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臨床心理学が役立つ "現場" を探して―「働く」を研究し「生きる」を支える|研究者インタビューVol.4・高橋美保

職場でのトラブルや突然の失業、あるいは病気。社会生活では時として、思いもよらない「まさか」の出来事が起こります。予測もコントロールもできないような状況に直面したとき、その後も人生を歩み続けるために必要なものとはー。

人間にはつらさを経験したあと、そこから回復する力「レジリエンス (*1) 」が備わっているといわれています。これを人生というスケールで考えたものが、色々な出来事が起こっても自分らしい人生をしなやかに営んでいく力、すなわち「ライフキャリアレジリエンス (*2) 」です。

LITALICO研究所の「研究所インタビュー」第4回は、東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コースの教授、高橋美保先生にお話を伺いました。LITALICO研究所の活動では、高橋先生のご専門であるライフキャリアレジリエンスの考え方を、就労支援に取り入れるためのプログラム開発や効果検証にご尽力頂きました。今回は高橋先生が産業領域の臨床心理学に関心を持たれたきっかけや、今度の展望などについてお聞きしました。

最初は、人の心に触れる実践的な心理学に強い抵抗があった

― 臨床心理学に興味を持たれたきっかけや、関心が向いていく変遷を教えていただけますか。

大学1,2年生の頃から心理学に漠然と興味がありました。しかし一方で、人の心に触れる実践的な臨床心理学をやることに強い抵抗があったんです。理由の一つは「自分自身も大した人生経験を積んでいないのに、人の相談に乗るのはおこがましいのではないか」と思っていたこと。もう一つは、当時、カウンセラーが、臨床心理が学問としても職業としても十分確立していないという印象があったこと。

「人の話を聞いてお金をもらうなんて・・・」と、相当怪しいものだと思っていたんです。だから、その時の自分が実践的な心理学に触れるのには強い抵抗があった。でもそれは、実は強い関心を持っていたということの裏返しだったのかもしれません。

いきなり臨床心理学を学ぶのは抵抗があったので、心の問題を違うところから見ようと思ったんですね。それが社会の視点から人の心を考えることだったんです。私が関心を持っていたのは「人が思うように生きられないこと」、そしてそれによって「人が心を病む」ということについて。ですが、本当に興味があったのは「心を病むからつらい」という部分だけでなく、「心を病んだ状態で、社会で生きる」というところでした。

人が思うように生きられず心を病む過程、そしてそれを生き、そこから立ち直っていく過程は個人の問題だけでなく、間違いなく社会が関係しているのではないか。だから、社会とは人にとってどういう世界なのか気になって、まずは自分自身が社会人をやってみようと思いました。

― 一度社会人になってから、学生時代には抵抗のあった臨床心理学を、どのような経緯で学ぶようになったのでしょうか。

当時の社会情勢はちょうど、倒産やリストラが盛んに行われていた時期でした。リストラ自体は経営改善のための手段の一つであり、社会の摂理でもあるのかもしれないと冷静に思うところもありました。でも一方で、対象になった個々の人がどういう気持ちでそれを受け止め、これからの人生を生きるのかと考えたときに、会社も社会も何の補償もしないのか、とも感じていました。そこで、辞めさせられてキャリアを中断していく人たちの色々な意味でのライフ、つまり人生がどうなっていくのかにすごく関心を持ったんです。

調べてみると、それまでの日本では失業があまり問題になっておらず、研究もされていない、実践もほとんどないことがわかりました。じゃあやってみようと思って。そこから改めて臨床心理学を学び始めました。

― 働く人や失業者への援助に関心を持たれたのも、民間企業での勤務経験が根本にあったんですね。

そうですね。
大学を出て、実際に会社という社会の中で生きてみて、失業という状態だけでなく、「働く」ってなかなか大変なんだ、というのがすごくリアルにわかりました。リストラに限らず働く人の心のケアはすごく大事だと。

だから、「特定の状況にある人が苦しむこと」というよりも、「働く」という切り口で考えてみると、どんな状態にも色んな苦しみがありえるのではないか、と。そして、それについては、まだまだ研究されていないこともあるのかなと感じました。

