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「取材をする」 ということ。

もう数年前になるが、某雑誌にて「東京・世田谷区の町中華を取材をする」というページを担当していた。当時、編集長をしていた方とのやりとりの中で生まれたこの企画は、雑誌のリニューアルとともになくなってしまったのだが、わたしにとっては本当に思い入れのある仕事であった。

どの駅にも必ず一つはある、
地元民の胃袋を支える町の中華料理店。
今日もまた、お客さんがふらりとやってきては、
どことなく懐かしい風景と変わらない味に
お腹と心を満足させ、去っていく。
時々ふらりと寄りたくなる、
それが町中華の魅力。

冒頭のリードにはこう書いた。

わたしは気取らない店が好き。うーん、店だけではないな。気取らないひと、気取らない食事、気取らない歌、肩の力をふっと抜くことができる気取らない雰囲気を好む。ときどき背のびをすることがあっても、自分が気取らずにいられる方法を知っていることは大切だし、ふらりと心を寄せられる存在があれば無敵だ。

わたしと同じように町中華を愛する元編集長は「お店の情報だけを載せるのではなく、店主の人となりや店の歴史をしっかり取材して、お店がつづく理由を伝えたい」という方針に同意してくださり、写真を大きく載せられて文章もたくさん添えらえるようにと、4ページを確保してくれた。写真は、わたしの知るカメラマンの中でも特に “ひと”を魅力的にとらえ、“食”を味わい深く切り取ってくれる衛藤キヨコさんにお願いした。この企画には、この人しかいないと思っていたので、引き受けてくださってすごくうれしかった。

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vol.1は、下北沢にある『珉亭(みんてい)』さんへ。
30年以上前、甲本ヒロトさんや松重豊さんがバイトしていたことでも知られる大繁盛店。夢を追いかけながら一生懸命働くバイトたちを家族みたいに思ってきたという話を2階の座敷で伺う。ふとまわりを見渡すと、瓶ビールで酌み交わすグループがちらりほらり。今でもミュージシャンや役者の卵たちが集まるそうだ。ピンク色をしたチャーハンが旨い店。

その後もvol.5まで、たくさんの人生を聞かせてもらった。“彼女のお父さん”の店を継ぎ、真摯に鍋を振り続ける松原の『光竜(こうりゅう)』さん(餃子の焼き方が天才!)、日本が台湾を統治していた時代に現地で生活していたという『光春(こうしゅん)』さん(ここの豚の角煮は死ぬまでに一度食べてほしい)、日本にやってきたときは日本語を話せなかったというオーナーさんが切り盛りする世田谷通りの『大吉(だいきち)さん』(もはや町中華のレベルじゃないとの声、多数。上海風黒酢酢豚、マストオーダー!)。すべておひとりさまにもやさしいお店。本当にほんとうに心から推せる5店舗なので、写真も選べず、文章にも熱が入ってしまい、毎回なかなか書き上げられなかったのを覚えている。

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元々、お気に入りの店も多いが、それ以外も含めてすべてのお店に足を運び、料理を食べてから、直接企画書と見本誌を見せながら、交渉をした。

アポを取るのは、正直、簡単なことではなかった。ただでさえ、忙しい飲食店。その上、今回はお店のバックボーンを聞くので、通常の取材時間よりもたくさんの時間をちょうだいすることになる。小さくて魅力的な店ほど「取材を受ける時間があれば、仕込みをしたい」「これ以上、お客さんが増えたらたいへん!」という至極まっとうな理由でNGだったりする。

どうしても取材したくて3回訪問した店もあるが、最終的に3店舗に断られた(実は、光竜さんにも一度お断りいただいているので、それを入れると4店舗)。5つのお店を取材するために、4回も断られていると考えると、打率はかなり低い。そして、仕事といえども、断られるのはやっぱりものすごく悲しいし、めちゃくちゃ凹む。この結果からも、メディアに出ていない、いい店はまだまだたくさんあるということを、ここに改めて記しておきたいと思う(そして、逆も然り)。

