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社会人のわたしがロサンゼルス留学を決めたわけ【最終編】


第8話【衝撃編】はこちらから。

続きものなのではじめを見逃した方は第1話からどうぞ。



人は目標を達成するためなら大体のことは頑張れる。

そう気づかせてくれたのが闘病生活だった。

診察や治療以外は外出することなく、ひきこもること1年半。

辛い治療を乗り越えられたのは家族の支え、ロサンゼルスに戻るんだ!という強い希望を持ち続けたから。

そして「待ってるよ~」とメッセージをくれたLAの友達や、「がんばれ~」と励ましてくれた日本の友達にも救われた。

そこまでしてロサンゼルスに戻りたかった理由とは?

答えは簡単。

ただロサンゼルスが大好きだから。

照りつける太陽、カラッとした気候のロサンゼルスは街を歩くだけでワクワクする。

食べ物がおいしくて、好きな温泉がたくさんある日本だって好き。

でも日本の街中を歩くと人の多さだったり、いろいろなことに窮屈さを感じることが多くて…。

いるだけでリラックスでき、心がハッピーになれるロサンゼルスでもっと暮らしていたい。

この気持ちが消えることはなかった。

そしてもう1つ野望が芽生えだす。

次は学生としてではなく、インターンもしくは就職でLAに戻れないだろうか?

そのヒントを見つけるため、1年半の闘病生活は戻る方法を探す時間に費やされた。



どうやってロサンゼルスに戻ったのか?

やっぱり自分が納得するまでLA生活を満喫したい、そして働いてみたい!

でもわたしのやりたいこと、できることは何だろうか…?

これまで就いてきた職を振り返り、活かせるスキルがあるか考えてみた。

そこで思いつくのは東京でのマネージャー時代のこと。

激務でトラブルが多くストレスを感じる職だけど、人のお世話をすることは好きだったし自分に向いていると思う。

果たしてロサンゼルスで人の役に立つような職はあるだろうか…?。

そうだ!留学中困ったときに助けてくれたのは留学エージェントじゃん。

自分の留学経験を活かして留学生の世話ができないかな!?

すぐさま枕元に置いていたタブレットを手に取った。

ロサンゼルス就職活動

まずは留学エージェントの業務内容を知るため、山ほどあるエージェントのサイトを調べ倒した。

なんてたってわたしには余るほど時間があるんだから。

どのエージェントも学校の手配やビザの手続きなどが主らしい。

次にロサンゼルス現地にオフィスのある留学エージェントで、求人をかけているところがないか探してみる。

そしたらわたしが利用したエージェントが、現地でインターンを募集していることがわかった。

「インターン募集広告をみました。今も受けつけていますか?」

早速そのエージェントに連絡。

「実はLAオフィスでインターン中の者が帰国を延期することになり、すぐに必要な状態ではなくなりました。次ポジションに空きが出たらこちらからお知らせしましょうか?」

そう返事をもらい、教えてくださいとお願いした。

留学中、このエージェントのオフィスに何度が遊びに行き、スタッフ同士の仲が良くアットホームな会社だということは知っていたし、働くならここがよかったから他のエージェントの求人を探すことはせず。

合法的に働くとなると就労ビザが必要になるだろう。

調べてみると就労ビザの取得は難しいこと、また4年制大学以上の学位か、それ相当の実務経験があることがビザ申請の条件と判明。

留学エージェントとしての職務経験はないし、最終学歴専門卒じゃ就労ビザなんて無理な話か…。

カレッジを卒業したら1年間働くことのできるOPTという制度が使えるらしい。

カレッジ卒業までにかかる年数は約2年。

その間は働けないから学費+生活費がまかなえるだけの貯蓄が必要ってわけか…。でもってカレッジ入学にはTOEFLや英検のスコアがいるようだ。

卒業までにかかる年数、学費を考えるとあまり現実的ではなかったけど、最低英検2級で入学資格がもらえるカレッジがあるのを見つけたので、とりあえず英検2級をとっておくことに。

