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11年の栄養士人生を振り返る

こんにちは、Cheerです。
私は音大を卒業後、専門学校で栄養士免許を取得しました。その後、管理栄養士の資格を得ましたが、転職を繰り返し、決して落ち着きのある人生とは言えません。
キラキラした管理栄養士ばかりメディア等で話題になるのは仕方ありませんが、こういう仕事もあるんだよ~という記事です。


私が栄養士になった理由

最後の氷河期世代、普通に就活に失敗しました。
今だったらあの手この手でなんとかできたかもしれませんが、当時は引っ込み思案だったので…私はダメな子なんだ…とりあえず手に職をつけよう!ということで、趣味のお菓子作りが高じて栄養士を選択しました。

1社目 給食委託会社

面接の逆質問で、「震災が起こった際、御社はどのような対応を取るか」と聞くようにしていました。鼻で笑ってきたところもありましたが、1社目は「自社のヘリで物資を運びます」と即答されたので、「かっこいいー!」と無垢な私はここに決めたのでした。
3月20日くらいが入社式で…今の感覚なら「ブラックやん…」となりますが、当時は「そういうこともある!」と思っていました。無垢ー!

最初は大阪府南部方面の老人ホーム(約150食)で約1年勤務しました。栄養士は私だけで、調理補助や盛り付け、在庫管理等をしながら調理師のおばちゃんたちとのんびり過ごしていたら、オーナーが新進気鋭の女性社長の給食委託会社を気に入ったらしく、突然契約解除されることに。現在もあの老人ホームにはそこが入っているので、相当相性が良いのでしょうね…

その後は大阪市内の老人ホーム(約300食)で約2年勤務しました。厨房の管理栄養士が5~6人いてびっくりしましたが、パワハラ・セクハラなんでもありの超絶ブラック職場で、神経と体重がすり減りました。
最後は栄養士が私1人になってしまい、調理以外のすべての業務(献立作成、施設との折衝、調理補助、衛生管理、在庫管理、シフト作成、パート採用に新人教育等)を担うことに。6時半~終電勤務が4か月続き、退職の1か月前に新卒栄養士が3人入ってきて、てんやわんやでもう無理だと逃げるように退社しました。

知識がないって怖い。病休も労災も有給も使い方を知りませんでした。月の休みは4回だけでした。

職場の前は、駅から白線の歩道しかなかったので、毎朝道路の真ん中をふらふらと歩いていたのを覚えています。(早朝で車通りがなかったのが幸い)

突然肩が上がらなくなって、歩くと全身に響くので職場最寄駅で座り込んでしまい、泣きながら職場に遅刻の電話をして、職場裏の鍼灸院に駆け込んだこともありました。(早朝から空いてました)

かろうじてハローワークで退職理由をぼそぼそと語り、会社都合扱いに変更してもらえました。

2社目 商品開発

栄養士の管理栄養士国家試験の合格率は16%くらいだそうです。
人生で一番頑張ったかも…?

管理栄養士の求人情報を見ていると、派遣社員で麹を使った調味料開発業務というのがありました。当時は麹ブームまっただ中で、おもしろそう~!と思って最初に求人情報を見つけた派遣T社経由で応募。しかし、先に申し込まれた方いたようで、私は応募できませんでした。
残念だな~と思って求人情報を見ていると、同じ内容で派遣P社からも求人情報が出ているではありませんか!ダメ元で応募したところ、面談と味覚試験を得て、なんと採用になりました。

一人黙々と製品の原料を作成し、試験するという…おそらく一般的な商品開発業務とはかけ離れているんだろうと思いつつも、楽しい1年半でした。
しかし商品開発業務は作っては食べるの繰り返しなので、若くないと身体が持たないと思います。私は塩分過多になり、高血圧スイッチが入ってしまいました。

商品化には至りませんでしたが、麹が身近な存在になったので、甘酒、塩麴、味噌は自作するようになりました!

