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裸の王様の娘(2)【再掲】

ケビンはハープを奏でるかのように、ゆっくりと私の体を指でなぞり始めた。

「そんなに体を固くしないでください。もう覚えましたか?この辺りが上腕三頭筋で、ここが三角筋。そしてここが大胸筋です」

ケビンはわざと生物学を教える時の調子で話し、思わず笑ってしまう。硬直していた心と体を見透かされていたようで、ひどく恥ずかしくなった。静かに呼吸を整えると、少しだけ落ち着く。二の腕の辺りから肩へ、そして私の胸部へとゆっくりとケビンの指は歩みを進める。私はケビンの指の動きと同じように、ケビンの体を目でなぞった。
細身の体ではあったが、つくべきところに筋肉がついているようで、全体的に自己主張をしないからこそ、凛として美しかった。ケビンは私に読書を勧める一方、体を動かす事や太陽の光を浴びる事の重要性を説き、晴れでも雨でも、必ず外へ連れ出す。肌を突き刺すような太陽光を感じたり、全てを包み込むような優しい雨音に耳を傾けた。体の柔軟性が大事だといい、「体をほぐしながら、自分の筋肉と心と対話してみましょうか?」と言うと、続いて「あーなんだかめんどくさいわ。お菓子の時間はまだかしら」と私の心を勝手に代弁して、笑わせた。無数の星を見ながら、占星術や暦について話すこともあった。自分が感じる人々の目線がいかに陳腐なもので、それらとは全く無関係に、月も星も太陽も植物も営みを続けてること。そして自他の感情とは全く関係なく、体も営みを続けている事を私に教えた。

ケビンの指はさらに先へ進む。丁寧に、慎重に。少しでも乱暴に扱えば、ヒビが入る硝子のように、ケビンはゆっくりと指を這わし、そっと口づけをしていく。私の意思とは無関係に、いや、正直に言えば、未知の世界へ飛び込む時の興奮はあった。何れにしても、自分でコントロールできない感情の波が押し寄せ、体の奥から湿度が上昇していくのを感じた。

アン。私はあなたほど綺麗で聡明な女性は見たことがありません。

私を「アン」と呼ぶのは、父と母だけだった。ケビンは最初から私を王女とは扱わず、最低限の礼儀としていつも敬語で話しながら、名前は呼び捨てだった。そのアンバランスさが私はすごく気に入っていた。彼が発する言葉から嘘の匂いは感じられなかったからだ。
ケビンはゆっくりと私の中心へと入って行った。小さく堅牢な古城に侵入するかのように、慎重に1つ1つの扉を開けていくようだった。1つでも鍵を間違えば、罠にかかり、生きては帰れないほどの緊迫感があった。ケビンのその姿は、私の自尊心を満足させた。何事にも余裕で、涼しい顔をしている年上の男が、私のために額にうっすら汗をかき、真剣に扉を開けようとしていた。

最後の扉と思われるものを開けた瞬間、私は小さく声をあげた。奥から溢れる洪水に抗うかのように、ケビンは動きを早め、次第に私は見たこともないほど美しく、キラキラ光る湖面のような真っ白な世界へと飛び立った。

涙が溢れて止まらなくなった。
人は悲しみや怒りや喜びだけで泣くわけではない。何か、体の奥に眠っている魂が揺り動かされ、露呈された時に涙がでるのかもしれない。冷たい外気と温かい部屋を遮る窓ガラスのように、魂と外気が触れ合うとき、その温度差で結露するかのように。その涙は、決して苦しいものではなく、止まることなく流れる川のようだった。ケビンは私の様子に驚くこともなく、ずっと私を抱きしめ、優しく指で体をなぞった。

今まで押し殺してきた感情が一気に溢れ出した。
父はユーモラスな人間ではあったが、仕立て屋に騙されるほどの低い知力の持ち主ではなかった。それなのに、側にいた人々は手のひらを返したように、父を馬鹿にした。悲しかった。もっと酷いのは母だ。母は本当の父を知ろうともしなかったのではないか。王としての父しか見ていなかったのはないか。本当の父を愛していたら、どんな状況でも耐えられたはずだし、私を放置しなかったはずだ。悲しい。悲しい。辛い。でも、どうしようもなく、父も母も愛している。

しばし泣いた後、私は初めて覚えた不思議な高揚感から、「もっと、もっと」とケビンに願った。全ての要求に彼は答えた。おそらく5時間ぐらいは経ったのだろう。健全さを象徴する温かい太陽の光が、卑猥な夜を呼び出す真っ赤な夕焼けに変わっていた。
夕食の時間が迫ってきた。そろそろ侍女が呼びに来る時間だ。だがお腹は全く空かず、全身が満ち足りていた。ケビンは私を後ろから抱き、頭を撫でながら言った。

アン。この行為は本来、生殖のためのものです。多くの人は愛おしい人の子供が欲しいと願い、そのためにします。次第にその過程で生じる興奮や快楽に気がつくと、本来の生殖という目的ではなく、快楽を目的として行為に至るようになりますが、それは「愛がないこと、恥ずべきこと」とし、隠すことが当然とされます。そして、その恥ずべき行為は、家族を形成する、あるいは維持するための一環としてなら問題ないと制度化しました。それ以外で行為に及んだ場合、見つかったら最後、断罪されてしまいます。でも、私にはそれとは違う領域があるように思うんです。快楽が目的ではなく、「魂と繋がること」が目的となり、快楽が手段となることもあるのではと。結果的に生殖につながる場合もあるでしょうが、形は様々なのではないかと思うのです。無論、何がいいか悪いかなど、私にはわかりません。善悪を決めることほど、醜いことはないですから。


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