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受け入れ難いことを受け入れて立ち直っていく過程

昔、高校生の頃。

地元の高校ではなく、遠くの高校に進学した私。

ものすごい辺境の地で育った私は笑、電車の駅までの遠い距離を、

父と母に毎日送り迎えしてもらっていました。

(自分が子どもの頃、"当たり前"と思っていた親がしてくれたことの、なんと信じられないほど大変なことか、と本当に思います💦)

母は中島みゆきさんが好きで、

駅まで、駅からの道すがら、よく中島みゆきさんの曲がかかっていました。

高校生の頃の私には、彼女の歌の素晴らしさが分からず、

母に、「なんでこんな暗い歌が好きなの?」と聞いていたような気がします💦

皆さんは、中島みゆきさんはお好きですか?

若い方は、知らない方もおられるのかな…。

でも、いろんなアーティストが彼女の曲をカバーしているので、どこかで耳にしたことはあるかもしれません。

で、なぜ今日中島さんのことを取り上げさせていただいたかといいますと、

受け入れ難いことを受け入れる時の、人間の心の変化の過程

を、彼女の歌はよく表してくれている、

とのどなたかのコメントのことを、今朝思い出したからです。

母の影響で、私はいわゆる"ニューミュージック"とよばれる種類の音楽をよく聴いて育ったのですが、

とても苦しい思いをして実家に帰らせてもらった27歳の時から、

心と身体を壊し、救いを求めていた私は、すがるように、音楽を聴いたと思います。

5歳から15歳まで、ピアノを習わせてもらっていましたし、高校生の頃は部活動で賛美歌を歌ったりもしていましたので、もともと、音楽には親しんでいましたが、

音楽って、本当に、私たちの心を救うのですよね。

中島みゆきさんの音楽には、悲しみもたくさん歌われていますよね。

失恋の悲しみ、生きていく苦しさ、辛さ。

特に彼女の若い頃の歌には、悲しみだけを切々と歌い上げたような曲もあると思うのですが、

その方は、このように言っていたと思います。

(失恋を受け入れる時の、心の変化の過程として)

否認→怒り→悲しみ→受容

当時、前に皆さんにもご紹介させていただいた出来事により、ボロボロに傷ついていた私は、

中島みゆきさんの歌についてのこの方の分析を、

自分がこれから立ち直っていく過程になぞらえて、受け取ったのだと思います。

確かに、と思います。

何か極めて受け入れ難いことが自分の身に起こった時、

私たちはそれを、一気に受容するということはできないのではないか。

そこにはやはり、心の移り変わりというか、なだらかに段階を描いていくのだと思います。

そして、その段階は、明確に区切りがあるわけでもなく、

自分の「現実」が前に進んでいく過程において、何度も行きつ戻りつし、

その受け入れ難いことが、受け入れ難いことであればあるほどに、長い年月をかけて、

時には、自分の目の前に現れるようになった「現実」としては、とっくにその段階を超えたかにみえてもなお、

何か周りの人の状況や、環境に触れたり、また自分の中での気づきにともなって、その悲しみや苦しみがぶり返す。

そんな心の過程があるような気がします。

だから、極めて受け入れ難い物事を「受容」するということには段階があるし、

生きていくにあたり、その辛さを人には見せずとも、

自分の中では、何度も内省し、苦しみ、

時には現実生活を送ることもままならなくなるような状況も経ながら、

また人の言葉や態度に傷ついたりもしながら、

時間をかけて、なされていくものなのではないか、と思うのです。

はじめは、その苦しみの存在を、認めることさえできないと思う。

自分の経験を振り返っても、そうです。

自分が人に誇ることができる「成果」をまず語らなくてはいけないのは、

まずは自分を守らなくてはいけないからだと思うし、

またそのような「成果」を出すことができたのはある意味では、

本当に苦しい思いをしたからこそ、

文字通り死ぬような思いを味わい、そこから、必死で、覚悟を決めて、生きると決めて、生きてきたからだと思う。

私は、誰かに、安易に、「あなたの気持ちは100%分かります」みたいに言う人が嫌いです。

だって、わかるわけなんてないから。

自分にも何か辛い経験があったとしても、その人の体験はあくまでその人の体験だし、

どうしたって私たちにはこの世の中では肉体があり、

それぞれの人間として、この世に生を受けている。

だから、人の苦しみがそのままわかるわけはないのです。

でも、自分が死ぬほど辛い思いをすることの良いところは、人の苦しみを、感じることくらいはできるようにはなる、ということ。

だから、

悲しみを経験したことのある人、

死ぬほど辛い思いをしたことのある人というのは、

人の心に寄り添うことができる、という意味において、結局はその人の人間としての深みになると思うし、

人から見たなら、もしかするとただの「不幸な人」にしか見えないかもしれないけれども、やはり人としての魅力は増していくのではないかと思うのです。

(自分の苦しかった経験を、人のためにも語ることができるほどに自分のなかで昇華できた場合)

人から、上から諭されるように言われたところで、

傷つくだけとも思います。

それを弱さとして、逆につけ込んでくる人は、相手にする必要はない。

だって、その人には、私の表面的なところしか見えていないし、

私を、本当のところではおそらく理解できないだろうから。

朝から、ちょっと真面目すぎる?お話になりましたが…。

いってらっしゃい(急に現実に返る笑)

私も、頑張りまーす☺️

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