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「障害」?「障がい」なのか?

皆さん、こんにちは、Pamoja na Africa 代表三関理沙です。
今日は、知人がメッセージをくれた「障害」表現についてです。

日本では、どの漢字を使うのか、ひらがなにするのか議論されることがあります。そのひとつが障害です。

私は「障害」を使います。
①    障害は環境にあるもので、人にあるわけでないから。
②    信頼できる障害者当事者の方が障害を使っていたらか

障害は環境にあるもの


「障害とは何か?」
そう聞かれた時に皆さんは何と答えますか。
人の個性とか言われることが以前はよくありました。

現在は社会モデルと呼ばれる障害は人にあるものではなくて、環境にあるものというのが多くの方に支持を受けている考え方です。私もそう思います。

簡単に言うと、知的障害のある女の子がいます。その子は近くの公立小学校に通いたいのですが、30名いる教室では一人ひとりに沿った支援をすることが難しいので、授業についていけなくなり、小学校では彼女の発達に沿った教育が提供できませんでした。

問題は、学校側にあるということです。彼女の知的障害は問題ではありません。彼女が彼女の理解に沿った教育が提供できる環境がないということです。

そのため、障害の害は、障害者自身が害を持つと言う表現になり、適切ではないとして、「障害」ではなくて、「障がい」を使うようになりました。
最初知った時は確かにそうだなと思いましたが、それは障害者自身がどうかという議論であり、社会モデル的な考えではありません。なので、私はあえて「障がい」を使いません。害は環境にあるものです。これは賛否両論あるので正解はあると思っていません。

この議論の中で、一人の障害者が出した意見にこうゆうものがありました。
・表記や呼称を変更したとしても、いずれ同じ議論を繰り返すことになる。 ・表記の問題よりも、障害者を取り巻く差別と偏見を取り除くことが先決。  ・イメージでの議論が先行しすぎている。

すべての障害者が同じ意見を持っているわけではありませんが、私はこの人に賛同しました。

障害者当事者が使っていた「障害」


この議論は人によって解釈が違うので、私は個々がちゃんと理由を持って「障害」「障がい」を使うのではれば、大きな問題ではないと思います。ちゃんと自分で考えた結論として、どちらを使うのかは表現の自由だと思いました。もちろん、障害者を嫌な気持ちにさせるような場合は、みんなで話し合って考えなければいけません。

手話講座である日、「障害」「障がい」についてみんなが話していると、先生がこう言いました。
「手話では、漢字を元にした手話というのが沢山あるけど、漢字を意識していない。日本手話が母国語だから、あとから漢字を勉強して手話の背景を知ることもある。それもあるし、自分は耳が聞こえないけど、障害者と自分では思ってないから、人々が勝手にそう相称しているだけ。私は障害が障がいになったところで、私たちに対する差別がなくならないのであれば、どっちも同じだよ。」

と、話してくれました。これは結構考えさせられました。
「障がい」を最初に謳った人は障害者の人のことを考えて適切ではないと言ってくれたんだろうと思います。でも、障害者という言葉があって、区別している時点で私たちの中には、差別があります。それがただの区別なのか、差別なのか。ここでは議論しきれないテーマですね。

ということで、この2つの理由から私は「障害」を使います。

障害のある子ども vs 障害児

「障害児」の定義(児童福祉法) 児童福祉法第 4 条第 2 項で、「この法律で障害児とは、身体に障害のある児 童又は知的障害のある児童をいう。」

児童福祉法

学校では子どもではなくて、「児童」を使いますよね。中学生になると「生徒」。どちらも学校に通っている18歳未満の子どもを指します。私が事業で雇用する子どもたちは必ずしも学校に行っていません。そのため、障害児と言う言葉は、学校に通っている子どもを指していると私は解釈しているので、私は障害児とは呼ばずに、「障害のある子ども」という表現を使っています。

最後に

他にも・・・。
子どもに関しては、「子供」ではなくて、「子ども」を使います。ぜひこの理由もネットで検索してみなさんも考えてみて下さい。正解というのはなくて、どうゆう意図でその言葉を使っているかだと思います。
私も恐らくちゃんとした背景を知らずに使ってしまっている言葉もあると思います。そして、時代によって言葉はどんどん変わっていくので、それに応じて考えて、使っていきたいと思います。

では、Pamoja na Africa 代表三関理沙でした!

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