3社目 任期付き・行政栄養士

2社目は毎月派遣会社の担当さんと対面もしくは電話面談があり、近況や更新する・しないという話をしていました。本来なら退職の1か月前に「次の更新はありません」という話になるところ、特別に(?)2か月前に教えて頂けたので、転職活動を開始。

ちょうど3年の任期付き行政栄養士の求人があり、筆記試験と面接を得て採用となりました。1回更新しました。
任期付きとはいえ、扱いは正職員枠なので、選挙事務に駆り出されることもあります。6時半に駅から離れた公民館に出勤とかだと、遠い地域にお住まいの方には厳しいかもしれませんね。選挙管理委員会事務局と要相談です。

さて、教育委員会事務局での採用で、産休から復帰する正職員さんのサポートという話でしたが、正職員さんがハード面を担当されたので、私はソフト面(給食委託会社や物資納入業者との折衝、小学校給食の献立作成に関わる物資の見積もり・選定・契約・発注・請求処理、おたよりや事務文書の作成等)を担当し、二人三脚で6年間楽しく過ごさせていただきました。
主張の激しすぎる市民の方がいたり、コロナ禍で大忙しの日々もありましたが、充実した毎日でした!

正職員さんが突然退職されることになり、上司から採用試験があるので受けて欲しいと言われたのが6月半ば。
5月下旬発行の広報に求人が掲載されていたそうで…もっと早く教えて欲しかった…
6月下旬に申し込み締め切りがあり、7月下旬までにテストセンターで試験を受けることになったのですが、席が空いている日がもう7月上旬しかなかったので、勉強期間たったの2週間で受験する羽目に。

案の定めちゃくちゃ成績が悪く(初めてのテストセンターで操作方法を間違えたり…)、残念ながら落ちてしまいました。
任期付きを更新して欲しいと言われましたが、それって私が全部引き継いで、私の落ちた採用試験に受かった人に教えていかないといけないの?と思うとモヤモヤが止まらなくて、更新はお断りしました。

4社目 会計年度任用職員・行政栄養士

3社目がDoor to Doorで45分通勤だったので、次もなるべく近いところがいいと思い、35分通勤できる隣市の教育委員会事務局に決めました。

会計年度任用職員とは、2020年から始まった任期1年の非常勤職員です。更新で最長3年働け、4年目は再度公募に応募して面接を受けるそうですが、20年非常勤職員だと言っていた栄養士の様子を見ていた限り、書類にサインして終わりっぽかったです。1から10まで杜撰な職場だったので、他市はどうか分かりませんが。
色々とニュースになっている雇用方法なので、腰掛けの仕事で楽できるかな~(ゆっくり転職活動しよう!)と思っていたら、めちゃくちゃハードモードでした。不要な仕事を生み出す錬金術師とでも言いましょうか。

中学校給食の立ち上げに携わることとなり、すべてがゼロベース…え、数年かけて準備してきたんじゃないの?と毎日思っていましたね(笑)
本当に誰も何もしないので、3社目で仲良くして頂いた栄養教諭や学校栄養職員の先生に連絡して、食物アレルギー面談の手順だとか、手続きに使っていた書類だとかをちょっと見せてもらいつつ、書類を整えました。

1年間で、65件の食物アレルギー面談を担当させて頂きました。あがり症なので辛かったですが、この腐敗した職場で得られるものは何かと考えたら、保護者とマンツーマンで話すコミュニケーション力とか、中学生40人学級で話す力とか、給食反対派の教員を説得する力とか…私の苦手なことが克服できました(笑)
学校栄養職員のようで、そうでない、なんとも不思議な職場でした。

現在の状況

4月1日から無職です!
1日目は規則正しい生活をしなきゃ…!とか、何とも言えない焦燥感に駆られたりしましたが、3日目からだらだら~っとしてきました。犬の世話があるので、早起きは欠かせません。

4月下旬から職業訓練校に通う予定なので、その準備をしたり、資格試験勉強をしたりして過ごしています。
本当は昨年に通いたいと思っていましたが、焦燥感から就職を選んでしまいました。1年間走りっぱなしだったので、半年くらい休んでもええやろ…って感じです。

お金の話をすると、3社目は6年目で年収400万に届きましたが、4社目は300万ないくらいです。行政や病院、教員、委託の営業でないと、栄養士・管理栄養士の給与400万以上は難しそうです。

栄養士を続けるかどうかも、正直分かりません。
やりがいのある仕事がしたいな~

#はじめての仕事 #栄養士 #管理栄養士 #就職 #転職


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