最近は、メディアによる取材そのものの「質」が問われることも多い。飲食店取材でいえば、つくってくださったメニューのお代を払う気がなかったり、料理に最後まで手をつけないこともあるらしい。味を確かめずにどうしたら、書けるのだろう。なによりも、その姿勢でなぜ発信できるのだろう。

わたしたちの仕事ってなんだろう。取材ってなんだろう。

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つい先日、vol.2でお世話になった用賀の『再来軒(さいらいけん)』へ伺った。食券を買おうと店内に入ると、一番目に入るところに、取材した記事がしっかりと貼られていた。記事はいい感じに年季が入り、壁となじんでわたし好みになっていた。

「東京オリンピックの年にちょうど60周年なのよ!」

昭和11年生まれ(当時81歳)の大女将・武井いくさんが本当にうれしそうに話す姿がずっとずっと頭の中にあった。それなのに、また行きたいなぁと思っているうちに2年半も経ってしまった。今年はなにがなんでも会いに行くと決めていた。

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いくさんは、わたしと同じように2歳としを重ね、変わらない笑顔で迎えてくれた。マスクをちょっぴり外して顔を見せながら、以前取材した者だと告げると、「わー!もうずっと会ってなかった旧友と再会した気分だわ〜!!!」と大きな声を出して本当に喜んでくださった。そして、記事が出たことで家族がとても喜んでくれたこと、ある著名な方が足を運んでくれたこと、改めてがんばらなくちゃ!と思ったことなど、短い時間でステキな報告をたくさんたくさんしてくれた。うれしかった。この店を取材してよかったな、とこのとき初めて思えた。

再来軒さんもご多分に漏れず、営業日をへらしてテイクアウトで対応していた(7月11日現在、店内飲食も再開した様子)。「たいへんなのは、わたしたちだけじゃないから。みんなたいへんだもの。できることをして、みんなでふんばらなきゃね!」といいながら「せっかくだから、マスクとるわね〜」と言ってピースサインをしてくれた。

「麺がのびないうちに食べなくては!」と駅前まで小走り、ラーメンを食べた。取材のときもいただいた塩ワンタン麺。再会を祝して、チャーシューをプラスする。自家製のワンタンがトゥルリ。ほっとする味がして、ぐっとこみ上げるものがあった。

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「また、きますね!」

これまで、何度も何度も言ってきた。わたしは社交辞令が苦手なので、思ってないことを言葉にできないタイプなのだが、心から思っていたとしても、また足を運ぶというのは、なかなか難しいことだ。近ければそのうち行ける気になるし、遠くてもチャンスがない。にんげんって、どうしてこうなのかしら。

わたしにとって「取材」とは「仕事」であるけれど、「出会い」でもある。たった一時間でも、30分でも、15分でも、いわば人生のダイジェスト版を聞けるのは、本当に贅沢なことだ。「あとのことは知ったこっちゃない」という出会いは悲しいし、よかれと思った取材の先に別の展開が待ち受けてはいないだろうかというのも、いつも不安だ。

だからこそ、慎重に。しっかりとリサーチしてから決める。わたしにできることはこれしかない。もちろんウソは書かないし、うまい話だけをしていないかにも注意する。ネガティブな側面があれば、しっかりお伝えすることも大切だし、それでも最終的には「わたし」というフィルターがかかっていることを自覚し、責任を持たなければならない。

わたし自身、大きな力を持っていないけれど、情報の力はすごい。書いた瞬間から広まる可能性がある、それはプロでもアマでも同条件なのだ。

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「また、きますね!」と心からいえる取材を組むのは、基本のキ。わたしは「また、きちゃいました!」もたくさんいえるようになりたい。身体はひとつしかないのに、この世には魅力的なひとや店があふれているから、もはや、きびしい戦いになるのは目に見えているのだが。

ひさしぶりに再来軒さんの記事を読み返す。わたしも、目の前のことをコツコツと長〜く続けて、愛される仕事をしていこうと心に誓った。

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