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クリスチャンになるまでの神様との追いかけっこ。

こんにちは!

今日は、クリスチャンになるまでのうちの人生を話そうかな。


タイトルは、そうだなぁ、、、神様と追いかけっこ。にしよう!


長くなるかもしれないけど、聞いてね!


それでは始まり始まり〜〜

キリスト教と出会うまで

うちはノンクリスチャンの家庭で生まれた元気な子だったのよ。


小学校の頃は、毎日何かしら習い事をしてて、多い時では5、6個同時にしてたかな。


まあ、小学生にしては、めっちゃ忙しい日々を過ごしてたわけよ。

小4のときに、何でかわからんけど、ママに塾の夏季講習に連れて行かれて、なぜかその時は


“あ、塾って楽しい!”って思ったから、塾に通い始めたんだよね。


それから、小5にあがる時に、


中学受験しますか?、どうしますか?


っていう面談があったんだけど、


もう面談に行かなきゃいけないって時まで決められなくて迷ってたのね。


家を出る直前に、両親はうちに中学受験をして欲しかったみたいで、


最後の説得をされてたのよ。

もう時間ないしどうしよう、そんな事言われてもわからんよ😥って思いながら、

半ばヤケクソに、“受験するよ!!😤”

って放った一言で、中学受験をすることになったんだよね。


(小6の時に、この決断をどれだけ後悔したか、、、笑)

今思えば、もうこの時点で、神様はうちの事を追いかけてたんだと思うなあ。笑


受験も無事、二つの学校に受かり、一つはミッションスクール、もう一つは仏教系の学校。


うち的には、どっちでもいいかなーって思ってはいたんだけど、


塾の先生(その当時はちょっと怖いって思ってた先生)が、


うちが通うことになるミッションスクールを、

“もうじゃあ、この学校行くよね?!”

ってゴリ押しされて、思わず、

“はい。。”

って言ったのがきっかけで通うことになった。笑


今となっては、このプッシュに感謝してる。笑

聖書との出会い

中学生になって、ここで初めて聖書というものに出会ったんだよね。

学校にチャペルっていう場所があるんだけれど、
(その場所は、全校生徒で礼拝をする日やイベント事がある時に使われるんだよね)


入学説明会の時に初めてチャペルに入った時、


すごい鳥肌がたったのは今でも覚えてる。

(実は、受験当日まで、学校には行った事なかったんだよね。笑)

今思えば、本当に神様に呼ばれてたんだなって感じるよね。
(⚠︎ここでは、冷房強すぎただけじゃないの?とかいうツッコミはなしね。笑)

入学してからは、毎朝、礼拝があって、最初は眠たいなーって思いながら過ごしてた。

ある日、礼拝中は聖書以外の物を見てると注意されるし、


年に二回は礼拝の時に、クラスメイトの前でお話をしなきゃいけなかったから、
(自分で聖書箇所を選ばないといけないんだよ😓)


聖書でも見て時間潰そうって思いながら、パラパラと見てたんだよね。


うちの聖書についていたブックカバーに、


“嬉しい時”、“悩んでいる時”とか


カテゴリー別にオススメの聖書箇所が載ってあったんだよね。


その聖書箇所を一つ一つ読んでいくうちに、


他の色んな箇所も読んでいくようになったんだよね。

(聖書を一回閉じて、ぱっ!って開いたページで、目に留まった箇所を読むとか、今だにやってる(笑))

まあ、そうこうしてるうちに、賛美歌や聖書を読むようになったの。

例えば、
部活どうしたらいいのかわからなかった時とか、


うちのママもミッションスクールに通ってたから、


家で賛美歌を歌ってると、


いつの間にか、セッションになってることがあったりして、


どんどんキリスト教、神様との距離が近くなっていった気がする。


あと、学校でクリスチャンの親友ができた事がまた、大きなきっかけかなって思ってる。


その子は、うちから見たら、


ザ 良い人!


って感じの子なんだよ。

その時、何となくクリスチャンはこういう人がなるんだなぁって思ってた。

だから、もしクリスチャンになるなら、


その子ぐらい良い人になってからじゃないとなっちゃダメだと思ってたんだよね。

この時点で、少しキリスト教ってなんか良いなぁって思い始めてたのかもしれないね。

高校1年の時に、


中学から始めたサッカーをもっと頑張りたいと思って、


クラブチームに入ったんだけど、ここで人生初の挫折を味わったんだよ。

自分で言うのはなんだけど、


まあスポーツ全般、そつなくこなせるレベルの運動神経をもってたわけよ。(今では運動部だとは思われないとか言われる事もあるけど。笑)


だから、自分の自信があるスポーツって分野で挫折を初めて経験したから、


なかなか、うちにとっては、大ダメージを食らった。笑

この時、沢山の人励ましてもらったり、


さっき、出てきたクリスチャンの親友に祈ってもらったりして


立ち直る事が出来たんだけど、

クラブチームへの復帰はレベル的にも精神的にも限界を感じていて、結局、辞めることになっちゃったんだよね。

この挫折で、こんなメンタルじゃダメだって思って、


誰も知らない所でも挫けないような心が欲しいって考えるようになって、


高2で1年間アメリカに留学することにしたんだよね。

なんで、そこで留学って思うよね?

