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CAさんに初めてお礼の手紙を書いた一時帰国のお話し

憧れのCAさんからメッセージカードをもらったという人の話はよく聞く。
逆に乗客として、CAさんにメッセージを送った人はどのくらいいるのだろう。

実は家の事情があって3月末から1ヶ月、ドイツから日本に一時帰国した。

3月24日のフライトで、翌日25日に日本着のはずだった。

なぜか、今回は嫌な予感がしていた。今となってはヨーロッパのコロナ状況はかなり落ち着き、ロックダウンも解除、様々な規制緩和がされているけれども、3月はまだまだ困難な状況だった。こんな世の中でちゃんと飛行機に乗れるのだろうか。日本に入国できるのだろうか。調べている間にも、日本入国は複雑で手間がかかりそうなことは、なんとなく想像できていた。思った以上のストレスも感じていた。

ふと頭をよぎる悪い思いは現実になってしまうことが多い。
案の定、虫の知らせは当たってしまった。予定していたフライトを逃してしまったのである。代りの飛行機は1週間後になった。今まで、数えきれないほど飛行機に乗ってきたが、フライトを逃すという経験は人生初だった。

それは、ほろりほろりと涙が垂れていくような出来事だった。

PCRの陰性結果メールを自分のフライトまでに受け取ることができなかったのである。ドイツ出国前72時間以内の陰性証明がなければ、チェックインすらできない。

テストセンターに確認した際、24時間以内に検査結果がくるからと言われたから、3月22日の夕方にPCR検査を受けた。通常なら23日には結果をもらえているはずだった。

だけど、23日の夕方になっても一向に検査結果メールが来ない。
来たのは、「あなたの採取検体サンプルをラボ(研究所)が受理しました。」というメール。
え???
通常1日で検査結果が出るのに、1日かかって、テストセンターから研究所に私のサンプルが送られたと??遅くない?と焦りだす私。

そこのテストセンターでは、検査をしてから、採取をしたものを研究所に送り、研究所が検査をし、結果を出すというシステム。そこは一応大きなところであり、日本政府が指定する陰性証明書を日本政府が指定するフォーマットでもって日本語で出してくれるところでもあった。

24日フライト当日。
「夕方のフライトのチェックイン時刻までにメールよ、来てくれ」
と一縷の望みをかけ、フランクフルト空港に向かった。

しかし一向にメールは来ない。ギリギリになって何回か電話をし、ようやく繋がった。検査結果を待ってと暮らせず来ないけど、どうなっているのかと、拙いドイツ語で聞いた。この時点でもうすでにチェックイン時刻までギリギリだった。

研究所は「あなたのメールアドレスを知らないため、検査結果を送ることができない」と言ってきた。

テストセンターは私に、私の採取検体サンプルを受理しましただの、色んな連絡をメールでしてきたのに、なぜ私のメールアドレスが研究所に伝達されていないのだろう?そこの連携はどうなっているのか、といろいろ思ったが、事実、送られて来ていないのが現実。あれこれ考えてもしょうがないので、どうしたら良いか聞いた。

「あなたのパスポート番号や個人情報を、今から言う、ここの研究所のメールアドレスに送って。そしたら、本人確認ができるから、あなたに検査結果を送ることができる」と言われた。

私はドイツ語がベラベラ喋れるわけではない。ドイツ語と英語を混ぜて話してしまう。しかしここはドイツ。あまり英語を流暢に話せる人がおらず、大変苦労した。なんならドイツに住んでいるんだから、ドイツ語を話せないのが悪い!と言われてしまえば、ごもっともだけれども。

そもそもメールアドレスのアルファベットもドイツ語のアルファベット読みで言われる。普段ドイツ語の単語を発音できていても、アルファベット単体でドイツ語の基本的な読み方の勉強をしていなかったために、アルファベットをドイツ語で言われた際、それを理解するのに大変苦戦したのである。

何回もアルファベットを言って確認してもらい、それでも自分が聞いたアドレスとその人が言っているアドレスが合っている自信はなかった。これでメールを送信して、「メールアドレスが有効ではありません」とかって返ってきたらどうしようという緊張感。

無事メールアドレスは合っていて、その後陰性の検査結果をもらえたのだけれども、もう時すでに遅し。走ってチェックインカウンターに行ったが、すでに閉まっていた。

その時どういう表情をして、ルフトハンザのサービスカウンターに行ったかは自分でもよくわからない。きっと今にも泣きそうな、どうしようもない顔をした女の子が来たといった感じだっただろう。

担当してくれたルフトハンザのカウンターの人はとても親切だった。
状況を説明し、PCRの検査代金いくら払ったの?とか彼らは検査料払うべきよねとか、とっても優しく接してくれた。

そう話しながら、追加料金代なしの代わりの飛行機を30分から40分以上かけて一生懸命調べてくれた。そもそもフライトの数が減っている状況。乗れる乗客の数も制限されているはずだから、探すのも大変だっただろう。

その間、私は、自分に起きているこの出来事をうまく受け入れられなくて、ただ呆然としているだけだった。

無事、追加料金なしで1週間後の3月31日のフライトに変更してもらった。

そして3月31日のフライトの前にPCR検査を再び受けなければいけなくなったのだけれども、ここでも、おてんばな私はまたもや失敗をしたのである。

3月29日にPCR検査を受けた。空港に隣接されている検査所なら、前回のようなことも起きないだろうと思い、今回は家の近くの空港で検査をしたのである。だが、ここに落とし穴があった。

