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アメリカの鱒釣り(小説)|エッセイに挑む#2

僕がまだ若く恐れを知らなかった頃、本当に凄い小説に出会った。
空を見上げたら一面に青空が広がっていて、とても素敵な一日だった。
タイトル:アメリカの鱒釣り
オーサー:リチャード・ブローティガン

衝撃だった。
文体(スタイル)そのものが、僕の中の「小説」に全くあてはまらない。
ある意味で出鱈目だ。これが小説なのかも疑わしい。
でもこれがとりあえず面白い。いや、とにかく群を抜いて面白かった。

何が面白いか聞かれても、たぶん巧く説明できないだろう。
かろうじてだけど、ぼやっと「ウェス・アンダーソンの映画みたいな」、という曖昧な感想がやっとできるくらいだ。
これだとウェス・アンダーソンを知らない人にとっては、情報量がゼロに等しい。そうなると、やはり説明することはできないのだろう。

この本の大きな魅力は、スタイルが既存の型にハマっていないアバンギャルドな点だと思う。軽口を叩くように綴られるその文章は、世界そのものを嘲笑し軽蔑しながらも、ブローティガンという人生を愛して楽しんでいるように思える。そのシニカルな姿勢には一種の神妙ささえ感じられる。


ブローティガンは、ある晴れた日に湖と芝生のある公園を散歩する。
そして出会った人々、目に付いた物事に対して、
「お前ら楽しそうだな、ハハ!」
と悲しそうに、けど楽しそうに笑っている。


読後、彼にそのような印象を受けた。
きっと彼はユーモラスな人物だったのだろう。

ブローティガンは1935年に生まれ、50年代から70年代まで精力的に文章を書き続けた。「アメリカの鱒釣り」は1961年に発表されたブローティガンの最初の小説だった。
たくさんの若者に支持され、アメリカ文学に大きな影響といくつかの小説・詩を残し、そして84年にピストル自殺した。

一体「アメリカの鱒釣り」とは何だったんだろうか。
それはブローティガンが思うアメリカの夢や希望、もしくはアメリカの不条理や非摂理だったのかもしれない。
多角的な視点が必要だ。読む人に寄っても変わるだろうし、時代や情勢によっても変わるかもしれない。

だが、この小説の描くアメリカの自然の美しさだけは不変である。
詩的な文で描かれるアメリカの自然はとてもきれいだ。
それは今読んでも、時代が経って何十年後に読んでもきっと続いていく変わらないことだろう。人々の心にしっかりとその影を残して。

少なくとも、「アメリカの鱒釣り」とい抽象的でアイコニックな小道具は、僕の血液となり大きな流れの一部となっている。


「アメリカの鱒釣り」
リチャード・ブローティガン著 藤本和子訳

素敵なイラストを投稿してくださったケンコウさんに感謝を込めて

二〇二三年十二月
Mr.羊

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