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たまたま読んだ本11:「天路の旅人」月の砂漠を夢見た少年は、密偵を志願、ラマ僧に扮し、ゴビ砂漠を歩き、中国奥地からチベットへ。ヒマラヤマ山脈を越え、インドへと未知の国へ、至誠を武器に緊張と知る喜びの旅は続く


天路の旅人

 同書は、著者が盛岡で化粧品店を営んでいた生前の主人公に直接インタビューし、本人が書いた「秘境西域八年の潜行」の膨大な生原稿も入手して、本人の死後、新たに整理し、まとめられたノンフィクションである。 

 第2次世界大戦。
時代は違うが、ロシアがウクライナを侵略したように、日本は日清、日露戦争以降、台湾、朝鮮、満洲などを支配下に置き、中国、内モンゴル、そして南方のフィリッピン、ベトナム、ラオス、カンボジア、マレーシア、シンガポール、タイ、インドネシアなどの国を次々と侵略し、第2次世界大戦に突入していった。ついに、アメリカ相手に太平洋戦争へと拡大し、結局は負け、国内外に多大な犠牲を出してしまった。敗戦した1945年から今年は78年になる。

 その戦争の末期、山口県出身の主人公、西川一三は、月の砂漠を夢みる少年時代を過ごし、福岡の名門中学校を卒業後、南満州鉄道に入社する。朝鮮経由で大連の本社で研修受け、安東で生活物資調達の仕事に就く。

 ここから実話の壮大な物語りが始まる。
中国大陸の奥地へ、チベットへ、ネパールからインドへとつづく生死をかけた過酷な旅は、読むものに異国の地に、異国の民となって分け入る不思議な緊張感と未知の大地を進む高揚感の世界に引きずり込む。
と同時に「なぜ?」という疑問符が頭をもたげるようになる。

 西川は、日本軍が占領地域を拡大するなか、天津で勤務後、北京と内蒙古の包頭を結ぶ京包線で勤務する。5年後、内地人が羨む給与をすてて退社。内蒙古の興亜義塾という学校に入る。子供のころからの中国大陸やゴビ砂漠にあこがれが高じたのかどうか。吉田松陰全集を持ち、強い尊王と盲目的な愛国意識があったらしい。

 どのような人種でも人間は同じなのだ。包頭時代、自分は漢人に対してもつとめて誠実に対応するようにしていた。すると漢人も誠意をもって対応し返してくれた。大事なのは人種ではなく。この誠の心というものなのだ。
 この西川の悟りといえるものが、この後の厳しい旅程を歩き続けることのできる大きな力となる。

 退塾し、ラマ廟 パタゲル廟に客人として暮らすが、八路軍(中国共産党軍)の襲撃を受け、北京へ移動、同期生から張家口への誘いにより、一人、内蒙古のトクミン廟へ向かう。
 自分は今蒙古にいるのだという感動から、西北に潜入したいという願望抑えがたく、潜入して、日本人にとって未知の部分の多い地域についての知見を深めたい。それは結果として中国とのこの戦いに大いに益するはずだ。いつかは行かなくてはならない夢の土地のようなものになっていた。
と、著者は西川の心境変化を描写する。

 西川は、25歳の時、内蒙古における諜報活動のキーマン、張家口大使館の次木一に密偵(スパイ)として西北潜入を志願し、張家口の調査員として辞令と6千円を受け取る。現地傭員のような立場だったようだ。同時期、1期先輩の木村肥佐生は、本部の正式指令で新疆行きの計画を進めていた。

 中国の奥地を長期にわたって移動する者は、遊牧民か、商人か、巡礼者の三種類しか存在しない。西川は聖地を巡礼する蒙古人ラマ僧に扮して旅をする。
 興亜義塾の塾生時代、蒙古語を習得するためサッチン廟で、高僧から「ロブサン・サンボー」という蒙古名を貰った。チベット語で「美しい心」と訳すことができる名前らしい。日本語で誠意ではないか。「至誠」こそが人々をつなぐ武器になると悟った。

 いよいよ密偵としての潜入の旅が始まる。最初の目的地は定遠宮。中国の街は四方を城壁で囲まれている。内蒙古からの巡礼者は、中国側に密告される恐れがあり、迂回してバロン廟に落ち着く。
 ここで、自分が蒙古人として通用するらしいということにますます自信を深めると同時に、敵地でもなんとか生きていけるのではないかという希望のようなものが生まれてきた。

 西川は、各地で雑用や頼まれごとを骨身惜しまずにこなしたところ、ラマ僧から一目置かれる存在になる。どこでも「ロブサンは黙ってよく働く」と人々の信頼を勝ちとり、ラマ僧たちの助けも受けられるようになる。
 旅を続けることのできる秘訣は至誠による信頼だった。

 この後、さすらうように旅をつづけた西川の旅程は淡々と忠実に辿られていく。
 著者も書いているように、インタビューでは心理面を主に取材したといっているが、それでも人物像としてちょっと物足りない印象がある。
 小説ならば、密偵の活動の具体的な内容とか、その時々の心理の変化や目的意識などが臨場感を持って描かれ、読者も共感しやすいのだが、ノンフィクションである以上、根拠なく想像では書けないので、致し方のないことかもしれない。

 ともあれ、西川は、日本人密偵としての緊張した意識を持ちながら、内蒙古のラマ僧としての修行の旅を続ける。帰還命令も無視して、托鉢をしながら底辺の民たちとの交流を続ける。
 ラマ僧として、チベット行きを夢みて、それを成し遂げてしまう。途中、日本が負けたようだの情報を得て、インドへ確かめにヒマラヤマの峠を越える。原爆による日本の敗戦を知るが、未知の地へのあこがれは果てることなく、旅を続ける西川。もう密偵ではないが、日本人として明らかにできない。アフガニスタンを目指し、旅を続ける。
 インド・パキスタン紛争のあおりでアフガニスタンには行くことができなくなった。1950年、そのインドで、日本人西川一三であることがばれて、8年間にわたる放浪生活の末に警察に収監されてしまう。そして高木とともに日本に送還されたのだった。

 著者の非常な努力により、その得難く困難な旅程を辿ることができ、読者はその広大な旅に圧倒され、充実感に満たされる。
 だが、何が、西川をアジアを彷徨う旅に突き動かしたのか?
想像は自由だが、謎である。

天路の旅人 (ノンフィクション)

出版社:新潮社
発行日:2022年10月27日
ページ数:576ページ
定価:2,640円(税込)

著者プロフィール
沢木耕太郎(さわき こうたろう)
1947年東京生れ。横浜国立大学卒業。ほどなくルポライターとして出発し、鮮烈な感性と斬新な文体で注目を集める。1979年『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、82年『一瞬の夏』で新田次郎文学賞を受賞。その後も『深夜特急』『檀』など今も読み継がれる名作を発表し、2006年『凍』で講談社ノンフィクション賞、13年『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞を受賞する

トップの写真:ノウゼンカズラ

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