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わたしのリマインダー 〜Day 2. 人間の最大の欲求は承認欲求なんじゃない?!〜

こんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

わたしの自己満足リマインダー2日目でございます。

今日は自己紹介の続きをしながら自己顕示欲や承認欲求について
わたしの心が死んだ時に読み返すために書くよ。

三大欲求よりも打ち勝っちゃうかもしれないアイツ

人間には生理的欲求と心理的欲求があるってことは
皆様も遠いむかしむかし、学校の授業か何かで習ったかと思います。
保健体育の授業で教科書暗記させられたけど覚えとらん!
て方もいれば
むしろこんなわけのわからない記録書いてるわたしよりも遥かに
その辺の分野について学んでる方だってたくさんいると思うんだけど、
これについては多分ほぼ誰でも聞いたことあって、
知ってるんじゃないかと思うの。

食欲・性欲・睡眠欲。
そう、人間の三大欲求と言われてるものものです。

これって、三大欲求って謳ってるのは日本独自の思考ってだけで
本当は欲求は8つあるんだとか、
睡眠欲は欲求てか機能だしって言ってる研究者がいたり
承認欲も合わせて四大欲求だって言ってる人もいたり
本当に考え方はそれぞれだと思うのね。
これについては心理学の話とかもたくさん結びつくし
きっと正解なんてないと思うんだけど、
少なくともわたしは人間の大半以上が

三大欲求(食欲・性欲・睡眠欲)<<承認欲求

これなんじゃ無いかって思うんだ。

なんでそう思うかって?
それはわたし自身が、そうなってしまうことが多いからです。

承認欲求の塊だった過去と悟りを開いた今

ここでわたしの自己紹介part2が始まるわけなんだけど
わたし、小さい頃から隠キャのくせして目立ちたがるって
不思議な性質を持ちあわせてて。

小学校の頃は応援団入ってみたり
中学校では合唱コンクールの指揮者に立候補してみたり
(立候補したはいいけど試練だらけで大変だった話はまた今度。)、
良い風に言えばチャレンジ精神豊富
はたまたただの出しゃばりとも思えるようなことを繰り返して
その度に理想と現実のギャップに苦しみながら生きてきたのね。

とにかく、「わたしを見て」の塊で痛々しいこどもでした。笑

そんなこども時代を今になって振り返るとなんて痛々しかったんだろうと、またそんな自己顕示欲がわたしになければ
もう少し苦しまずにこども時代を過ごせたんじゃないかな、とか
いろいろ思うことはあるんだけどね
そこから最近発見したものがあるんです。

そう、わたし大人になりました。
今となってはなんでそんなわざわざ面倒ごとをやりたがってたのか
全くわからなくて別の人間を見てるみたいで。

前回自己紹介でちらっと書いたんですけど
わたし趣味で昔からダンスをやっておりまして。

何年か前、チームでまさかの最年長になり
自然とお母さんポジションとなって自由人達の見張りしながら
みんなでひたすら踊りまくる一年間を過ごしたんですけど。

どれだけ面倒くさかったか!!!
そもそも自分の面倒も見きれてないのに
自分より年下の学生たちをまとめるなんて、
そんな力量持ち合わせてないってそういう性質に気づかずに
今までなんでもかんでも手を挙げまくってた自分が
ちょっと恥ずかしくなってしまって。


まともな思考になったよね〜、ほんとに。

承認欲求はわるもの?

そんな痛々しいこども時代をすごしたわたしが最近思うことが、
そもそも承認欲求はわるいものなの?てお話。
人間の心理的欲求て言われてるくらいだから
たぶんみんな持ってるものなんだよねこれって。

人に認められたい」、「居場所を確立させたい」とかって
きっと人間だったら大体が自然と抱く感情・欲求であって
それがあるからこそ社会や世界が成り立ってると思うんだ。

そんな中でも、自然と存在してるはずの承認欲求が何かの拍子で
突然変異を起こして悪魔化して、自分自身に牙を剥いてくること
ってあると思うの。
皆様そんな経験きっとひとつやふたつあるんじゃないかな?
少なくともわたしはたくさんあって。(わたしのこども時代参照)