自分に臨床心理学が合うか合わないかは全然わからなかったんですが、やってみないとわからないなと思ったので。やってみているうちに今になっちゃった、という感じです。

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カリキュラムを作ったり、研究したりする心理職がいてもいいのではないか

― 先生は心理教育などのアプローチからも研究や実践をされていますよね。

修士課程が終わる前に主人の転勤で地方に行って、そこで3年ほど、いち心理職として仕事をしていました。ですので、もともと私は医療の臨床もやっていた人間なんです。

そこで本当に色々なことに気付かされました。都会のクリニックでのカウンセリングのようなものではなく、地方には、よりシビアな地域の精神医療の現場があること。そこで心理職はどう役に立つかということをすごく考えさせられました。

世間では「心の時代」と言われてカウンセリングなどがもてはやされている一方で、地方の現場には大きなギャップがありました。心理職が喜んで受け入れられるわけでもなく「この人は何者ですか」と怪しい目で見られることもあった。一方で、どんなに頑張ろうと思っても、地域にいる心理職に学びの機会が乏しいことも感じました。

このままでは専門職として良くない、という率直な危機感がありました。このまま心理職が数多く世に送り出されても、場合によって、かえってマイナスになってしまうかもしれない。そこで教育の底上げの必要性を強く感じました。

もう一つ強く思ったことは、やはり研究をしないとダメだということ。これも現場で気づいたことでしたが、特に医療の現場では多職種連携が欠かせません。色々な職種の方と連携する時に、エビデンスのある説明でないと受け入れられないということを痛感しました。じゃあそのエビデンスが十分にあるかというと、なかなかない。そういう意味で研究が必要だと思いました。

さらに失業という視点からいうと、病院に入院してくる方は重症化してしまっているので、心理的ケアで何とかなるケースは限られています。自分は失業の研究をしていたのに、それを役立てられないという違和感があって。もっと早く、会社の中にいる段階でお目にかかって支援ができたら、入院するようなしんどい状態にまでならなくて済んだのかなと思いました。「出会う場面」や「タイミング」も重要だと思ったんです。つまり、予防が大事だということです。

以上のことを考えたときに、研究でも実践でも、もっといいシステムづくりや臨床のあり方を考える必要があると感じて、最終的に博士課程に入ろうと決めました。いち心理職として現場に出た体験を持ったうえで、カリキュラムづくりや研究という視点から関わる心理職がいてもいいんじゃないか、と思いました。

「自分なりにライフキャリアを営む大変さ」はどんな人にも共通する

― 先生の大きな研究テーマは「仕事」ですが、具体的にどんな領域を研究されていますか。

最初に私が着手したのは失業者、特にリストラなどで働きたいのに「働けない」方たち。ですが、仕事をしているか、していないかにかかわらずしんどいという状況もある。ここで私が関心を持ったのが、本当は正社員として働きたいのに働けない非正規雇用の方。あるいは正社員として働いてはいるものの、メンタルヘルスの問題があったり、ワークライフバランスがうまくとれなかったりする方。

さらに、他の先生方の共同研究に加わらせていただいているのが、がんなどの病気と仕事の両立支援系のものですね。

それから、障害があって、今は働いていないけどこれから働きたい方たちへの支援。これがまさにLITALICOさんとやらせていただいたお仕事ですね。

最初の研究はリストラで離職した方を対象としていましたが、私には、失業されている方が可哀想だとか、そういう気持ちはありませんでした。それは、誰にとっても他人事ではないから。障害のあるなし、仕事のあるなしも含めて、自分がどの立場になってもおかしくないという感覚があるので、特定の誰かが可哀想、弱者だ、とは思えないんです。

今は成人の発達障害のある方への地域資源をサポートする研究を行っていますが、ここまでお話した研究テーマの全てに通底するのは、仕事を切り口として「思うように生きられない」ということでした。それにはいろんな形がありますが、どれも重要だと思って研究をしています。

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― 先生の大きな研究テーマである「ライフキャリアレジリエンス」には、どう繋がっていきますか。

