旦那が言っていたが、義母の旅立ちを機に 僕は自由に生きたい、もっとやりたいことを やりぬきたい。 と言っていた。 私達結構自由な方だけど、まだまだなんだ。笑 と思って聞いていた。 そんな彼が好きではいる。 が、今。その宣言?とも思った。 自由って追い求めすぎると周りにも負担かかるし。その負担私にこない?とも思った。 けど、思い出した。 私も退院する時に来年は海外で仕事はじめたい!と意気込み。周りのことなんてお構いなしの宣言。 前からのやりたい事だけど、退院直後にいう言葉ではな
さて、お葬式もおわり、つぎは49日に向け、 旦那の実家の片付けをする事になった。 痛み止めもあるし、私も少しずつできることは手伝いたかった。 重い物は持ち上げられないけど、義母の洋服の整理の判断などはすぐできると思った。 服は教えてくれた。義母のことを。 好きな色と、形、がはっきりしていて、お手入れもしっかりしていた。 ハンガーの先にタオルをくくりつけて形崩れ防止にしてあったり、不織布のストックもたくさんあったり、着てない服もたくさんあった。 1着あたり、2〜3万円くらいで
朝9時には親族を迎え入れるよう家を8時半に出た。 家族葬という事もあり、なんとなく全身黒にパールという格好で行った。子供もAmazonでシャツを買い、ユニクロで黒いパンツをかった。 あとはだいたい揃っていた。カバンはあまり荷物を持ちたくなかったので黒のサコッシュにした。 なるべく座っていたのだけれども、話をしたり、ちょっと親族にお声がけなんかすると疲れた。 精神的にも少し疲れたけど、まさか、手術で体力まで奪われるとは思わなかった。午前中だけしか動いてないのに。普通より半分以下
本当ならば10日間の入院だったが、義母の葬儀もあり、9日目の退院となった。 朝ご飯、昼ごはん、ゆっくり過ごして、 毎日の朝のルーティンみたいなのをなんとなく決めてみたりした。 いつもダラダラ過ごしていたんだけど、 今回の入院生活で21時ごろに寝て5時に起きて 自分のことをするのに7時までの間結構なんでもできてしまった。 これは是非日常生活に生かしたい!と思った。 今回の入院生活と自分の身体の事を想う時間は本当にかけがえのない時間になった。 個室で使っていたソファとちょっとした
今日は一日ゆっくりできる。 朝5時に起きてベットの上で軽めの体操。肩周りが楽になる。股関節もぱたぱた。 傷の負担にならないようにお腹以外の体操。 今日はなんだか携帯を見たく無いな、なんて思ってしまったので、前からやりたかったデッサン? 絵を描くことをしてみた。 昔はたくさん描いてたけど、自分の着地点がわからないまま書かなくなった。 着地点、いまは決まってる。バランスのいい絵を描きたい。 そんなこんなで一日ノートに絵を描く日にした。 お昼がおわり、退院診察してもらった。 まず
6日目の夜に訃報がありました。 深夜の外出できなく、義母の死に目には会えませんでした。 でも、今日葬儀の日どり、霊暗所から移動させる。これからの事を家族で話し合う機会を設けたので、7時間の外出することになりました。 傷の痛み? 全然大丈夫です。なんとなく、痛みどめ1日に一回飲んでおくようにしている程度。 体調も座ってる分には楽。Netflixと読書のおかげかな。SNS系は色々と焦ってしまいそうだから、見ないことにしている。自分の気になることだけでも結構携帯見ているので他人の事
今日は個室になってから初めての朝。 そりゃやってみたいピラティス。 5時に目を覚まして、朝のだらっとした時間を嗜み、YouTube見ながらやってみたらすごくいい感じ!! これは毎日ちょっとだけずつやろう。 あと、ふくらはぎも温めよう。 子宮がなくなると冷えが加速するらしい。 今はワイドパンツ流行ってるから中にいくらでもあったかグッズ履いたりできる。 よかった〜なんて考えいた。 今日も良くない知らせが来たらどうしよう。とかいろんなイメトレをした。 私がいつもの2分の1のスピード
朝は5時に起きてしまう。まずはお腹の位置を確認。背中と肩の痛みを確認。 ベットのリモコンで頭だけ上げるといい感じで腰が伸びる気持ち良さを知って、健診まで音楽きいたり、寝てるのか、起きてるのかわからないと時間を過ごす。 こんな贅沢な時間久しぶりすぎる。 腹式呼吸で身体の痛いところをゆっくり感じてみたり、ゆっくり肩回しとか股関節。ふくらはぎなんかもゆらゆらしてみる。 ちょっとでも体調良ければ本当ならピラティスでもしたい。 朝の回診で体調をきかれたりするのも、痛みもありません。なん