ということで闘病中は英検問題集をひたすら解き単語を覚えまくった。

そして2級に合格。

突然やってきた急展開

抗がん剤治療と手術を終え、ひと段落してから次の渡米に向けアルバイトを開始。

そうこうしていると、ある日エージェントから1本の連絡がはいった。

「ちょうどロサンゼルスオフィスの代表が日本に一時帰国中で、まだインターンに興味があるようでしたら一度会ってみませんか?」

「もちろんです!是非お願いします!!」

ようやく巡ってきたチャンスに胸が高鳴った。


面談場所に指定されたのは銀座。


酸いも甘いも経験した東京…。

新幹線の中で昔の東京生活が走馬灯のように次々と蘇る。

「くそ…今回も富士山見逃してしまったじゃん」

大阪ー東京間を何度も行き来してきたけど、いつもボーっとしているうちに新横浜に着くから富士山を拝めたことが実はあまりない(涙)

久々の東京は相変わらず人が多いし、みんなあくせく忙しそうに早歩きするのは昔も今も一緒か…この人たちは何を楽しみに毎日生きているんだろう?

そんなことを思いながら東京駅を歩く。

人々の動く速いスピードについていけず、自分の周りだけ違う時間が流れているかのような不思議な感覚を覚えながら、地下鉄丸ノ内線を目指す。

地上に出るとすっかり日は暮れていた。

キラキラとした妖艶なネオンをまとった夜の銀座を少し緊張気味に歩く。

指定された喫茶店に入ると、ゆるーい雰囲気を醸し出している男性が目に入る。

アロハシャツとはずいぶんカジュアルだな…。

「Reikoさんですよね?はじめまして」

フレンドリーに話してくれたこの男性がLAオフィスの代表だった。

このエージェントを使って留学をしたこと、なぜインターンに興味があるのか?など伝えたあと、現地での業務内容について教えてもらった。

「実はうちのインターンがもう1年滞在を延長することになり、残念ながら今すぐにインターンを募集する状態ではなくて…。」

「ただ空きが出た際、Reikoさんがよければ次期インターン生としてお迎えしたいのですがいかがですか?」

あと1年あればもっと生活資金を貯めることができるし、わたしにとっても好都合だな。

「はい!それで問題ありませんので、是非よろしくお願いします!」

こんな流れでロサンゼルス行きの切符を手にしたのだ。

2回目のビザ面接

留学エージェントが募集していたのは無給インターンで、学校が終わる午後からエージェント業に携わるというもの。

有給が難しいことは理解していたし、無給でもやりくりできるくらいの資金があれば問題ない。

お金がどうこうよりチャレンジしてみたい気持ちが大きく迷いはなかった。

ということでインターンビザ(Jビザ)ではなく前回と同じ学生ビザ(Fビザ)の取得を目指すことに。

ただ2回目の学生ビザ申請は、再留学する正当な理由がないと却下される。

しかもわたしは30代で年齢的にも厳しい。

そこで立てた再留学ストーリーはこう。

  1. 前回の留学でカレッジに行く予定だったけど、ガンが見つかったことにより断念

  2. カレッジ進学を目指すため、まずは語学学校に通いカレッジ入学に必要なスコアを取得

  3. カレッジ卒業後は日本に帰国し就職する


このストーリーの信憑性をあげるために用意した書類がこれ。

  • カレッジ2年間通えるだけの銀行残高証明書

  • 病院からの診断書(どのような治療をしたのか)

  • 帰国したら就職する先が決まっているという雇用レター

雇用レターについてはここでは詳しく書かないので気になる方は直接メッセージをください。

2回目のビザ面接はやはり一筋縄ではいかず、再留学する理由、カレッジで何を学びたいのか、また帰国後それをどのように活かすのか?細かに質問された。

しかも英語で。

初回と比べものにならないくらい緊張し、あぶら汗を大量にかきながら何とか質問に答える。

ビザが欲しい気持ちが伝わったのか、無事5年ビザを取得!

ビザが却下されなかったのは、立てたストーリーに対しそれを裏付ける書類を提出したことで信頼度が上がったからだと思う。

帰国から3年後、ついにわたしは念願のロサンゼルスへ旅立った。

永住権申請

約束のインターン期間1年が満了しようとしていたとき、会社から永住権のサポートができると話をもらった。

大好きなロサンゼルスで思う存分暮らせるし、合法的に働けるようになるんだ!

断る理由なんてなかった。

こうして永住権申請を開始。

なんだけど手続き中に旦那との結婚が決まり、会社からの永住権サポートを途中キャンセル、婚姻によるグリーンカード申請に切り替えた。

グリーンカード申請から4か月後に永住権を取得。

企業サポートの場合、早くて2年弱か2年くらいで永住権が取得できると聞いている(コロナ前)

婚姻によるグリーンカードは早く取得できるけど、偽装結婚ではないことを証明するために集めるべきモノがたくさんありそれはそれで大変だった。

これまでわたしの人生いろいろなことがあったけど、今は大好きな場所でストレスなく生活できていることを心から感謝したい。

起こることすべてに意味がある。

人はそういうけどガンはわたし胸を奪い、髪を失い(もう生えてる)病気になったことに何の意味があるの?