研究の対象や軸は少しずつ違いますが、一貫しているのは「仕事」。キャリアとライフ、つまりライフキャリア (*3) というものがすごく重要であるということです。

そして、たとえ思うように生きられないことがあっても、「レジリエンス」によって自分らしい生き方を目指し、自分でそれを決められること。私が想定している最悪の事態は、やはり亡くなられてしまうことです。どこにいても大変さはあるけど、「生きて」歩んでいくときに重要になるのがレジリエンスという概念。

だから、思うように生きられなくても、それを生き抜くために必要なライフキャリアレジリエンスは何かを考えて、それを測る尺度を作りました。

就職について考える瞬間に、その後の人生に活かせるようなサポートをしたい

― LITALICOとの協働はどういった経緯で始まったのでしょうか。

最初はLITALICOさんからご連絡を頂きました。「再就職をしたその後をサポートしたい」ということが最初のお声がけだったかと思います。

就職するまではサポートするけれど、就職した後は自分でやっていく。でもそれは簡単なことじゃない。そこで必要なものが「レジリエンス」かもしれない、というところで繋がりました。LITALICOさんの就労移行支援事業所では就活の支援をしますが、それだけでなく、就活中に、就職後の自分のライフキャリアを生き抜くレジリエンスをどう身につけてもらうかが重要でしょう、ということで。

実は私も、再就職を支援する会社でずっと心理職をやっているんです。そこでも就労移行支援と同じように就職がゴールになるんですが、人生の中でライフキャリアについて考えることのできる今という瞬間をマイナスなものにしないでほしい、今後の人生のために活かせる瞬間にしてほしいなと思っています。

多くの人は失業したことを無かったことにしたいとか、元に戻りたいとおっしゃるんです。でも、厳密な意味で戻るということは難しいし、それが本当に良いのかなと。今までの自分や自分の歩んだライフキャリアの否定に終始することなく、良いことも悪いことも今までのことがあった上で、次に繋げていく。自分の中で整理して主体的にその経験を活かしていく在り方。

早く就職を決めたいという焦りがあったり、周りから何か言われてしまったりする。そうすると、とりえず就職「だけ」決めてしまうようなことが起こる。その場合、就職したもののすぐに具合が悪くなって辞めてしまうこともあります。そして履歴だけがどんどん積み重なっていく。同じような形で失業と就職を繰り返すことはあまり得策ではないと思います。

LITALICOさんの現場だけではなく、私の現場でも「その後」に繋がる支援が重要だと感じていました。その後を見越して、今この時間を使うか、ということを考えていたので、すごく同意できました。

就職率も数字として大事だと思いますが、やっぱり私はいつも、その人の「その後」の人生が気になる。嫌な体験や大変な体験の「後」、その体験をどう使って生きていくかというところにすごく関心があるんです。

とはいえ、大変な時に「一人で頑張ってください」と言われてもつらいですよね。でも、意外とみんな同じようなこと考えていたり、同じしんどさがあったりする。だから誰かと一緒に、長期的にものを考えたり、ものごとを広くとらえたりすると、今がちょっと違って見える。就職しなければ、という、目先のことにどうしても囚われがちなところを、少し違う視点で見るのは、一人では意外と難しいんです。ですから、これも心理職ができるサポートの一つだと思います。

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現場と研究者が対等な関係で、プログラムづくりを進めることができた

― LITALICOと協働してみてどうでしたか。

就労移行支援事業所で使用する「ライフキャリアレジリエンス」という概念を用いたプログラムの作成をしたのですが、プログラムにLITALICOさんの現場の血が通って生きている感じ。そういうものにすることができたと感謝しています。

私たち研究者は「こういうプログラムがいいんじゃないか」と思っても、現場との協働がないと持続性がある形で実際に運用するのは本当に難しいんですね。私はその現場に合うものを作りたいという思いがすごく強いんです。やっぱり臨床心理学の存在意義は「役に立つ」ことだと思うので。「正しいから」ではなく「役に立つ」ということを考えたときに、どんなに狭くて普遍性が少なかったとしても、目の前にいる人に役に立つ形をまずは丁寧に作っていくべきだと思っています。