うちは親の英語の英才教育を通して、英語が大嫌いになってしまって、


中学までは何とか知ってた英語力で上手く乗り越えてたんだけど、


高校に入って、そろそろ本格的に英語を勉強しなきゃ追いついていけなくなってきたんよ。


そこで、うちは考えた、


この先、社会人として生きていく中で絶対に英語が必要な世の中が来るって。


だったら、この嫌い嫌い病を治さないと!って思って、


お願いして留学をさせてもらえる事になった。


この当時、自分で体験しなきゃ何事も本当かわかんないでしょ!って考えの人で、


本当は、アメリカなんて場所、ないんじゃないのー?って思ったりもしてて、


それを確かめたかったってのもあったんだよね。笑

留学での出会い

留学先では、めっちゃ良いホストファミリー恵まれて、


その地元の高校に通う事になったの。

ここで出来た友達は、


ほぼクリスチャン!!!


初めて一緒に遊びに出掛けて着いた場所は、


まさかの教会。笑 


教会で、今では分かるけど、


青年クラブ(中高生が集まって聖書の話とかをする会)に参加したんだけど、


その当時は、スピーキングは愚か、リスニングすら出来ない状況だったから、

何を話しているんだか、さっぱり😲って感じだったね。笑

留学中も、留学先に自分の聖書を持って行ってたから、たまにパラパラ読んでたねー。

時は飛んで、


留学が無事に終わり日本に帰国してから、


いつの間にか、


あー、いつかクリスチャンになれたらいいなぁ


って思うようになってた。

大学進学での決断

大学の進路を決める時、


なにがしたいのかを考えた時に、


やっぱりスポーツに関わりたいって思うようになって調べていくうちに、


アスレティックトレーナーって職業に行き着いた。


アスレティックトレーナーは、


アメリカでは国家資格になってちゃんと地位も確立されてきてる職業なんだけど、


日本では、スポーツ業界以外ではまだまだ、浸透してない職業なんよ。

それで、せっかく学ぶなら、本場のアメリカで、


あと留学時代にアメリカの教育方針がすごーくうちに合ってるって思ってたから、


懇願してアメリカの大学に進学させてもらう事になったんだ。


アスレティックトレーナー(AT)になるには、


2年目から資格の試験を受けられる大学でのATプログラムに入らないといけなかったんだよね。

大学2年にあがるときに、


“プログラムには来年(一年間延びる)入ってね”っていう合否のメールが来たのよ。


そのメールが来たとき、合格しなかった事が一瞬で分かったから、


てっきり、不合格だったんだ。。。


と思い込んで、転学する事にしたんだよね。

神様との再会

ここからが、神様の追いかけっこ劇のラストスパートが始まったんよ。


転学して、テキサスの大学のATプログラムに入れたんだけど、


転学前の大学と比べると、テキサスの大学は、日本人がとにかく少なかった。

人見知りのうちからしたら、めっちゃ不安だったなぁ。。。


ある日、


友達とUberを使って街を探検しよー!ってなって、


Uberを呼んだら、そのUberドライバーが、車に乗ってすぐに、

“日本人?”


って聞いてきたのよ。


それで、“あぁ、そうだよー!”って返したら、

“わー、すごいよ!実は、僕のお母さん、日本人なんだ。今、お母さんに電話するから、話してあげてくれないかな?きっと喜ぶよ!”って言われて、

そのお母さん(うちからしたらとっても優しいおばあちゃん)とテレビ電話で話す事になったの!笑

その電話で、どこから来たのー?大学でなにしてるのー?とか質問を受けてたら、

“今度の日曜日、教会に来てみない?日本人教会だから他の日本人もいるよ。


”あ!おいなりさんも作れるから持っててあげるよ!”って言われて、

うちは、

”日本人?!おいなりさん😍!”

