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【大学生の私】自分探しの留学で見つけたもの

本日もお疲れ様です。


大人になると学ぶことが多い分、上手に生きられるようになっていく気がする。


周りの人との上手な関わり方
やりたくないことの上手な乗り切り方
やるべきことを優先させる上手な時間の使い方
本音の上手な隠し方


でも、自分を見つけることや、やっと見つけた自分を大切にし続けることは大人になるにつれて難しくなる。


私は、一生「私」を生きたい。
それだけだ。

再出航

高校のことは忘れたかった。大学に入学してからは勉強も頑張りつつ、一番仲良しの友人もできた。新しい場所や仲間の存在はとても新鮮で、嬉しかった。


自分の居場所を作りたくて、自分とは合わないと思う人がいても、出逢えた人のことをもっと知ろうと、無理をした時もあった。


でもやっぱり心の距離が近づけばと思えば思うほど、遠くなるような人もいて。他人は他人。無理にお互いを分かり合おうとすることだけが正解じゃないと知った。


もしかすると、前から私の仲間意識が強かっただけなのかもしれない。それまで教室やチームで何かと「みんなで一緒に」とか「足並みをそろえて」という環境にいたから気が付かなかった。


自分は見返りを求めていないにしても、私の気持ちを都合の良いように使う人も中にはいて、それにはやっぱり傷ついてしまう。


自分がどんなに大切に思っていても、その気持ちが返ってくることばかりじゃないから。それが成功した例が親友とか恋人とか家族になっていくのだろう。


気持ちのやり取りに一喜一憂して、毎日答え合わせをしているようでは、疲れ切ってしまう。


心が躍る場所で、一緒にいたい、一緒に過ごす時間が幸せだと思える人達を大切にしたい。


それで100点だと思えた。


羅針盤

夢が叶った。


アメリカへの留学が決まり、絶対に何かが変わると思った。


私にとって宝物の時間で、多くの出逢いが私の中のものさしを一回りも二回りも変えて行った。


自分が何者かを考えるきっかけをたくさん与えてくれた現地の友人達、背中を押してくれた家族には心の底から感謝している。ただの海外への憧れだけではなく、どう生きていきたいのかひたすら考えた時間だった。


見失った航路

帰国後。
大げさではなく、毎日どん底にいるようだった。


自分探しが難航していた。


留学前に抱いていた夢や将来が、本当にやりたいこととは「違う」と思ってしまったのだ。


大学に入学してからはホテリエになりたいと夢を見て、そのために必要なことを常に優先して選択してきた。資格の勉強やゼミの選考、研修への参加までホテリエになることだけを考えていたからこそ、それが違うとなればもう道がないのも同然に思えてしまった。


ちょうど3月の寒さが和らいだか残るかくらいの時期だった。


精神的に整理がつかず、毎日のように部屋で涙を流し、気が付いたら朝だったことが何度もあった。授業中でも、電車に乗っていても、涙は流れてきた。あの時は身だしなみなんかどうでもよくなっていて、授業にアルバイト、ごく普通の毎日過ごすことが精一杯だった。


留学を経てやっと好きになれそうだった自分のことも否定し続けた。何が嫌なのかさえも分からず、孤独感や劣等感ばかりが募っていった。


パイロットさん

船の上でのパイロットは「水先案内人」を指すらしい。ここからは私の旅を大きく支え続けてくださった方をお名前の代わりに「パイロットさん」と書こう。パイロットさんには出発から帰国後までかなりお世話になった。心から信頼、尊敬する大人である。この出逢いは、私の旅において特別なものだ。



春休みが明け、このままではだめだとパイロットさんに話をしに行った。


「辛い」とそのまま自分の感情を言葉にした。


たくさん泣いて、次の日に目が腫れたままで学校に行った日もあった。


パイロットさんは、とにかくたくさん聞いてくれた。
この人なら大丈夫、そう安心させてくれる大人だった。
「またおいで」とどんなに忙しくても、笑顔で迎えてくれて嬉しかった。


自分の気持ちを話すうち、やっぱり私は、英語や海外が好きだ。念願叶った留学で「自分らしさ」を見つけた場所に戻りたい。そう思った。


十分な資金があるわけでもないし、これが正しい選択なのかはわからなかった。それでも、パイロットさんが知人を当たって現地への手配を手伝ってくれたこともあり、両親はそこまで本気ならと理解してくれた。


この夏休みの1か月で次こそ何かが変わると思えた。
新しい場所、出会い、学び、全てにわくわくした。


無事に渡航し、念願だったホームステイ。前回の留学では学生寮に滞在していた私は、ホストファミリーとの間でカルチャーショックそのものを経験したけれど、この1か月の滞在で得たものは状況察知能力なんかではない。


自分を見つめなおす力。


どんな状況に置かれても、私はたぶんやっていける。
そんな風に思えた。


アメリカのその場所は、私の旅が始まった場所でもある。もう一度温かい場所、人達に触れて、戻ってくることができてよかったと思えた。


私は人と人が繋がる温かさが好きなのだ。


アルバイトや大学生活で、人のためにと思っているのに自分をすり減らしているような感覚になる時があった。


自分が仕事にしたいホスピタリティとはこういうものなのかと。


悪く言えば裏表がある。


でも、本当に笑顔でいて欲しいと思う相手のためには、自然と喜ばせたい気持ちが湧いてくる。


大切な人だから。
小さな場所でも良い。
大勢の人でなくても良い。
ただ自分に胸を張れる仕事をしたい。
そう思った。


地図

夏休みの1か月のホームステイから帰国し、授業が再開した。


やっと自分というものがわかってきた10月ごろ。


将来何がしたいのかは、まだはっきりしない。
焦りと何かにすがりたい気持ちで、大好きな地元に帰った。
そして中学生活で最高に楽しかった思い出を確かめるように、当時の部活仲間に会いに行った。