LITALICOさんとの協働では、「これをやってください」と私がトップダウンで伝えるのではなくて、まずは「どういう人がいますか」といったように相談を重ねました。このやり方自体、私にとってやりやすい形なんです。ですから、一緒にやらせていただいてとても手応えがありました。私自身も教わるところがあり、一緒に新しいものが出来ていく面白さがありましたね。

研究のプロセスとしても、すごく楽しかったです。

専門職の人でなくても活躍できるシステムをつくりたい

― プログラムの構築だけでなく、現場でファシリテーションする人を育てるアプローチもされていますよね。

それは、現場に浸透させるプロセスとして必要だったんです。
私が作ったものの意図を理解したファシリテーターの方が複数人いてくだされば、私が直接全員の人に会って心理的ケアをしなくても、伝えたいことが伝わっていく。その原理はある意味で合理的で、非常に重要だと思っています。そのためにはやっぱり、ファシリテーターの方にちゃんと伝えなければいけない。それが心理教育となります。まずはファシリテーターの方々に十全に理解をしていただくために。

コアのところを間違えて独りよがりな理解をされてしまうと、私が伝えたいものではなくなってしまう。これは危ないことであり、リスクでもあるんです。だから私の手を離れて他の方がプログラムを展開していくというのは、当然慎重であるべきだと考えています。そのために実際にやる場面に行くなど、かなり丁寧にやりましたね。

逆に、プログラムをやる人の持ち味も大事だと思っています。だからスクリプトをきっちり作るというのはもちろん大事なんですが、同じ言葉でも伝える人ごとの違いというのはむしろ豊かで良いと思っています。あるいはその日来ているその人たちに合わせることも必要ですよね。地域性なども含めて。

私がいいなと思っている「コミュニティ心理学 (*4) 」の考え方に、「非専門職の人にも活躍してもらおう」というものがあります。全員が専門職で、専門職しか支援に関わってはいけないのではなく、エッセンスさえちゃんと理解していたら非専門職の方でも参画できる、むしろその方がうまく展開することすらあると思います。現場でプログラムをやられる方は必ずしも心理職じゃないわけですよね。

できる人ができる形でやってほしい、でもその分ちゃんと教育や指導も行う。LITALICOさんとの協働は、そういったコミュニティ心理学のあり方を具現化したひとつのプロジェクトだったなと感じますね。

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― 普遍的・画一的であるよりも、それぞれの現場にフィットするように、という考えを大切にされているように感じます。

そうですね。実践の積み重ねの結果としての一般化や普遍化は、研究者としては当然志向するべきだと思いますが、最初はやはり一つひとつの現場からあるべきかなと思います。

実際に、作成したプログラムをやっている様子を拝見したこともありました。「ああこうやってやられてるんだ」とか。それまで頭で想像していた利用者さんやファシリテーターさんの動きがリアルに生々しく見えてくる。「ああここは私の伝え方が悪かったかな」とか反省することもありました。そこは都度修正して頂いたりと、かなり丁寧に作り込んでいます。

どこかでまたズレてしまうかもしれないけれど、それはまたフィードバックをもらいながら調整すればいい。その調整は、やはり現場の生の実践からスタートするんです。

一般性や普遍性を高めるのは、いつかやっていけると良いかもしれませんが、そこはまだLITALICOさんのプロジェクトでは十分にできていないところですね。それはまたちゃんとやるべきだと思っています。

形としての共同研究は終わっていますが、ずっと関心を持っています。あるいは時代の変化による利用者さんやニーズの変化があれば、そのとき私にできることがあればやりたい、という気持ちは常にあります。

その時々の社会状況で、働くことに困っているのは誰なのかを考える

― 発達障害や精神障害という領域は、LITALICOとの協働を通じて先生にとって身近なテーマになったのでしょうか。

そうですね。またそれだけではなく、社会背景も影響しています。

失業はリーマンショックの頃に大きな問題になりましたが、非正規雇用も含めれば、今はとりあえず雇用状況は悪くない。仕事を取り巻く研究テーマは、時代性を反映するものなんですよね。もちろん「失業」という分野には大きな関心を持ちつつ、その時々に合ったものをやりたいと思っています。