って思って、行くことに決めたんよ。笑

たくさんのクリスチャンとの出会い

日曜日になって教会に行ってみると、


大半が可愛らしい日本人のあばあちゃん達だったんだけど、


その中に数人若い女性の人達もいたんだよね。


教会にいた人達みんながうちの事を歓迎してくれたんだけど、


その中でも一番歓迎してくれたのが、一人の日本人女性だったんだよね。

この人の事をYさんって呼ぼう。

Yさんは、

“わーーーー!!!日本人の女の子だー😆!!今まで、教会に来てくれた日本人は、男性の方ばっかりだから、すごく嬉しい!!!”

って大歓迎をしてもらって、お友達になったの。


それから、数回、教会に行く事もあったんだけど、


学校も忙しかったり、日曜日の朝は寝てたいっていう願望があったりで、


全然、教会には行けてなかったんだよね。


でも、Yさんから時々メッセージをもらったり、


他の日本人のクリスチャンと出会わせてもらったりするようになったんだよね。

転学後の楽しく過ごしていたんだよね。


そして、うちの犬、黒おはぎくんを飼うことになった。


でも、犬を飼っていい場所に引っ越すまで、あと2週間あって、


黒おはぎくんの仮住まいを探さないといけなくなったんだよね。

その時に助けてくれたのが、


まだ一度しか会った事のないK夫妻。

黒おはぎくんをきっかけに、K夫婦と仲良くなって、


ほぼ毎日のようにお家に行かせてもらってた。


(よく考えると、なかなか迷惑な事をしてたなぁ。すみません😅笑)

クリスチャンになるタイミングって?


本当に色々お話しするようになって、


うちもいつの間にか、K夫妻が

なんでクリスチャンになったのか?

知りたくなっていったんだよね。


それで、聞いてみたんだ。


そしたら、その質問を皮切りに、

キリスト教についての話を、待ってましたー!

と言わんばかりに、沢山、キリスト教についても話を聞かせてもらって


少しずつ、うちの中にあった、


キリスト教、クリスチャンに対する考えが変わっていったんよ。


それから、うちはYさんだったり、


周りのアメリカ人のクリスチャンだったりにも話を聞くようになって、


あ、クリスチャンになりたいなぁ


ってぼんやりと考えるようになった。


その時、うちはクリスチャンになるタイミングって、


“あ、今だ!”


っていうのが分かって、クリスチャンになるものだと思ってたのよ。


だから、その一歩を踏み出せる日を待ってたんだよね。


その話をYさんに話したら、


“違うよ!” の一刀両断。


“クリスチャンになるのに一番大切な事は、

神様を信じたい、っていう気持ちなんだよ。

だから、
その一歩は自分で踏み出さなきゃ、そのクリスチャンって扉は開かないんだよ!”


って言われて、うちは、


MIND BLOWN!って感じで、


日本語で言えば、目からうろこ?的な感じの感覚だった!


それから、自分の心の中に信仰があるのか考えてみたら、


あ、それなら、うち、あるかも


って思ったから、


そこで初めて、自分自身の人生を思い返してみたんだよね。


そしたら、

あれ?! うち、どこ行ってもクリスチャンの人に出会ってるやん?

って事は、うち、めっちゃ神様に追われてるやん!!

めっちゃ、扉叩かれてるやん!!!!

って気がついたんだよね。笑

もう、この事実に気づいた以上、


一歩踏み出すしかない!扉開けるしかない!って思って、

クリスチャンになる


事になったんよね。

一歩を踏み出す勇気


この時、初めて、心の底からお祈りをしたと思う。


ものすごく、


”神様を信じます”


って言葉を言うことが怖かったことも覚えてる。


でも、今では、その勇気があったからこそ、


今の自分があるんだって思ってる。

こういう訳で、神様との追いかけっこではうちが捕まって、


これからは、うちが神様の後ろを追いかける側になったんだ。☺️

そのお話はまた今度。

こんな感じでクリスチャンになったんだけど、


このnoteを書くまで気が付かなかった事もあったりして、


あー、やっぱり、すごいなぁ、恵まれてたなぁって感じたね。


神様は、分かりやすく気づかせてくれる時もあるけど、


こうやって、うちみたいにゆっくりと時間をかけて


うちの心を、冷凍庫から出したばっかりのアイスを溶かすように、


柔らかく、ゆーっくり、溶かしてくれたんだよね。


クリスチャンになったからと言って、もう神様のことを全部分かってる訳じゃなくて、


分からないから、知らないからこそ、神様について行くんだよね。


それが、うちが追いかけっこの追いかける側になったって書いた理由なんだ。


なんか、もっと書けそうな気がするけど、今日はここまでにするね!笑

このnoteを読んでくれたあなた。


こんな長くて、グダグダなお話を最後まで読んでくれて


ありがとう😊!

“イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。”(ヨハネによる福音書14:6)新共同訳
“実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。”(ローマの信徒への手紙 10:10)新共同訳

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