アヤソフィアの懐で|イスタンブール
イスタンブールといえばここを訪れないわけにはいかないだろう。
「アヤソフィア」
古代ギリシャ語では「ハギアソフィア」という。聖なる叡智という意味だ。
6世紀前半にはすでに現在の形が成立していたといわれる。
この前に訪れた地下宮殿と近い年代のことである。
すぐそばにあるスルタンアフメト・モスク(ブルーモスク)ができたのは17世紀初頭。なんだか不思議な気持ちになる。
アヤソフィアはイスタンブール(コンスタンティノープル)の歴史を映す数奇な運命を辿っている。
その誕生は4世紀の中ごろのビザンツ帝国時代。コンスタンティウス2世によってキリスト教の大聖堂として建てられた。(このときは木造)
→ 長らくキリスト教の大聖堂として存在したが、15世紀になってオスマン帝国の台頭によりコンスタンティノープルが陥落すると、一転、イスラム教のモスクに。
→ そしてオスマン帝国が終わりを告げると、また転機が訪れる。
1934年トルコ共和国初代大統領アタテュルクは、ここを教会でもモスクでもなく、博物館にした。
→ ところが近年また動きが。
2020年、エルドアン大統領はここをモスクに戻すと宣言。ただし文化財としての側面も尊重し、2階(ギャラリー)部分は引き続き一般にも解放するとした。
→ それまで無料だったものが、2024年1月、外国人には入場料が課せられることに。25ユーロ。(2024年9月)
ちょっと行くのが遅かったー。涙
というわけで、前置きが長くなりましたが、中の様子をいくつかどうぞ。
2階ギャラリーの手すりにはこんなものも。
さて、こちらも細かさや陰影のつけ方など、モザイク画には見えないモザイク画。
モスクになったときに漆喰で塗りかためらたものが一部修復されている。
中央にイエス、左に聖母マリア、右に洗礼者ヨハネ。ΙC(に見えるけどじつはΙΣ)はイエス、XC(に見えるけどじつはΧΣ)キリストを表しているそうである。聖母マリアの上のΜΗΡは母、ΘΥが神で「神の母」。高校で古代ギリシャ語を勉強していたという夫がいろいろ説明してくれたのだが、右の洗礼者ヨハネはなんだったか覚えていない。
先ほどヴァイキングの落書きを紹介したが、ちょうどこのモザイク画の前あたりの床にも何やら彫られていた。(大きさを示すために息子の靴入りで失礼します)
特に説明も保存されている様子もないのが気になって撮ってみた。
ギリシャ文字らしいがいつの時代のものなのだろう。
ストラスブールの大聖堂など、古い建物には建築に関わった関係者(石工なども)が自分の名を記したりするし、江戸城の石垣にも担当した藩の刻印があるというからそういうものかとも思ったが、上の写真は立派に「落書き然」としているから違うだろうな。
そして回廊を降りて出口に向かう途中にあるこちらも興味深いモザイク。
中央にイエスを抱く聖母マリア、右がコンスタンティヌス、左はユスティニアヌス 1世がいる。
それぞれ手に持って聖母マリアに捧げているものは何かというと……
コンスタンティヌスさんが持っているのは、その名を冠したコンスタンティノープル(後にイスタンブールとなる)の都を表す模型のようなもの。
ユスティニアヌス 1世が持っているのはアヤソフィア大聖堂。
最後に、2階ギャラリーの隅での一枚を。
イスタンブールはとにかくネコさんが多いが、ここにも普通にいた。
女性は誘導の係の方。
アヤソフィアはその誕生から現在まで、紆余曲折を経てそこにある。
「歴史に翻弄された」という表現はもちろん間違いではないが、その中に身を置きその懐の広さや深さに包まれると、この存在が翻弄などされることはない、と思わずにはいられない。翻弄されているのは人間のほうなのだ。
いつの時代もいつの日も、人々を受け入れ見守り、そして愛されてきたアヤソフィア。
次に行くときにはどんな顔で出迎えてくれるだろうか。
変わることなく、あらゆる人が集まれる場所であってほしい。