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ねーぴおす。嘘をついてはいけないと教わった「こども」の、嘘をつきたい「文学的セルフ」に…

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ねーぴおす。嘘をついてはいけないと教わった「こども」の、嘘をつきたい「文学的セルフ」による創作を投稿します。 日記 - 「文学的セルフの遊び場」

最近の記事

文学的セルフの遊び場 No. 3 - 船頭多くして船山に登る

 今日は冬にしては暖かく、夜も過ごしやすい日であった。もう日が変わってだいぶと経つ。少し筆を持つが、早めに寝よう。  サークルで主催を務めていたとき、周りにあまり人がおらず、自分が全ての中心にあったときがあった。それはそれは快適であったと言うとすこし意地の悪いように聞こえるが、少しの寂しさ──英語ならloneliness──と引き換えに、確かな心地よさを得ていたことを、鮮明に覚えている。  自分の社会性が低いことはさておき、これはことわざで言うところの「船頭多くして船山に

    • 文学的セルフの遊び場 No. 2 – 頼ること、甘えること

       人にうまく頼ることができない。最近の悩みの種だ。  バイト先で、忙しい時に、手が空いてそうな人に上手に仕事をお願いすることができず、自分のタスクとして抱え込んでしまったり、お願いできても少し頼りすぎてしまっているかな、と反省してしまう。サークルでイベントを主催する際には、リーダーとして周りに仕事を割り振らなければいけないのに、何をどれくらい割り振ればいいのか考えて、かえって時間がかかってしまう。結局、自分でやってしまったり、ギリギリになって人に仕事を押し付けてしまったりす

      • 文学的セルフの遊び場 No.1 - 誠実に生きること

        自分はとても誠実に生きているという自覚がある。自分は人生のどこかで「誠実に生きたい」と考え、そのために努力をした時期があるという自覚がある。誠実とは何かを考え、自分なりの答えを決めた時期が、たしかにある。 そのときの自分の中の誠実さの答えは、「相手に対して(特に心情的な意味で)嘘をつかない」というものであった。むしろ言葉で誠実にするよりも、心の中で相手に愛着を持って、相手の話をよく聞き、反芻して次の話に繋げることが、誠実さの全てであった。 ところが最近、そうでもないような

        • 文学的セルフの遊び場 -No. 0

          「文学的セルフ」は、自分自身の一部だ。 彼はとても教養があり、知的好奇心がある。彼は修辞にただならない興味があって、常に言葉に気をつけている。彼の母語は日本語だが、彼の表現には、彼に大きく影響を与えた言語、すなわち英語が混じっていて、言葉遣いはどこか日本人らしくない。 彼はまた、自己顕示欲があるくせに、そういうそぶりを見せることをひどく嫌う。尊大であるのに、矮小であろうとする。仰々しい言葉遣いをしたかと思えば、ひどく卑俗な言葉も使う。そうやって、バランスをとって、自分をよ

        文学的セルフの遊び場 No. 3 - 船頭多くして船山に登る