筋肉は裏切らないってホント?(後半)
皆様おはこんばんちわ!
最近、とある筋から『エースをねらえ!』のバイブルっぷりをゲロ吐くぐらい洗脳されて密林で新装版をまとめ買いしたbusonです。初見の方、はじめましてよろしくです。
今回はみんな大好き『筋肉くん』が主人公の話、第二回目。
第一回目では、みんなの無自覚系クズムーブ(実質DVですよね、アレは…)にもメゲず、いじらしく立ち振る舞う筋肉くんの清廉さをここぞとばかりに賛美してるんで良かったら覗いてみてね♪
てなわけで、ここではまわりを大事にする前にまずは『自分(=筋肉)』を大切にしなさいという道徳についてみなさんと哲学できればと思う。
どうぞゆっくりしていってね!
筋トレ自体はただの言葉だがトレーニーは素晴らしい
はじめに前提の話をしておくと、『筋トレ』という言葉自体に本来特別な意味などはありません。文字通り『筋肉』を使う活動全般が『筋トレ』に成り得るし、極端に言ったら『呼吸』だって『筋トレ』です。
よく議論になるようなウェイトトレーニングや自重トレーニングも、効果や特徴を記号的にわかりやすくするための言葉だし、便宜上運動のイメージが共有しやすいという事以上の付加価値はありません。
ではなぜ現代においてこれほど『筋トレ』が熱狂的に叫ばれ、凄まじい価値(意味付け)のインフレを起こしているのか?
答えはみなさんご存知『運動しなくなった』からです。
文明の利器の発達で、元来マイノリティだった『運動不足の人』はめでたくマジョリティに昇格し、もれなくトレーニングという行為の社会的な意義や探求力を高めて下さったのです!怪我の功名ってやつですね♪
でも残念!当然良いことばかりじゃあなかったのでありますよ。
だってさ、根本的にさ。『動物』って『動く生物』なワケじゃん?それって言い換えれば『動かなくなった生物』は『動物として生きていない』わけで。
『ヒト』っていう『動物』が本来どれぐらい動くことを想定して創られてるか知ってます?
人間が筋骨格系の問題と絶縁するために必要な運動量って、『縄文時代の狩り』ぐらいの活動なんですよマジで。
わかりやすく消費カロリーで表したら、毎日運動だけで800~1200kcal(現代人の約3倍)ぐらい。なにこの無理ゲー。
人類が生まれてこのかたメッチャ長く石器時代とかやってたのに、ニワカに近代の物質文明社会がメイドインヘブンしちゃったから、脳ミソとか身体の仕様(初期設定)なんかが全然アプデされてねーんですわ。
なので古代人の常識からすれば、多くの現代人は『動物(=生物)』として、運動偏差値30以下のミソっカスとか言われても文句は言えない体たらく。そんな装備(きんにく)で大丈夫か?大丈夫だ、問題しかない。
でもしゃあないやん!!便利なってもうたもん!!?
僕もそう思います。だから前回はボロクソに言ったけど、自ら関心を持って自分の身体を変えていこうとするトレーニー達の行動自体は、とても尊く基本的にはマジリスペクトっす…それだけは最初に言っておきたかったんや。
筋肉はみんなの思う百倍繊細で有能
で、そんな素晴らしい黄金の精神を持っていながら『筋肉に裏切られてしまった』悲劇の意識高い系の人たちは一体何を間違えてしまったんでしょう?
多分、筋肉くんのことを誤解しちゃったんでしょう。
そもそも彼って何なの?何のためにわたしらといるの??どんなふうに自分は助けられているの???
