ドキュメンタリー映画帆花(医療者的ケア児の10年間密着取材)の感想付き#8「居るのはつらいよ」

深層心理学の博士を有する著者が、精神科デイケアでの経験をもとに書いたフィクションである。

「いる」ってなんだろう?居場所ってなんだろう?

精神科のデイケアでは、積極的なカウンセリングではなく、援助者もそこにいることが求められたそうで、筆者は、最初は手持ち無沙汰に感じたそうである。

「いる」ことができるのは、(私なりに解釈すると)居場所が安全基地だと思えるからである。

古い日本語では、居場所を「ゐどころ」と言い、「ゐど」には「座っている」という意味があるらしい。尻とは自分には見えなくて、コントロールが難しく、カンチョーされたら悶絶してしまうような弱い場所だ。無防備に尻を預けていても、カンチョーされない、傷つけられない。そういう安心感によって、僕らの「いる」は可能になる。(p.55)

この筆者の問いかけは、私たち人間の本質的な弱さ、ケアの本質を捉えているように思う。

私たち人間の本質的な弱さとは、何かを「する」ことを探し、ただ「いる」ことが難しくなる。私たちは、誰かに「何かをする」ことに駆られて、ただ「いる」ことも難しい。例えば、求められていないにもかかわらず、指導的な助言をし、相手の話を聴くことには忍耐が必要だし、寄り添うことも真の意味ではとても実践が難しいものだ。ケアの本質は、何かをすることではなく、そばにい続けることである。

その人に寄り添うことは、何もしないことではない。見守ることは、”変化し、生成する何かを見つける”能動的な行為である。

「帆花」という医療的ケアを受けている子供の映画を観た。10年間の密着取材の記録である。ほのかちゃんは、脳死状態で生まれ、人工呼吸器を装着している。全身で発するメッセージを、ご両親や周りの方々が受け取り、コミュニケーションを図っている。素晴らしい映画だった。4年間の記録を2時間の映画におさめてくださり、生活の中を見せてくださったご本人、ご家族、撮影に関わられた監督はじめ製作者の方々に心から敬意と感謝の意を示したい。

ぜひこのインタビュー記事を多くの人にご覧いただき、ご関心のある方は劇場に足を運んでみていただきたい。

ケアの価値を語るのは、本人であり、その家族であり、私の仕事ではないと思った。映画の中で、そのひとたちのいのちが輝いていた。

人の命は、人と人との関係性の中で育まれていくものということ。今ここに存在し、生きていること、それ自体が重要なのだなと(監督の言葉)


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