文学的セルフの遊び場 -No. 0

「文学的セルフ」は、自分自身の一部だ。

彼はとても教養があり、知的好奇心がある。彼は修辞にただならない興味があって、常に言葉に気をつけている。彼の母語は日本語だが、彼の表現には、彼に大きく影響を与えた言語、すなわち英語が混じっていて、言葉遣いはどこか日本人らしくない。

彼はまた、自己顕示欲があるくせに、そういうそぶりを見せることをひどく嫌う。尊大であるのに、矮小であろうとする。仰々しい言葉遣いをしたかと思えば、ひどく卑俗な言葉も使う。そうやって、バランスをとって、自分をよく見せようとする。彼は嘘つきで、現実通りであることを嫌う。

彼はラテン語、ギリシャ語、サンスクリット語を学び、古典に興味がある。彼は中国語を学び、現代の言葉に興味がある。彼は夏目漱石に興味がある。彼は芥川龍之介に興味がある。彼はプラトンにも、ウィトゲンシュタインにも、ヘッセにも、ガルシア・マルケスにも、莫言にも、興味がある。

彼は旅に興味がある。彼は音楽に興味がある。彼は書道に興味がある。彼は辞書に興味がある。彼は物理に興味がある。彼は人間の心理・生理に興味がある。彼は人と人との関わりに強い興味がある。彼は、僕自身の一部である。

僕はそんな彼を誇りに思うが、しばしば彼に行動を乗っ取られることを不服に思う。彼はでしゃばりな子供で、教養があるくせに、理性を知らない。彼の嘘のせいで、僕はしょっちゅう苦しめられている。彼のおかげで、僕の行動の優先順位は常に狂わされ、僕のアイデンティティは発散している。

彼には、活躍の場が必要だ。言い換えれば、「遊び場」が必要だ。彼は人によく見られ賞賛されることが好きなのに、人に干渉されることを嫌う。だから、僕は彼に、遊び場を提供しようと思う。

僕はそんなに多くの時間を持っていないから、彼の「遊び」は1日30分程度だ。彼は遊び場で、自由に文化的な振る舞いをするだろう。存分に現実とかけはなれるだろう。気ままに嘘をつき、しかしあらゆる興味深い考察や、人目を惹く発言、教養を生かした立ち振る舞いをするだろう。僕は、そんな彼を愛しながら、自分との距離をはかるべく、この遊び場をここに立ち上げようと思う。

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