雇用情勢が悪くないということは、失業が大きな問題になりにくいということなのですが、じゃあ今は失業者が全くいないかというと、確実にいます。そこはむしろ時代に流されず、常に見ていきたい。一方で、働いていればよいのかというと、先にお話ししたように、非正規の問題や両立支援、ワークライフバランスなど色々なトピックがあるので、問題がないわけではないんですね。

大事なことは、「今、何が起こってるんだろう」と現象を見ることです。今の雇用情勢でどういう方の就職が難しいかというと、障害や何らかの困難のある方。

初めに関心を持ったのは、例えば発達障害のグレーゾーンの方のような、はっきりしないけれど何らかの困りごとのある方々でした。そこから成人の発達障害の方々にもっとフォーカスするべきじゃないかということで、LITALICOさんに「そういう方々のご支援ってどうですか」と相談して、支援者の方を対象とした研究をやりました。

でもまた社会が動いてきて、今は障害者の雇用が法的に促進されるようになってきましたよね。そんな時代の変化の中で、企業の障害者雇用についての意識はそれなりに高まらざるを得ない状況になったと思った時に「本当かな?」と疑問が浮かんだんです。障害者の方が就労された後、実際にはどんな体験されているのか、現場で何が起こっているのか、と。そこには雇用率などの数字だけが上がることに対する疑念や心配もあって。むしろ、それで良しとされたくないというか。

これも失業と同じで、何かが起こった「後」の個人の生活や人生を丁寧に見ていきたい。障害者雇用についても、雇用が促進されているからこそ起こってくる次の問題があるかもしれない、というスタンスで見ていくのが、研究者の仕事かなと思っています。

コミュニティ心理学の立場では、個人が現場で生々しく体験している課題を職場や社会のレベルで考えますが、障害者雇用について考えた時にも、色々な部分でLITALICOさんの事業と重なる部分があったんですね。そこで「ああこれは是非LITALICOさんに声を掛けてみよう」と思いました。

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入れ子構造になっている支援の仕組みにも関心がある

― 先生は現場への眼差しをとても大切にしていらっしゃると感じます。

例えば、LITALICOのスタッフの方も私にとっては、利用者さんの「支援者」であるだけではなく、企業で働く「労働者」でもあるんですよ。その方自身も働いているわけで。だから、一人の人を「何とかの人」としてだけ見ないというか。多重的な視点で見ることが大切だと思います。

支援って入れ子状態だと思うんです。利用者さんがいるけれども、利用者さんを支援している人も働いている人で…みたいな形で。スタッフさんたちが利用者さんを上手く支援するために、私たち研究者は何ができるのかを考える。それが最終的に利用者さんにとっていい形になっていく。そんな、立体的な感じがしています。スタッフさんたちは利用者さんの支援者だけれども、私たち研究者がスタッフさんに対して何ができるかを考えたときに、現場というのはすべてを内包した「全体」なんです。

だから組織のような構造やシステムにも関心があるんですよ。「現場」といっても、それをかたちづくっているのは利用者さんやスタッフさんのような生々しい人であると同時に、システムでもあって。あくまで拾い上げるのは一人の生々しい体験ですが、現象そのものを捉えるときには、もう一段大きい広い視点に立つ必要がある。

実際の世の中には「誰も悪くないのに何かが起こってしまってみんなつらい」みたいな矛盾がたくさんあると思うんです。

その仕組みを読み込むときに、個と個を見ているだけでは「誰かが悪くて、誰が良くて」みたいな単純な議論になってしまうんですよね。でも職場とか文化とか、社会の経済状況とか。そういうものも含めて、歪みがどこかに現れる。その歪みが本当に生々しく現れるのは個人なのかもしれませんが、それはその方だけの問題ではない。