――こういう基本的なところが曖昧なままで突き進んじゃって、ボタンの掛け違いが起きたんだと思います。
前回も述べたように、『筋肉』に対して多くの人が興味を持ちやすいのは『力の強さ』や『見た目』で、筋肥大を主目的とした『筋力トレーニング』で筋肉くんに歩み寄ろうとします。
交流の切っ掛けとしては非常に素晴らしいことで今後の仲も大いに期待したくなります。初々しい筋肉くんはすぐさま努力に答えてくれ、瞬く間に友好関係を築けるでしょう。
でもいつしか、筋肉くんにもだんだんと疑問が出てくるのです。
『いつまでパワーだけ?』『何でボリュームだけを追い求めるの?」『そもそも自分が何のために一緒にいるか知ってる?』
こうなるとヤバイ空気ですね。
健康目的にメディアで見聞きするような基礎的な『体操』や『筋力トレーニング』をコツコツ頑張るスタンスの人であれば良いですが、既に一定以上『筋肉くん』の好感度を稼ぎきり、ほぼトレーニングジャンキーになりかけているようなおませさんは赤信号です。
ここまで読んでくれた優しいみなさんは、おそらくあからさまな繰り返しにお気づきではないでしょうか?
そう!『筋トレ』のパブリックイメージってもうずぅ~っと昔から『筋力トレーニング』だけなんです(涙)
何故でしょうね?『筋肉くん』は力だけじゃなくて、もぉぉ~ッと凄く私たちを支えてくれてるのに。
色々と言いたいことはあるけど、とりあえず今はわたしが思う筋肉くんの二大重要事項、運動感覚と姿勢への影響のことだけでも紹介したい。
※ここから少しマジメな話
言うまでもないことですが、人間を始めとして骨格筋を持つ動物は『筋肉』を使って動いています。これは全身に張り巡らされた神経と筋肉を連動させて目的に応じたスピードやタイミング、力加減で運動を企画、実施しているということです。
この時に司令塔となるのは脳(大脳・脳幹)や脊髄ですが、その判断材料は主に外部環境の把握に働く五感情報と内部環境の伝達を担う筋肉からの運動感覚(第六感とされることもある)が統合されることで作られます。
五感情報の説明については主題ではないため割愛しますが、筋肉が伝達する内部環境というのは簡単に言えばその時の姿勢の状態――四肢や体幹の位置関係のイメージや重力の影響(方向性・運動スピード)、それらに伴われる張力バランスの変化(全身や局所の力の入り具合)などの要素を指します。
つまり『筋肉』は動力源以前に目的運動に対応した姿勢制御の正確さを保障するための『感覚情報源』なのです。
そして『感覚器』としての『筋肉』の精度は筋緊張に反比例し、よりミクロな筋線維レベルでの収縮弛緩の情報が運動感覚を作ります。
以上より、筋トレマニアの誤算その1。
熱心に『筋力トレーニング』をして筋骨隆々になった人が一概に感覚も同時に鋭くなっているわけではねーのです。
むしろ人によっては脱力ができなくなってしまう方も多く、局所の筋紡錘(筋腹内の収縮弛緩センサー)に情報トラブルが生じて攣縮(筋肉の部分的な過緊張)を起こしているような対象者を臨床上よく目にします。
原因はいくつか考えられますが、最も多いのはボディイメージの欠如による骨格と筋肉の運動軸のズレでしょう。
筋肉はとてもフレキシブルで、骨格構造的には動かせないような場所でも、運動軸を誤魔化すことで『見かけ上使える』ようにしてしまいます。
特に『筋肉は全てを解決する』の真意を履き違えたパワー至上主義の困ったさんは筋肉くんの温情に甘えて身体操作を雑に行いがちです。やたら小刻みなパーシャルレップとか。
しかしそれでは当然正しい筋肉の収縮弛緩のプロセスが踏まれていないため、脳内であらかじめプログラミングした動きとはギャップがあります。
一回二回の不良運動は大した問題ではありませんが、不完全な筋の収縮弛緩が繰り返されて脳内でエラーが蓄積すると、該当箇所の筋肉の一部は機能が低下して力が弱まったり運動感覚の情報量が減少します。
ゆえにそういった人たちには、ある一定の運動方向だけ極端に筋出力や運動感覚が弱化していたり、得意分野での高い運動パフォーマンスに反して特定の運動スキルが平均以下に低いといった特徴が多く見られます。
筋力トレーニングの強度に対する運動感覚の乖離が大きいほど、それを補う身体部位が酷使されることになり悪循環が進みます。なまじ気合十分な我慢強い人ほど症状が重くなるのです。
これが感覚器としての筋肉を鍛えてこなかった人が『筋肉に裏切られる』までのセオリーです。
更にもう一つ、筋肉くんが時に心を鬼にして敬虔なマッチョマンを裏切らざるを得ないのっぴきならない事情があります。
…彼ってさ、骨格君に付着してるんだよね。それってどういうことか、言われんでもティンときたアナタとは良い酒が飲めそうです。
さてここで筋肉くんについて基本のおさらいです。
Q:筋肉は人間が動く時に働きます。どんなふうに?