人として自然と持ち合わせてるはずの承認欲求を、
悪魔化させずにどうやって日々過ごしていくかって
きっとすごく簡単なはずなのに難しい時ってどうしてもあって。

例えばある日突然
自分の生きてる意味がわからなくなったり
どこにも居場所を感じられなくなったり
ただ存在してるだけでいいはずなのに
それがすごく息苦しくなってしまったり。

自分にとって悪魔と化した承認欲求てやつは
やたらしぶとく取り憑いてくるもんだから厄介なのよね。
考え方次第、捉え方次第だ、ってことわかってるのにね。

本来まったくわるものじゃない承認欲求に支配されて、
とんでもないわるものに思えるんだよね。
実際そうじゃないってことも頭の奥底ではわかってるのにね。

そもそも存在価値ってなんなんだろうね。

承認欲求が満たされなくて苦しくなった時よく思うのが
自分の存在価値って果たして何なんだろう
てことなんだけど
実際その人の存在価値や生きてる意味とかって
人によって定義されるわけでもなく、
だからって自分自身が自ら
「わたしはこういうところに意味のある、こういう価値を備えた人間です」って定義するものでもないと思うのね。

「自分自身で定義しなきゃいけないんじゃないか!」
って意見が多分ここで出るんじゃないかな、と思うんだけど
それもきっと間違いじゃない、正解。

ただわたしの感覚では、定義するってことって
自分自身を売り込むために使う手段でしかなくて。
「こういう価値」って完全な定義をして決めつけてしまったら
定義したもの、備えたはずの価値が崩れてしまった時に
自分の中の支えも全部、何もかもなくなってしまうんじゃないか
って思うんです。

そんなこと色々考えて悩んだ結果やっぱり、
存在価値が何なのかとかってあんまりわかってないんだけど
(わかってないんかい)
一つだけ、ふと、腑に落ちたことがあるんです。

「存在しちゃいけない理由」だけはどこにも無いしだれも決められない。

これだけは確実だと思うの。
人間も植物も動物も何もかも姿や生き方は違えど
命を与えられてこの世に生かされてる
わけだから
本来であればただそこに存在して呼吸してるだけで合格なんだよ。
だって植物とかそうじゃん、生きて呼吸しかしてないけど
それだけで他の動物が生きられるように立派に使命果たしてる。
花々はそこに咲いてるだけで人々の心を癒す。

ただわたしたちは人間に生まれた以上
植物とは使命も異なるし、
感情や頭脳、それらを発信するための言葉を持ち合わせてしまったがために
時々承認欲求に飲み込まれそうになってしまうんだな。
もうそれは仕方のないこと。そういうもん。

そんなときは
「わたしの存在価値は何なんだ〜!」
「わたしって生きてる意味あるのきゃ〜!」

って悩んでハゲ作る前に
まずは呼吸してるだけで、存在してるだけで十分なんだって
存在しちゃだめな理由は全く無いって、
いちばんの原点に戻れればいいのかなってお話。

もちろんそんな簡単に心のリセットができたら誰も苦労しないし
わたしだって今までで経験した
いろんな悩みやら苦悩やら抱えることなく生きてこられたはずだから
簡単なことじゃ無いんだけどね。

ありきたりすぎるけどわたし達って一人だけど独りじゃ無いと思うの


一人で悪魔抱えた状態でリセットするなんてさ、
苦しくてなかなかできることじゃないから
苦しい時は誰か言える人に
「苦しい」ってヘルプを求めることも大切なことだよね。

周りにいてくれる誰かって
何か直接解決の糸口を見つけてくれるわけでは無いけど
それこそ、一緒にいてくれるだけで癒しになって
心を回復させるための助けになるからね。

そんな大事なことだけは忘れないでいたいなっていう、
わたし用のリマインダーでした♡

また書き書きしたいのでよければ遊びに来てください。


またね。

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