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ダーリンは夢遊病

 さっそくだが、皆さんの中でベランダで放尿する人を見たことがあるだろうか。わたしはある。

 それはもう、圧巻の光景である。

 尿が、朝焼けの中へ綺麗な放射線を描いて迸っていく。見ているこちらまで無駄な開放感を味わうことができる。

 いきなりだが、皆さんの中でいきなり夜中に起き出していって、廊下で思い切り唸りだす人を見たことがあるだろうか。わたしはある。

 それはもう、恐怖を通り越してもはや神々しいというほどである。歌っているのか、なんなのかはわからない。


ダーリンは夢遊病


 わたしは生まれてからの22年間あまり、あるひとつの切実な願いを持って生きて来た。それは、

「自分より意味不明な人と出会いたい」

というものだった。

 わたしの半生は、これまで「イカれてる」、「飛んでる」と言われがちなもんだった。でもそれは自分では全くわからなくて、だいたい自分がどれぐらいイカれているのかを、わたしはずっとずっと知りたかった。だから、その比較基準となる、最高にクレイジーな人間と知り合ってみたかったのである。

 だからこれまでアル中や、浮気癖や、レズにゲイ、あるいは、まるで真逆な、一般的な人間と色々付き合ってみたけど、生きてる手応えを感じることがなかった。手応えっちゅーのはあれだ。わたしの場合、斜め45度から何かアトラクション的感覚が飛んでくるような、そんなことを指している。そう、張り合い。ああ、わたしもやばけりゃコイツも相当やばい、ああ、ちゃんと、拮抗している。ちゃんと、誰かと純度の高い状態でわかりあって、生きている。みたいな。だから、そういう関係を求めるなら、

「!?!?!?」

  みたいな、ハァッ!?!?みたいな、そんな驚きが、そこには、必要なのだ。嵐が過ぎ去っていった後のように呆然としたい、殺戮現場を目の当たりにするかのように愕然としたい、わたしは一秒たりとも退屈したくない。もし交通事故にあったとしても、その一秒前まで退屈してたくない。

 だから多分、わたしは、自分の開催している「意味不明さを競うバトル」の好敵手を探しているんだと思う。なんでそんなもんを開催しているのか、わたし? なぜなら、自分をぼろっぼろに崩壊させたいのだ。クソみたいな自分を崩れさせて、また新たに再構築するには、爆弾が必要だ。それも、強力な。だからわたしは、本を読む。酒を飲む。人と付き合う。セックスをする。そこに愛がくっついていれば、あるいは生まれたならば、それほど素敵なことはない。


ダーリンは夢遊病 


 その背の高い男が、この飲み屋の中でいちばんビールを飲んだ。彼は「ビールおばけ」、あるいは「ビールモンスター」と呼ばれて常連に愛されていた。彼は自分がいちばん酔っているくせに、隣の客に「酔ってるかい?」と十分間に三度聞いた。同じことを何度も言って、皆を笑わせた。その男が、いちばんこの町でイカした顔をしていた。その愛嬌と人の良さが滲み出た彫りの深い顔をゆるく崩して、「今度またどっかで飲もうよ」というのが常だった。万年ビールとファックしているような男だった。恋人に飲みすぎだとビールを禁止されても、「君は自分のペースでいっぱい飲みなよ」と言うような優しい男だった。

 ゴールデンウィークのことを素で「ジーダブリュー」と言った。なぜかはわからない。はっぴいえんどの「空色のクレヨン」のサビの「ララララァァ〜ララララヒィ〜」の部分が好きで、アルバムをいちいち巻き戻して延々と聞いている。身体中に、酔っ払ってこけたのかはよくわからんが、色んな痕がある。彼は恋人がかつて出会ったことのない奇天烈な人間だった。ああ、ついにクレイジーの極みと出会ったか、みたいな手応えがあった。そして極めつけに彼は夢遊病だが、保険証を持っていないので、睡眠外来に行くことができない。

 一日前、彼はおのれの夢遊病を存分に発揮した。

 夜中に布団から起きだしていって、廊下に立ちすくんでいるのである。恋人は玄関で放尿しようとしているのかと思って、この上ないほど焦った。ベランダでするより最悪だ。それで自分も起き上がって、

「トイレはこっちだよ!!!」

 と、彼をトイレに誘導しようとした。

「うるせえ!!!」

 彼は剣幕を変えて怒った。恋人は愕然とした。

 彼はそれから数分間、謎に廊下に立ち尽くした。恋人はもう、呆れて笑ってしまった。自分も廊下に座り込んでしまって、彼の寝ぼけパフォーマンスを最後まで見届けるつもりでいた。

「夢遊病の時、発狂したハイジにしか見えない」彼の髪の長さはちょうどハイジぐらいだった。

「うるせえ!!!」

 恋人は笑い転げた。

 そして、その後、彼は唸った。よく聞くと、それは「空色のクレヨン」の「ララララァァ〜ララララヒィ〜」だった。まさに狂ったいきものだと思った。頭に風穴が開くような衝撃を受けた。恋人は、その唸りが終わったあと、にやけながら小さな拍手をした。なんの拍手かわからなかったが、よくぞ! よくぞ、こんな感じなのに、ちゃんと生を全うしてきた。そのことへの素朴なリスペクトに違いない。

 彼の若い恋人は年内、つまり2016年度が終わるまでに保険証を作らせて睡眠外来に無理やり連れて行こうとしている。それまではミニトマト攻撃だ。ミニトマトが夢遊病に効くという根拠はゼロだが、彼の若い恋人はスーパーで働いているため、見切り品のミニトマトを持ち帰ることが多い。それを大量に食わせて、なんとなく健康に近づけようとしているのだ。

「ミニトマト、おいしいね。ずっとミニトマトみたいなの食べてたい。」

 飲み屋からの帰り道、彼は昨日のことをあっけらかんと忘れて、スナック菓子を食べるようなスピードでミニトマトを袋から直接貪りながら、実に、純粋に、そういうのだった。彼の若い恋人は、その、夢遊病による奇行により少し機嫌が悪くなっているが、そんな純粋極まりない言葉なんぞを言われると全てどうでもよくなって、許してしまうのだった。そのイカれた純粋性は、他に変えがたいものだったから。

「まあ、ずっといっしょにいようよ」

 彼は楽しそうにそう言った。恋人は、その言葉を聞いて、一瞬でこの上なく幸せな気持ちになった。

「ゆっくりやろうぜ」

 恋人は、お前はもうちょい焦れと思ったけど、そのいつもの口癖を聞くと安心して、

「帰ったら”空色のクレヨン”を爆音でかけようね」とだけ言った。ララララァァ〜ララララヒィ〜。


ダーリンは夢遊病


©MAKINO KUZUHA

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