A:ゴムみたいに伸び縮みして骨を動かします!
Q:重力で骨格君がペシャらないのは何で?
A:筋肉くんがずっと一緒に頑張ってるから!
はい、よくできました。茶番に付き合ってくれてありがとう!
まぁ、言いたかったのは筋肉って張力があって収縮とか弛緩を通して骨を動かしてるってこと。意識的な運動をしてなくても重力に負けないために筋肉は常に一定の収縮弛緩をしてるってこと。
それってつまりよ、全身の筋肉の張力に大きな偏りがあったら常にどっかに過負荷がかかるってことなのよ。…ただでさえ筋膜やら骨膜やら腹膜やら、いろんな身体の袋に包まれて引っ張り合ってるしね。
だからね、筋トレマニアの誤算その2。
鍛える筋肉とか運動の選り好みしてると見かけ上で姿勢が良くなっても骨への負担とかヤバヤバです。
率直に言って、歪な身体はパフォーマンスが高くても怪我しやすいと思うので、全ての筋肉くんを平等に愛しましょう!
これが一部の部位だけ偏愛してしまったムッチョマンが『筋肉に裏切り返される』末路です。あな恐ろしや。
筋肉くんはみんなが思ってるよりずっと働き者で、限界まで負担を溜め込む質なんです。破綻が臨界に達するまで痛みを感じさせないように調節して、我慢しちゃうような子なんです。
くれぐれもデリケートに扱ってあげて下さいね。
筋トレ=筋機能トレーニング
ここまで読んでくれた人の中で万が一、筋力トレーニングって悪なの?って思う人がいたら困るので明言します。
んなわきゃない!!
ウェイト、自重、荷重…なんでも大いに結構。だって筋力あるに越したことねーし。
わたしが提案したいのは『筋トレ』という概念の前提の話。
早い話、運動感覚の改善やボディマッピングの構築、適切な神経制御による協調運動スキルの獲得も包括して『筋機能トレーニング』としてまとめて捉えてはどうかってこと。
特に推していきたいのは、神経的にも身体構造的にも筋肉は連動して繋がってるという事実。
土台として身体理解やコーディネーションを高めてから、ファンクショナルな荷重トレーニングに移行した方が自分の経験上ではより効率的だったよってハナシ。
だって筋肉くんってね、どこまで行っても単独で働くなんてありえないし。基礎的な協調運動スキルを身につけて初めて、競技特性に対応したトレーニングなんかが生きてくるんじゃないかなぁ…なんてね。
前提を疑い更新し続ける
物事は何事も『ルール(定義)決め』することがとても大切です。自分なりの明確な選択基準を持つことは不安を減らし、その自己決定の数だけ自信や実感を大きくしてくれます。
いわゆる『しっかりとした自分を持っている人』ほど強靭な『自分ルール』を持っているように感じますが一方でそれは弱点にも為り得ます。
一歩間違うと柔軟性を失った頑固者に成り下がるからです。
逆にその場に応じてスタンスや考えを速やかに変えられる人はある一面では変幻自在と言えますが、他方では自分のないモブキャラのような扱いを受けるでしょう。
重要なのは、必要に応じてその都度『自分ルール』を更新し続け、より汎用性の高いものに洗練させていくこと。意識的な自己変化をためらわないことです。
今回は『筋肉』をテーマに普段とどこか違うフォーカスの当て方を自分なりに試行錯誤してみました。
貴重な時間を使ってこの記事を読んで下さった方々に心からの感謝を。
願わくば何か一つでも小さな楽しみや気付きを得て頂ければとてもうれしく思います!!
ではまた次回の予告。
未だブーム衰えず『体幹』について。
何かテーマリクエストあればメッセージオナシャス!
どうもあざーした。ではノシ
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