私にとってLITALICOさんの魅力は、そういった社会やコミュニティの視点を持っていることなんです。

多様性を認めながら、違うからこそ生まれる価値を見出す動きをつくる側になりたい

― 研究や実践について、今後の展望はありますか。

ありふれた言葉になってしまいますが、どうしたら多様性や違いを活かせる社会を作っていけるのかにとても関心があります。

人との違いから排他的な体験をされている方はたくさんいらっしゃいます。その方々のつらい体験に対して、私は、会社や組織はもったいないことをしていると強く感じます。

ある人にはあって自分にはない「違うからこそ本当に価値がある」ものを、なぜ見る気がないのか、と。これは倫理的にも問題かもしれませんが、そういう意味だけでなく、自分のためにもったいないことだって気づいたほうがいいと思います。

だから、理想論かもしれませんが、違いをインクルードしながら、今はない次の価値を見出すようなことが何かの形で起こるといいな、そしてできればそれを起こす側になりたい。そんなことを思っています。

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私自身も民間の企業で働いていたり、臨床現場で働いていたり、結婚して子どもを育てたり、地方勤務をしたり、経歴を見ればおそらく研究者としては異端な存在だと思います。

それをビハインドだと感じることもやっぱりあるんです。私は他の先生たちが見てきたものは見ていないかもしれない。でも、私が見てきたものは、もしかしたら他の先生たちは見ていないかもしれない。

そんなふうに自分を多様性の一つと捉えたとき、やるべきことは「違い」を持った人間が研究することの価値を高めることだと思っています。

生々しい葛藤の中で、「許し合う関係」を育む支援を考えていきたい

多様性やダイバーシティは本当に綺麗な言葉ですが、私はもっと生々しい葛藤があるし、あっていいと思っています。もちろん私の中にも葛藤はあるんですよ。

私も本当に失礼なことをやってしまったりもします。だから本当に「ごめんなさい」という気持ちがあって。至らない所があれば教えてほしいと思っています。

逆に何かに対して文句を言ったり批判したい気持ちになったりすることもあります。でもその「何か」を作り上げているのは、実は私自身かもしれない。なぜなら自分も社会の一人なんですよね。社会は対峙するものではなくて、自分もそこにインクルードされている。

私も社会の一人として常に反省しなければならないと思っていますし、誰かを責めるのではなくて、対話をしながらお互いを大事にし合って、許し合う関係を作っていきたい。でも、それはそんなに簡単にいかないこともあります。時には、適切に距離を置くことも大事です。

だからコミュニケーションや関係性の潤滑油になるような仕事ができればいいなと思っています。対話を通じてお互いの目線からお互いにものを見てみよう、みたいな。相手の世界に目線を置いて、身を置いて、見てみることが実はできるんじゃないかと。そうしてみると自分の世界が本当に広がっていくと思うので、そのためにどんなことができるか、考えていきたいと思っています。


注釈
(*1) レジリエンス
逆境やトラウマ、重大なストレス、困難な経験に適応し、そこから再起するプロセスや能力。復元力、精神的回復力とも。

(*2) ライフキャリアレジリエンス
不安定で変化の激しい現代社会において、自分なりのライフキャリアを築き、歩み続ける力。人生や生き方など、職業的なキャリア以外の領域も含む「ライフキャリア」に特化したレジリエンスの概念。

(*3) ライフキャリア
企業で働く際の狭義的なキャリアだけでなく、家庭や地域との関わり、趣味など日々の生活や社会的活動における多様な役割を含めたその人の「生き方」全体を表す概念。

(*4) コミュニティ心理学
地域精神保健運動の高まりを受けてアメリカで誕生した分野。個人・コミュニティ・社会との相互関係に着目し、専門家による直接的な介入だけでなく、非専門家も含めたコミュニティ内の資源を活用した間接的な介入や、予防的な介入など多様な協働・介入を志向する。

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|高橋美保(たかはし みほ)|
東京大学大学院 教育学研究科 総合教育科学専攻臨床心理学講座 教授。臨床心理士。専門は産業領域の心理的援助、心理療法、成人の発達障害支援。著書に「中高年の失業体験と心理的援助(ミネルヴァ書房)」ほか。

取材・文:雨田泰
写真・編集:鈴木美乃里・鈴木悠平

取材日:2019年11月12日

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