そう何度も思った。

でもさ、ちゃんと意味があったんだよね。

たくさんお酒を飲み、ジャンクフードもいっぱい食べる、運動なんてしないわたしに自分の体ちゃんと労わり健康な生活をしなきゃダメだよ、って教えてくれたのかな。

あとはこれから先自分がどのように生きていきたいのか、真剣に考える時間が必要だったとも思う。

おかげで闘病中じっくり考えることができたし、食生活にも気を遣うようになった。

すべては必然なんだろうな。

留学はわたしをどう変えたのか?

自分らしく生きればいい。

そう思えるようになったのは、ロサンゼルスでの生活があったから。

例えばファッション。

アメリカに住む女性は年齢に関係なく、自分の着たい洋服を着る。

歳を重ねても胸元の開いた洋服や、素足にタイトなドレスだって自分の好みであればそれで良しなのだ。

その歳でこんな洋服を着たら他人に変な目で見られるかもしれないから、やめておこうみたいな概念がない。

いつまでも”女性”でいることが当たり前。

セクシーかつ美を保つため、ジムへ通ったりボディケアをしている女性の割合も多いと思う。

事実ジムに行くと幅広い層の人達がいる。

普段からこういう女性たちを見ていると、自分も好きな洋服を着ればいいじゃないか、と思うようになった。

別に若作りをしたいわけではない。

ただ年齢や他人の目を気にして着たい洋服を諦めるというのはなくなった。

性格の変化としては社交的になったことだろう。

スーパーや洋服屋さん、ご近所どんなところでも簡単に会話が生まれるアメリカ。

知らない人との世間話に慣れたことで、今は緊張することなく誰とでも気軽に話せるようになった。

日本では知らない人とフレンドリーに話すことがなかったわたしにとって大きな変化だと言える。

あとはYes/Noの意思表示を覚えた。

渡米当初Noと言いきることが相手に失礼だと思い「ううーん」みたいなモヤっとした返答が多く、YES or NO!?と聞かれ相手をイラっとさせてしまう経験を何度もした。


語学学校に通うようになり変わった点は、質問や意見を積極的にするようになったこと。

積極的に意見や質問をするヨーロッパ、南米、中東の生徒たち。

それとは対象的にアジア人は質問があれば授業終わりに先生に聞きに行くスタイルが主流。

わたしもそうだった。

でもあるとき先生に「なんでそれ授業中に聞かないんだよ!だからわからないところはない?って授業で何度も確認してんじゃん」と言わんばかりに呆れた顔をされたことがあり、もしや授業後に質問することは失礼なのでは?と思うように。

直接そう言われたわけじゃないけど…。

でも質問があるならその場でした方がお互い時間の無駄を省けるよな。

それから授業中に発言することに何の抵抗もなくなっていった。

むしろ話したほうが圧倒的にスピーキング力が上がるのだから話さない手はない。

こんな感じでロサンゼルス生活や留学は自分自身プラスになったことがたくさんある。


文化の違いに戸惑い、人種のことで嫌な思いをするかもしれない。

でも外の世界を見ることで視野が広がり日本にはない経験ができる。

それは結果あなたの成長にも繋がるはず。

今やパソコン1つでどこでも働ける職があるし、そういった仕事であれば住む場所にこだわる必要はない。

もし短期でもいいから海外に住んでみたい、留学してみたい、でも本当にこれでいいのか?迷い踏み出せないでいるなら、まずはチャレンジしてみてはどうだろうか?

たとえそれが失敗に終わろうとも、その気さえあればやり直しはきく。

1年半という闘病生活は空白のような時間だったけど、この期間を失ってもまたロサンゼルスに戻れたわけだから、わたしの人生という大きな枠でみると1年半なくても大したことなかった。

もし思い描いていた生活と違うのであれば「やっちまったな~」くらいの気持ちで軌道修正すればいいんじゃん。



これまで長々と書いてきましたが、お付き合いありがとうございました。

留学や海外移住に興味があるけど躊躇している方へ、わたしの経験を話することで前に進むきっかけになれたら嬉しいです。

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