文学的セルフの遊び場 No.1 - 誠実に生きること

自分はとても誠実に生きているという自覚がある。自分は人生のどこかで「誠実に生きたい」と考え、そのために努力をした時期があるという自覚がある。誠実とは何かを考え、自分なりの答えを決めた時期が、たしかにある。

そのときの自分の中の誠実さの答えは、「相手に対して(特に心情的な意味で)嘘をつかない」というものであった。むしろ言葉で誠実にするよりも、心の中で相手に愛着を持って、相手の話をよく聞き、反芻して次の話に繋げることが、誠実さの全てであった。

ところが最近、そうでもないような気がしてきた。いろんな人と話し、会ってみて、またときには同じ時間を過ごすなかで、また別個のーある種人それぞれのー誠実さがあるように感じた。

そのような誠実さとは、日本語古典での「まめなり」という単語に示されるような、まめやかな、きちんとした「誠実さ」である。時間を守る、自分のペースでコツコツとできることを増やす、自分の時間を大事にする。自分がある種一番軽蔑し、疑ってきた誠実さのあり方が、大人の世界で受け入れられている、本物の「誠実さ」であるように、最近は感じる。

ある種それは「他人依存型」の誠実さと「自己依存型」の誠実さと言えるかもしれない。どっちが良いかなどと問う必要もないが、前者は他人を喜ばせるためにあり、後者は自分と他人が幸せになっていくためにあるような、そんな感じがする。

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