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終わりを決めた方が自分に一生懸命になれる

何かをやっている時、その終わりを意識してやっている人はどのくらいいるだろうか。

きっと大抵の人は終わりなんて考えないでやっていると思う。
今の状態がいつまでも、永遠に続くと思いがち。

だけど、この世に永遠に続くものなんてない。
儚く、いつしかすべてのものは終わりを迎える。

例えば、私が初めて終わりというものを意識して取り組んだことは大学受験勉強だった。

”2月に行われる早稲田の入試日まで”という受験勉強。
限られた時間だからこそ、そこから逆算して今自分にとって何が必要なのか、足りないもの、出来ていないことを把握し、それを補い、計画を立て、実行、改善していくことができる。

長い受験勉強の途中では、この生活はいつまで続くのだろうか、これが永遠と続くのではないか、今の自分のやり方で大丈夫なのだろうかと、ふと不安が過ぎることもあった。

だけど時間は有限だからこそ、そんな不安に駆られてばかりはいられなかった。なんせ、やらなければいけない勉強や覚えなければいけないものが膨大すぎてそんな不安は一瞬だった。

毎日自分が決めたやるべきことを一つ一つ、つぶしていくことが自分の自信にもつながったし、それが日々の小さな成功体験となり、達成感につながった。

自分にとって今、やらなれけばいけないことに集中することで、不安は消える。終わりを意識することで、人間は集中力が増し、パフォーマンスが上がる。そして自分のやり方を信じて行った結果、時間はかかったけど、合格できた。受験期はとっても大変だったと同時に、その年はとっても充実していた。

その次はフィギュアスケート生活。

私は小さい頃、バレエを習っていた。
それもあってか、浅田真央ちゃんがテレビに出てきてスケートが話題になり、荒川静香さんがトリノオリンピックで金メダルをとったあたりからずっと好きで見ていた。

でも実際に本格的にスケートを始めたのは高校生になってから。
大学を早稲田選んだのも、スケート部があるからという理由、「入りたい!」という思いから選んだ。

スケートってテレビに出ているような有名な選手はともかく、一般的にも小さい頃から始めないと出来ないんじゃないの?って思われがち。

たしかに、小さい頃からやっている人は当たり前だけど、みんな上手いし、そういう人たちと同じレベルになることは不可能。

でも大学生になってから始める人もたくさんいるし、社会人スケーターとして大人から始める人もたくさんいる。実際、日本の大学には、スケート部のある大学がたくさんある。東京だけでも、東大、早稲田、慶応、上智、外大、お茶の水大、明治、立教、青学、学習院、法政、中央、日大、東洋大学などがある。

大学から始めてもダブルジャンプができるようになる人もいる。
大人になってからダブルジャンプを習得するのは結構難しい。だけど、できる人はいる。

大学生スケーターにとって1番の目標は、大学生の全国大会、インカレに出場することである。

ただ、このインカレに出場できるようになるまでが長い。長いというか、大学4年間という時間の中でそのレベルにまで到達することが本当に難しい。

大学生活の全てをスケートに捧げる勢いで、スケートと向き合わなければならない。朝6時から始まるクラブチームの朝練から、時には大学生だけの貸切氷上練習、そして昼は大学の授業に行き、その後もスケートリンクに戻って夜まで練習という生活。小さい頃からスケートをやっている人はこういう生活を幼少期から毎日送っているわけだから、本当にすごいと思う。

年に数回ある試合で自分の思うような結果を出すために、また最終的にはインカレに出場するために、みんな毎日必死で練習している。

でもスケートもずっと続けられるものではない。競技生活なんて、自分の体のこともあるし、いつかは限界がくる。それに学生スケーターは、大学を卒業して、社会人になると同時に引退するから、そこでたいていの人がスケート生活に終止符を打つ。私も卒業と同時に引退した。

だから、限られた時間の中でいかに上達するかがカギとなる。今日の練習を振り返り、ビデオ研究をし、明日はこういう練習をしようと考える。
”引退”という2文字が見えているから、時間を無駄にしたくない。こんなに好きなスケートを毎日何時間もできるのも、今のうちということもあって、思う存分スケートをしていた。実際私は、大学よりもスケートリンクにいる時間の方が長かった。

私は、実力不足で予選の東日本で落ちてしまい、結果インカレにはいけなかった。だけど、そこから引退までの4ヶ月弱の間、今まで以上にスケートに集中した。大学4年生、当時22歳のまだひねくれて、未熟だった私は、スケートには本気だった。はっきり言って就活とかどうでもよかった。だってやりたい仕事も全然見つからなくて、企業説明会に行っても全然ピンと来なくて、それならスケートをやっている方が良いと思った。

大学の周りの子達が卒業旅行でヨーロッパに行ったりしているのを少し羨ましく思ったりもしたけれど、私はそれ以上にスケートが好きだった。

最後の引退試合は、みんなからの温かい声援をもらいながら滑った。1年間滑り、練習し続けたプログラムの最後の見せ場だった。少しミスもしてしまったけれど、悔いなく自分の演技を終えることができた。自分が納得できるところまで来れたし、”やり切った”と言えたから、自分のスケート生活はとっても充実していた。

その次はアイルランドでのワーキングホリデー期間。

私は2018年から2019年の間、イギリスのお隣の国、アイルランドの首都ダブリンというところで1年間過ごした。

そこでの1年間は今まで生きてきた中で、1番と言えるほど青春を味わったし、なんせ学生時代はスケート中心の生活をしていたから、その間に出来なかったことを時間とお金が許す限り、全てやった。ヨーロッパの文化、歴史が好き、そして大学時代では国際関係のゼミに所属していたこともあって、EUについては勉強していたから、周辺諸国にもたくさん行った。

初めての長期海外滞在、今までに出会ったことのない人たちとの出会い、シェアハウスでの生活。大好きな英語圏での生活。全てが真新しく、刺激的でとっても楽しかった。

アイルランドは人がみんな温かく、優しかった。みんなフレンドリーでおしゃべり好きだった。ブラジル、チリ、メキシコなどからの留学生や移民も多いことから、よりフレンドリーで温かく、ラテンを感じる国だった。

特にアイルランド生活が残り3ヶ月を切ってからは、本当に毎日があっという間だった。エメラルドグリーンのこの美しい景色を目に焼き付けておこうと、素晴らしい景色をたくさん見に行った。シェアハウスでも毎週のようにみんなでご飯を一緒に作って、食べた。家族のようだった。

アイルランドを去り、ドイツに来てからもこうしてアイルランド時代のことをたくさん語れるわけだから、本当に充実してて、好きだったんだなと思う。

人間は終わりが見えた方が、切羽詰まった方が、最高のパフォーマンスを発揮できると思う。残りの期間をいかに大切に過ごそうかと考えて行動することができるから、大学受験生時代、その後のスケート生活、そしてアイルランドでのワーキングホリデーの1年間はとっても充実していた。

何ごとも、いつかは終わりを迎える時が来るのであろうと思って、毎日一生懸命悔いのないように充実させていきたい。

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