朝ごはんが美味しくて 家ではやらないけど、はんぺんの出汁煮と ほうれん草の煮浸しの味が美味しくて感動していた。まだおかゆ。そっちの方がたすかる。 背中の麻酔のクダがとれて、今日からはロキソニン。両肩がずっと痛かったのが取れるといいな。 点滴の抗生剤と鉄剤を入れてもらった。 点滴も明日で最後。 やることというか、今日は何を一日中考えるかって、排便。 めっちゃ痛いだろうなー。ガスも少し痛かったもんな。 おかゆのままでも、ご飯食べるってことは 排便もしなきゃ行けないということ。
手術明けお腹の麻酔がまだ効いてるのか。誰かのお腹みたい。自分の、お腹の感じがしない。傷もきれいにしてくれてるし。順調な気がする。 背中は痛い。腰痛持ちはこれが嫌なんだよな。朝ごはんはなしで点滴。水が飲めた。口がカラカラだったから一杯の水が本当に美味しい。 背中の痛みを気にしながらちょっとずつ寝る。寝た方が回復早そうじゃない? ロープレのゲームとかもヒットポイント上がるし笑 そんな気持ちでダラダラと寝たり起きたり、まだ読書したりNetflix見たりはする気になれなかった。 自分
朝はしっかり食べて、ゆっくりとした時間を堪能。 手術着だけになって、手術室まで歩いて移動。 ゆっくりした時間だったから気持ちも楽だった。 帝王切開したこともあるので一緒だと思っていた。 手術前緊張しませんか?と言われたけど全然。 女医さんばかりで安心した。 輸血だけはしたくないな。 背中に部分麻酔、 口に酸素マスク。 眠くなりますよーと 言われてからすぐ落ちた。 起きたら病室のベット。足にはポンプを巻かれ 点滴と痛みどめ、尿管がついてた。 右肩が痛い、腰も痛い、寝返りが怖
午前10時半から入院した。 窓際だし、環境が良くてウキウキしてきた! 夫も一緒に来てもらって個室じゃなくてごめんね。って。環境悪かったら個室にしてもいいからね。と労ってくれた。 と、いっても私達は会計は個人なので私の稼ぎから出すことになる。 その後すぐ、看護師さんがきて、あ、もう大丈夫ですと。コロナのこともあり、退出を急かされた。直後、夫が涙した。 話し合いの時なんか何も涙しなかったのに、入院になっての涙。。。 想ってくれているのが嬉しかった。 さて、身の回りの準備。と言っ
旦那ともこの手術について話した。 あと、私がどう思っているのかと、旦那がどう考えてるのか。 呑みながら話した。 夫婦としてちゃんと話し合わないと一生後悔する気がしてちゃんと話した。 涙が出てきた。やっぱ怖かったから。 家庭がこれで壊れるのは嫌だ。 後、旦那が、浮気するんじゃないかという恐怖を、口にしたのも怖かった。 ホルモンのバランスとか、自分に子宮がなくなって虚無感で心が不安定になって喧嘩になるのも怖い。 ちゃんと話も聞いてくれて、不安にならないようにまた2人で遊びに行
病院事は自分の中で決まって、あとは仕事の都合をつける。 どうすればいいかわからなかった。 隠した方がいいのか。 曝け出した方がいいのか。 結局、病名を伏せて入院することを伝えたら友達から沢山メッセージがきた。 すごく嬉しかった。 実家の友達がすぐ連絡くれたのとか。 仕事ばっかしてたから、心から気を許している友達には連絡どう取ろうかも気にはなってた。 それと同時にに全摘に否定的な友人からの連絡。 全摘あとが大変で、一生排尿障害になったりむくみに悩ませられたり、ホルモンバラン
ホルモン剤を飲んで生理を止めて手術までに筋腫を小さくしようというのでレルミナを毎朝同じ時間に飲むことになった。 ホルモン剤の話はきいてたから、これから二ヶ月くらい、手術まで生理がなくなる!それほど嬉しいことはない!と 毎朝ドキドキしながらちゃんと飲み続けた。 だけど、生理が、きた。 しかもずっと流れる。 7日目も、とまらない。 14日目も止まらない。 不正出血かな?と思って耐えた。結果一ヶ月血が止まらないので不安になって病気に駆け込んだ。 座る席全て赤になる。 そのくらい
手術前提で病院に訪問するのが初めてで、 一度子供が、顔を切った時に搬送された病院でもあるので勝手は知ってた。 なので予約して、時間通りに行く予定だったけど、出血がひどく、飛び込み状態で行くことに。 すごく待った。三時間くらい? 先生と話をして、その後診てもらう。 筋腫の大きさは変わらない。 すごく大変だったね。と声をかけてもらった。 腹腔鏡手術で筋腫をとってほしいとお願いしたら、意外な答えが返ってきた。 子宮全摘をお勧めします。 頭の中で理解はしてるけど、声が一瞬でなく