『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』を読んだ

斎藤環さんの『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』を読んだ。面白い本だった。どこがどう面白かったか説明したいが、鬱でヘロヘロの頭で読んだから内容をよく覚えていない。引用とかして説明したいのだけど、そんな気力もない。ただ、面白い本だった。ヤンキーだった人が読んでも面白いと思うし、ヤンキーでなかった人が読んでも面白いと思う。なぜなら、ヤンキーを通した日本人論になっているからだ。特に肯定しているわけでもなく、否定しているわけでもない。どちらかというと、批判的な箇所もあった。ただ、斎藤環さんがヤンキーカルチャーを大真面目に分析しているのが面白い。読んでいて、自分の中のヤンキー性みたいなものが目覚め、別にヤンキーでもいいではないかと思ってしまった。というわけで、斎藤環さんの対談本である『ヤンキー化する日本』も買ってしまった。

僕も中学生くらいの頃はヤンキーに憧れていたところがあった。ただ、気質的にヤンキーには向いていなかったのだろう。なりきれないところがあった。僕が中学生くらいの頃はテレビでもヤンキードラマが多かったし、漫画もヤンキーものが多かった。無意識のうちにそういうものから影響を受けていたのかもしれない。もうすぐ30歳になるのだから、ヤンキーもクソもなくなってしまった。ただ、ヤンキー的マインドは悪い所だけではないので、良い所は取り入れたいと思った。

ヤンキーは地元や家族、友達を大切にする。もちろん、そうでないヤンキーもいるだろう。ただ、大体こういったイメージがある。これは見習わなくてはならない。地元の中小企業で活躍している多くは元ヤンキーが多いのではないか。また祭りなどで積極的に活動しているのは、どうみても元ヤンキーだ。僕は地元も家族も友達も大切にしてこなかった。自分の殻の中に閉じこもって、本や音楽、映画の世界に浸ってきた。まあこれはこれでいい。色んな人がいていいと思う。ただ、本や音楽、映画の世界に浸って気づいたのは、やはり家族であったり、友達であったり、他者を大切にすることが重要なんだと気づいた。夢想的な世界に籠るのもそれはそれでいいと思うが、現実あっての夢想なのだと気づいた。僕はこれに気づくまでにかなりの時間がかかった。子供の頃はそれができていたのに、段々と自分の殻の中に閉じこもるようになったのだ。その挙句、鬱になってしまった。これはその結果なのかもしれない。僕もヤンキーのように地元や家族、友達を大切にしていたら鬱にはならなかったのかもしれない。果たしてヤンキーも鬱になるのだろうか。これは分からない。

ヤンキーは自立志向が強い。早く働いて早く結婚して早く子供を作るイメージだ。これはこれで悪くない。僕も今振り返ると、中学を卒業して、工業高校の電気科なんか行って、彼女を作って、電気工事士になって、結婚して、子供を作って、みたいな人生で良かったじゃないかと思う。無論、これは今だからそう思うだけであって、当時の僕からしたら考えられなかった。あの時こうしておけばよかった、と誰もが思うだろう。その類なのだ。だから佐伯一麦の『ア・ルース・ボーイ』みたいなのに憧れる(これを書くのはもう4回目くらいだ)。

今の僕はというと、上に書いたような人生とは程遠い。鬱で参っているのだ。僕は中学3年生くらいから引きこもったり社会復帰をしたり繰り返している。だが何とか就職できた。そして、一所懸命に働いていた会社を勢いで辞めたら鬱になってしまったのだ。僕はもうすぐ30になるんだ。お金もない。実家暮らし。彼女もいない。職もない。おまけに鬱が辛いときている。さあ、僕はここから復活できるのだろうか。必要なのはヤンキー的「気合」なのかもしれない。僕の内なるヤンキー性よ、僕を鬱から復活させるための気合をおくれ。斎藤環さんの『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』を読みながら僕は今の自分とヤンキー的マインドを照らし合わせていたのだ。もちろん、斎藤環さんの主旨とは全然違う。ただ、今僕が鬱でくたばっているため、どうしてもこういう読み方をしてしまったのだ。

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