何か、誰か、あの時のままでいてくれるような気がして。
みんな別々の高校に進学したので、私の高校時代のことは知らない。


でも、私が大好きだったものや人は変わっていた。
成人式の時に気が付けば良かった。
集まればあの時みたいに、なんて物語の世界のことなのかもしれない。
みんな変わって大人になって、それぞれ守りたい想いがあって。
それが私にとっては、勝手だが辛く感じてしまった。


過去の思い出を美化して、執着していたことに気が付かされたからだ。


過去がどんなに綺麗でも、ずっとは続かないし思い出にすぎない。
今を生きろ、今と向き合え。そんな風に。


私も新しく前に進もうと心に決めた。


燃料切れ

「疲れていない?次のお休みはいつ?」とパイロットさんが富士山に連れて行ってくれた。

パイロットさんは、お仕事をしている。学生の私なんかよりずっと忙しい。それなのにパイロットさんはいつも私のことを気にかけてくれる人だ。私が社会で働くようになった時、何をどうお返しできるかわからないほど、偉大だ。


人は自然を感じると、やっぱり元気がでる。富士山が背中を押してくれるような気がした。

その時の富士山は雲の帽子をかぶっているようだった。
地元の方いわく、かなり珍しい姿だったらしい。


ふと、思った。
燃料切れだ。


その時私は学生団体代表、ゼミ長、ワークショップの実行委員長と背負っているリーダーとしての役割がいくつかあった。


これを書いているは現在はどこからそんなエネルギーが湧いていたのかと驚いているが、毎日のように大学の電気が消える23時まで学校にいて、次の日もまた次の日も授業や課題をこなし、アルバイトに行っては、遅くまでパソコンとにらめっこをしていた。


常に仲間達と作る企画や、自分たちと関わる人達が喜んでくれることが楽しみだった。100名以上の仲間達に手書きで感謝のメッセージを書いたり、大人たちとの分刻みでのメールのやり取りやミーティングをしたり、どんなに忙しいスケジュールでも、できていたのだ。


楽しかった。
やりがいもあったし、留学から帰ってきてから暗闇にいた自分の居場所を見つけられたような気がした。


複数の組織のリーダーを担うという点では中学の時と似た感覚。しかし、中学の時に感じていたような「とにかく楽しくてたまらない」という気持ちはなく、どこかしんどい気持ちが募っていた。仲間達のためや関わってくださる方々のためを想うとどこまででもできるような気持ちがする分、自分と向き合うことを忘れてしまっていた。


荷役

必死に走ることで精一杯だった年末、クリスマス当日に40度の高熱を出した。


今思えば、肌は大荒れ、常に体調不良で何が何だかわからなかった。
ただひたすらに目の前の与えられた役割に一生懸命だった。


誰かに弱みを見せること、進みを止めることなんてそれまでの自分だったら許せなかった。


でも、根詰め過ぎた結果、気が付いた。


頼っていいんだ。
休んでいいんだ。
私、ちゃんと頑張れていた…よね?


あの時、パイロットさんに弱音を吐いた。
自分の言葉で「辛い」と言えた。
話そうと思える人に出逢えたこと、心から良かったと思う。
救われた。


そして私は、リーダーとして年明けまでしっかりと務め、引き継ぎ書類をまとめて学年が上がるタイミングで組織を離れた。


自分のために、自分と共にあった全ての肩書きから離れた。
今度は自分と向き合う、私のための時間。


大学を卒業するまでは、学生でいられるうちは、
少しだけ自分の気持ちに素直にわがままになってみたい。


積み込みすぎていた荷物を、ここに降ろして進もう。


汽笛

本当の意味での再出航。
1度燃料が切れ、荷物を降ろして身軽になった私。


全休の日の朝、10時に起きたりなんかして、買い物に行ったり、映画を見に行ったり、ごはんを作って食べたり、会いたいと思う人に会いに行ったり、帰りたい時に実家に帰ったり。


すごく楽しかったし、嬉しかった。
大学生活でそんなお休みの日、無かったから。


ただ「楽しい」に全フォーカスして思いっきり笑えるようになったことが幸せでたまらなかった。


そして、パイロットさんや友人達に、
「最近よく笑うようになったね」
「元気になったね」
「楽しそうにお話してくれるね」
そんな風に言われた。


今の私が1番私らしい。そう思えた。
自分の気持ちに素直になれた。
ネガティブな自分も認めてあげられた。


「もっと自由で、わがままになっていいんだよ」


そう伝えてくれたパイロットさんのおかげで、大学生活を楽しむことができている。そして、忘れたかった高校のことも、あの3年間があったからと感謝と共に胸の中に置くことができている。


「辛いことでも、無理に忘れる必要はない。
今のあなたを作っている過去は大切なものだよ。」


パイロットさんのような大人になりたい。この人は、やっぱり偉大だ。

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