ。最近木村拓哉の番組がYoutube動画で上がっているので、試しにそれを見てもらいたい。とにかく何でもできるのだ。何でも熟すのだ。だから「ヤンキー」として彼らの名前が挙がったのが意外だった。一般的なヤンキーのイメージからはかけ離れているかもしれないが、確かに突き詰めると彼らはヤンキーなのかもしれない。白洲次郎の本を読むとプリンシプルという言葉が良く出てきた。プリンシプルとは原理や原則という意味らしい。彼はこれをとにかく重要視していた。木村拓哉もそういうところがあると思う。とにかく困難な現実を突き進んでいるイメージがある。ヤンキーは知性によって社会を変えていくというよりかは、現状を受け入れ、気合によってその現状を突き進めていくイメージがある。まあ最後までこの本を読んでみようと思う。

僕も中学生くらいの頃はヤンキーに憧れていたところがあった。ただ、ヤンキーにはなれなかった。せめてもの抵抗が勉強をしないくらいだった。僕が中高生くらいの時はヤンキーが結構いたイメージだが、今はどうなのだろう。あまり見かけなくなった気がする。ヤンキーはとにかく早く働いて、早く結婚して、早く子供を産むイメージがある。そして、家族や地元の友達を大事にしているイメージがある。もちろんこれはイメージなので実際どうか分からない。これはこれでいいのではないかと思う。高学歴の人ほど結婚するのが遅いとどこかで読んだことがあった。勉強をしてきた人を知性主義でヤンキー的な人は反知性主義なのか。こういう使い方があっているのか分からない。こういう使い方が合っているとすると、僕は18歳頃まで反知性主義だった。勉強を全くしてこなかったし、本など読んだことがなかった。ただ、18歳頃から勉強を始めて、本も読み始めた。今では本中毒になっているので、知性に傾いているのだろうか。だから僕の中では、反知性主義と知性主義が分裂している。だから中途半端な人間なのだ。どちらか片方に寄っていると楽なのだけど、それでは危ない気もする。

もう僕も、適当に中学を卒業して、工業高校の電気科なんかいって、彼女を作って、電気工事士になって、結婚して、子供作って、みたいな人生で良かったのではないかと思う。佐伯一麦の『ア・ルース・ボーイ』みたいなのに憧れるのだ(これはもう3回くらい書いている)。ただ、当時の僕は進路どころではなかった。中学3年生の時に吐き気が出て、不登校になり引きこもりになった。その後、一応高校に進学したが、吐き気が治らず退学してしまった。そこからまあ色々頑張って就職したが、これも4年程で辞めてしまった。そして、会社を辞めたら辞めたで鬱になったのだ。まず、中学の時点で勉強をしていなかったので、進路どころではなかった。中学3年生の時点で吐き気が出たのは、もしかすると、勉強をしてこなかった不安がそうさせていたのかもしれない。もちろんこれは解釈なので、実際のところどうなのか分からない。また、どちらにせよ工業高校の電気科には行かなかっただろう。僕はもちろん勉強してこなかったので、物理どころの話ではないのだ。電気工事士という職があるのも後で知ったのだ。今思えば、上のような人生で良かったと思うが、まあ何もかもうまくいかないのだろう。結局それから色々あって就職したが続かなかった。

とにかく今は鬱が辛くて参っている。鬱は辛いわ、体は痛い所が出てくるわ、痒い所がでてくるわ、吐き気があるわ、で参っている。もうどうしたら良くなるのか分からない。色々考えたが、主治医を信頼して、自分にできることを地道にコツコツとやっていくしかない、という結論にたどり着いた。おそらく、これを出来ている人は鬱が良くなっていると思う。ただこれが中々難しい。鬱が中々良くならない人は、主治医を本当に信頼しているのか、あるいは、治療に対して能動的であるかチェックしてみてほしい。もちろん、僕は鬱が治っていないので何ともいえない。ただの鬱経験者なのだ。

ところでヤンキーは鬱や引きこもりになるのだろうか。彼らは理不尽な現状を気合で乗り切っているように見える。ただ、この気合は往々にして無理を担保にしているので、その限界がきて鬱になってもおかしくないと思う。ただ、彼らは仲間を大事にしているし、ストレス発散の仕方も色々ありそうだし、自分に素直に生きているので、鬱にならないのか。

まあ何事も偏りすぎが良くない。ヤンキーにも良い所はあるし、本ばかり読んで勉強している人にも良い所はある。ただ両者どちらかに偏りすぎるのは危険なのだ。ただ、この中庸を取るのが難しい。養老孟司さんも塀の上を歩くのは難しいと言っていた。

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