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愛されてる女は綺麗になるっていうけどさ

 オイルに絡まった蛸の香りが鼻腔を擽る中「私たちは、もっと大事にされてもいいと思うんですよ。だって私たちって、自己肯定感が他の人達より高いじゃないですか。気付くのが遅くなっちゃいましたけど、私たちよりも私たちを好きになってくれる男が必要なんです」と、彼女は大きくなったお腹を丸く撫でた。

 スプーンの窪みを利用して、くるくると麺をフォークに巻きつけるも、上手く丸まってくれない麺がぴょんぴょんと飛び出して、皿に飛び降りてく。

 その麺を見届けた後、私は彼女の浮腫んだ手に目をやった。
 前まで左手薬指にはまっていた、シルバーの指輪はどこにいったんだろうか? 
 ぼんやりそんな事を考えながら私は、レモンの香りがする水に口をつけた。

「ねぇねぇ、これ食べていい?」
「仕方ないなぁ」
「やった! ありがと〜!」

 彼女の歳に比べ、随分と若い彼氏はメニューを無造作に閉じると店員さんを呼んだ。
 若い彼氏は、私と彼女よりも遅れてやってきた。
 可愛らしい顔つきによく似合うくすんだ色のパーカーに、ジーンズを履いていて、爽やかな香りを漂わせていた。

「さっきの話の続きなんですけど」

 蛸はもう、胃袋の中なのだろうか。
 彼女は飾りのパセリで汚れた唇を、ペーパーナプキンで拭い口を開いた。

「今までは、自分の事をどれだけ好きでいてくれるだとか、大事にしてくれるだとか、どうだって良かったんですよね。愛してくれる存在より、愛せる存在の方が魅力的でしょう? 狩りみたいに追い求めて、苦労して仕留めると、最初はめちゃくちゃ楽しいんです。苦労した分、手に入れる前より愛しく思えるし……。だけど、そういう男って自分が上だって分かると、自分をいつまでも賞品だって思い込んで、俺は高い男だ! とでも言いたげに、傲慢な態度を取り続けるでしょう? もう、嫌なんですよね〜」

 彼女はわざとらしく首を横に振った後、隣に座る若い彼氏を見た。

「この子は私の事が好きなんですよね。どうしようもなく私の事が好きで、お腹の子が自分の子じゃなくても、大切にするって言ってくれるんです。そんな事言われたら……あんな男なんて、捨てちゃうでしょ?」
「俺の子じゃなくてもいいよ、俺は君といれたらいいから」
「ほらね」

 賞品になりたかったのか、幸せになりたかったのか、はたまた旦那さんとの間にあったのは偽りの愛だと気付いたのか。きっと、誰にもわからないんだろうなぁ。

 彼女は勝ち誇ったわけではなく、マウントでもなく、幸せの絶頂にある自分を見てほしいのだろうか。
 友人としては、彼女が幸せでいてくれるのが一番だ。
 私は口角を上げて「幸せになってくださいね」と、言ってみせた。

「ありがとうございます。……本当、知りませんでしたよ。こちらが鬱陶しいって思うくらいに、自分にメロメロになる男って、いいもんですよ。これからずっと一緒にいるんだから尚更。旦那には子供を産んでやるので、私は私でこの人と幸せになりますよ」

 そう言うと彼女は、ニコッと笑い食事に戻った。

 神々しいまでに光る白い肌の奥に、今までの黒が透けて見えた気がした。
 愛されてる女は綺麗になるっていうけどさ、きっとそれは綺麗に見せれる余裕が生まれただけなんだろう。

 私はそんな事を考えながら、ブツブツに切れてしまった麺をスプーンに乗せて、一気に口へと運んだ。

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