同日の夜、陰性検査結果をもらい、これでようやく日本に帰れると思ったのも束の間。飛行機に乗れても日本に入国ができないことが判明したのである。

はあああああああ。私の心の声。すでに表に出ている段階で心の声ダダ漏れだけれども。

検査方法として、日本政府は鼻咽頭ぬぐい液(Nasopharyngeal Swab/ Nasopharyngealer Abstrich)または、唾液(Saliva / Speichel)の2つを有効としていたのである。だが、私がドイツの空港で受けた方法は、口腔ぬぐい液(Oral Swab / Mundabstrich)または、喉咽頭ぬぐい液(Throat Swab / Rachenabstrich)であった。

きちんと確認していなかった自分が悪い。昔からこういうところあるよな〜とかって自分でもわかっているんだけれども、今回は笑っていられない。もう2回もフライトを逃すわけにはいかないからである。

その時の感情と言ったら。

すぐ、パソコンで英語と日本語で日本行きのPCR検査を行なっている検査所を血眼になって探し始めた。そもそも情報が少なすぎるから、調べても調べても出てこない。困った。

そんな中、ふと自分のフライトはフランクフルト発であることを思い出した。フランクフルトから東京行きの直行便が出ているから、そこなら日本行きの特別なPCR検査とそれに伴う書類を出してくれるだろうと思ったのである。

見事にその思いは当たった。

フランクフルト空港で、日本行きの特別なPCR検査を行なっていたのである。しかも少し高いお金を払えば、通常よりも早く、6時間以内に検査結果が出るというのを見つけた。

30日にこの検査を受けて、6時間以内に検査結果をもらえれば、翌日31日のフライトには間に合う。
すぐさま、フランクフルト行きの往復の電車のチケットをネットで買った。ちなみに私の家からフランクフルトまでは長距離電車で2時間ほどである。

こうして無事30日にPCRを受け検査結果をもらい、一回自宅に帰宅し、31日に再び空港に向かい、東京行きのフライトに搭乗できたのである。

そんなこんなでフランクフルトから東京行きの便、今回はANAとルフトハンザの共同運航便にお世話になった。ANAを利用するのは何年ぶりだろう。いつもはJALにお世話になることが多かったから。

搭乗客には駐在員家族、出張から帰る人たち、ビジネスで日本に行く外国人くらいしかいなかった。

CAさんも限られた人数の乗客しかいないとなると、いつも以上にすごく行き届いたサービスをしてくれた。日本のサービスの良さをしみじみ実感した。顔も覚えてくれた。お菓子もたくさんくれたし(私は何歳だろうか)飛行機の中はガラガラ、横一列を贅沢に使わせてもらった。こんな経験はもう2度とないかもしれない。

私は飛行機に乗っている間、CAさんたちにとても感情移入をしてしまった。

いつもは、飛行機に乗って日本とヨーロッパを行き来するのが当たり前。くらいの感覚でいた。

でも。
今回飛行機に乗るまで、日本に帰国するまでのこの一連の出来事を経験して、今まで当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなったこと。

この方たちがこうやって勤務して、飛行機を飛ばしてくれなければ、私は今回日本に帰れなかったのだ。世界的に状況が不安定な中で、ベストを尽くして働いている同い年くらいのCAさんたちに感謝の気持ちでいっぱいだった。

困難に直面しても、いろんな人が助けてくれた。
ルフトハンザのサービスカウンターのドイツ人女性から、ANAのCAさん、周りの人々。

だから、「こんな状況の中でも飛行機を飛ばしてくれて、CAとして働いて下さってありがとうございました、今回日本に帰れてとても嬉しいです。大変な時期ですが、お仕事頑張ってください」という旨をどうしても伝えたくて、持っているメモにつらつらと書いた。

直接渡すのは恥ずかしかったから、それを座っていた座席の目立つところに書き残して機内を去った。無事誰かが取ってくれますようにと。

帰り際には、満面の笑みで「ありがとうございました」とCAさんと挨拶した。

日本滞在期間が1週間短くなってしまい、トータルで3週間という短い期間だった。3週間の日本滞在のうち、2週間は隔離だったけれども、今回のメインの帰国理由であった家庭の事情も済ませ、残りの1週間は久しぶりの友達とも楽しく過ごし、良い刺激をもらった。

「ありがとう」という言葉は、めったにない、めずらしいという意味の「有り難し」という言葉が語源である。

今回の経験はすべてがめったにない、めずらしいことの連続だっただろう。だからこそ、いつもより「ありがとう」という感謝の気持ちを大きく持つことができた。感謝の気持ちを伝える回数が増えれば増えるほど、自分も満たされ、嬉しくなっていくことに気がついた。

だから、何か困難が起きたとしても、難しいかもしれないけれど、それを「めずらしい経験」としてありがたく受け入れよう。今自分の身に起きていることは、それが自分の人生にとって必要だからこそ起きていること。そう思うことで何か得られるはずだから。

受け取り方次第で人生は何色にも変わる。

今ある環境に「有り難し」つまり、「ありがとう」と伝えていきたい。

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