②高校教師、ついにホンジュラスの小学校で授業デビュー。
0. 2ヶ月。
(1)ちょいと、慣れたかも
¡Hola!
ホンジュラスに来て3ヶ月、任地に来て2ヶ月が経ちました。
2年間の8分の1が終わったって思うと、なんか時間の流れ大丈夫そ?ってつっこみたくなる。
前回の記事はこちら↓
家から一歩出れば、
道の真ん中で爆睡してる犬と人(飲んだくれ)を乗り越え、
犬のフンを避け(絶対携帯触りながら歩けない)、
ガタガタ道路の砂埃を吸いながら闊歩。
任地に来て最初の頃は、こんな道をちょっと歩いて帰ってくるだけでエネルギー著しく消耗して、帰ってきたらベッドの上で死んでました。
でも、2ヶ月経って、
少しずつ、少しずつ、自分の頭と体が
「これが私が住んでいく場所なのね、なるほどなるほど」
と理解してきてくれているような感じがします。
(2)熟考の2ヶ月
2ヶ月でやったことは主にこちら。
まだ大きなプロジェクトを始めてはいませんが、
こうやってじっくり現地調査をして、
いろんな人と関係を構築して、
人間関係や教育システムを把握して、
次の動きに向けたプランニングに時間を取ることは大事だと思っています。
(3)「ゼロ」ではなかった。
前回、任地に英語教育として使えそうな「資源」は「ゼロ」と書いた。
いや。
英語教育を精力的にやってる先生も見つかった。
以前英語の教科書を作るプロジェクトがあったと聞いた(結局政権交代で破綻したけど)。
2ヶ月いろんなところに出向いて話を聞いていると、
「何か」は既にあることに気づいた。
今は、それがいろんなところに散財していて、それぞれが個々に動いている。
この「資源」「部品」を集めて動かせる状態にすれば、何か良いことができるんじゃないかな?と思っている今。
1. そうだ、授業やってみよう
(1)伝わらないなら、やるか
学校の英語教育の状況はそれぞれ違って、英語だけを教える先生(その先生ですらほとんどの割合で英語以外が専門)を保護者が雇っている学校があれば、担任の先生が英語を教えている学校もあります。
その英語専科の先生たちの中に、プランニングとか体系的に教える力があって、授業の組み立て方もとても上手な先生が。
でも。その英語の先生の授業を見てきて、こんなことも感じた。
「数人の子たちが発表して、後の子たちはみんなソワソワ...。授業時間の始まりから終わりまで全員がたくさん学べる授業にできないかなぁ?」
「先生が喋る量が多くて、生徒たちがアウトプットする量が少ない。もっと生徒が表現できる授業にできるのでは?」
授業後にそう先生には伝えたけど
言葉で説明するだけじゃイメージしにくいし
そもそもこの私の崩壊寸前のスペイン語じゃあ伝えたいこと半分も伝わらないし。
じゃあ、自分がやって見せてみるか。
覚悟を決めてその先生に
「来週、この時間の授業やらせてください」
と言ってみたら、快諾。
ひいいいいいいいい
(2)迎えた当日
1年生(90分×2クラス)
6年生(90分×1クラス)
2. 収穫
(1)「できない」という気づき
協力隊の派遣目的は「技術支援」。
つまり、「日本の技術を生かして途上国を支援する」ということ。
その文脈を、いつの間にか私は
「自分は先生たちより技術面で上でないといけない」
「自分は先生たちに何かを提供できなければならない」
と思い込むようになっていた。
だけど、授業をして初めて実感した。
私は小学校で教えた経験がない。
高校教員がやってきたことが通用するかもって?
そんなん、いきなり授業して上手くいくわけあるかい!!
特に1年生への授業は未知のエリア。
高校で教えてた時は、生徒はジャングルのアニマルと思ってたけど、
今考えたら彼らは言葉の通じる人間だった。
もはや7歳は未確認生命体。そんな生命体に高校の経験を生かせると思った自分、何を考えてた??
しかも、私の語学力3歳くらい(多分)。7歳とかもはや大先輩やん。笑
(ここまで読んでいただいた方の中に小学校の先生がおられたら、
「わろた当たり前やんか、やれやれ」と思われたことでしょう)
(2)小学校の先生、偉業すぎ。
自分が「できない」という気づいたからこそ、
全世界の小学校の先生がまじレジェンドだと思った。
フルーツバスケットを一回もやったことない1年生にスペイン語で説明したら崩壊。2個目の1年生のクラスでは、英語の先生に「ごめん、お願い(泣)」と代わりに説明してもらうと、マジで一発。
生徒たちの注目を見事に集め、完全ガチ負けでした。
この先生たちよりうまく授業できるとかどの口が言えるねん。
自分は上に立って教える存在?
いやいや。
学ばせてほしい、学ばせてもらわないといけないと思える先生が周りにたくさんいるってことに今まで気づいてなかった。なんてこった。
(3)目線を合わせる大切さ
教科書も指導書も何もない中で、
なんとかして楽しい授業をしようと毎回頑張ってる先生たちがたくさんいる。
「難しいけど、できることをやってるわ」ってみんな話してくれる。
すごいな、と思ってはいたけど、今回授業してみて、
ここの先生たちがどれだけ頑張ってるかが身にしみてわかりすぎた。
今は心から先生たちに
「できないね、難しいね」
と共感して、その上で
「私はできないけど、
経験と想像力と子どもたちへの愛があるあなたたちなら、絶対できる」
と言ってあげられる、と思った。
先生たちの気持ちに少しでも寄り添って、
先生たちと同じ目線で活動しなきゃだめだ、と思わされた。
3. 次に繋げる
(1)人を活かす
今回の経験を踏まえて、
自分が一人で勝手に授業を改善「させよう」と頑張るのは
ガチで空回りで終わると実感した。
ここにいる先生たちは、すでにもうスーパーマンたちばかり。
だったら、この方達に率先して授業を作っていってもらった方が
全然良いものができる。
だから、私がすることは、
現地の先生を活かすこと。
そう確信しました。
(2)やらなきゃわからん
今回の挑戦は、The 無謀だった(無謀すぎて逆に怖くなかった)。
だからこそやってよかった。
1回の挑戦で見えたことがデカすぎた。
翌日の授業見学から、観察する観点がガラッと変わった。
無謀な挑戦でいい。大失敗するのが目に見えててもいい。
実際やって失敗してる瞬間はアセアセ ってなってしんどいけど、
やってわかることが多すぎる。
それに、JICAの後ろ盾があって、失うものなんて何もないんだから、どんどん失敗して学んで活かしていくしかやん!!
そんなわけで、今週また別の学校で授業させてもらいます。
先週とは違う学びがあるといいな。
できること、全力でやってみます。
¡Nos vemos!(また会おうね)
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