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「信じる」というより「取り入れる」ー私とスピリチュアルのちょうどいい距離感

パワーウィッシュを始めて約半年、ムーンクリアリングを続けて一ヵ月半たちました。

(パワーウィッシュとは、新月と満月に願いを書くこと。ムーンクリアリングとは、二、三日ごとに月が星座を移動するのに合わせて、家の様々な箇所を掃除すること。例えば、月が獅子座にある日はリビング掃除を、というように。二つとも、月星座占星術家のKEIKOさんが提唱する開運メソッド=月星座ライフの一部です。)

どちらもエッセイスト・ライフスタイリストの小川奈緒さんのvoicyをきっかけに出会い、「楽しそう!」と気軽な気持ちで始め、やってみたら楽しい以上の様々な効果があったので、続けています。

月星座ライフのように、スピリチュアルなことにハマるのは、人生で初めてです。

TVの星占いやパワースポット巡りなど、スピリチュアルは多くの人の生活に自然に溶け込んでいる一方で、「宗教っぽい」と遠ざけたり、「ツボを買わないようにね」と揶揄する人も一定数います。
月星座ライフを通して初めてのスピリチュアル体験をしている私でも、「スピリチュアルならなんでも大歓迎!」という訳ではありません。

目に見えないあやふやなものであり、しかも人のパーソナルな部分に深く関わるからこそ、誰かと共有するのは簡単なことではないと感じます。
少なくとも今の私にとっては、語る相手も言葉も選ぶことです。

でも、簡単でないからこそ、初めてスピリチュアルに触れる私が、どういうスタンスで月星座占星術と付き合っているか、そしてどんな魅力と効果を感じているかを言語化することは、(少なくとも自分にとっては)意味があることだと思い、書きます。

念の為前置きをしますが、これから書くことは「私が」どう考えているかであって、みんなこう考えるべきと思っているわけでも、私と違う考えを否定する意図も、一切ありません。
もちろん書く以上は、読んでくださった方に新たな視点を提示したり、迷いや戸惑いのヒントになればいいな、くらいの願いを込めて書きます。

モヤモヤを言語化し、スタンスを明確に。

まず「私は月星座占星術を心から信じているか?」と自分に問うてみると、今はそこまで明言できません。

では逆に「信じていないのか?」と問われたら、信じるとまでは言えないけれど、月星座についてKEIKOさんが語ることは、きっと「真実」なんだろうなぁと直感的に感じている、という返答になります。

あくまで私の言葉の感覚でしかないのですが、「信じる」という言葉は、全身を投げ出し、自分を丸々明け渡してしまう感じがして、私にとって滅多なことで使える言葉ではないのです。「信じる」の対象が、家族であれ、学校であれ、科学であれ、です。

「信じる」という言葉を使わずに、スピリチュアルについて今一番しっくりくる表現はこうです。

私はスピリチュアルを生活に「取り入れている」。

「取り入れている」という言葉は、あくまで主体は自分にあり、自覚的な意志を持ってスピリチュアルな考えを採用している、という意図の表現です。

世の中には、科学的に解明されていること・親からの教え・地域的な慣習・自分の経験によるものなど、ありとあらゆる考え方があります。
月星座ライフはそれらの考え方の一つであり、人生を輝かせるための、現実的かつ楽しいメソッドの一つとして捉え、実践しています。

こうやって自分のスタンスを明確にできる言葉を選ぶことで、スピリチュアルに接する上でのぼんやりとした不安を晴らし、うやむやさを無くし、精神の健やかな軸を保つベースになっている気がします。

現実⇆ファンタジー

そんな自分軸を保ったまま月星座占星術に飛び込んだ今、ノンフィクションしか読んだことのなかった人が、初めて良質のファンタジーに触れたかのような、衝撃とワクワクを感じています。
しかも、月星座が描くファンタジーは、実際の私の現実を良い方向へ変える力があります。

自分の月星座を知ったら、新たな自分の取説を読んだかのようですし(しかもかなり当たっている!)、新月満月のパワーウィッシュリチュアルでは、自分の脳やちっぽけな経験からは、決して思い付かない角度から願いを叶える戦略を与えてくれて、行動を促してくれます。

ムーンクリアリングで、この日にこの箇所を掃除すると運気が上がると言われれば、苦手な掃除も頑張れます。その結果ラッキーなことが起きれば嬉しいし、何も起きなくても、一ヶ月続けると家は満遍なく整っていて、そんな自分に自信が持てます。

これだけ私に現実的な行動力を与えてくれるならば、その根本の思想がスピリチュアルであっても、自分にとって「良いものである」と言い切ることができます。

ちょうどよい距離感で

自分丸ごとスピリチュアルに預けてしまうのではなく、あくまで軸は自分に。現実という地にしっかり足をつけて、まっすぐ立てていること。
そんな自分が手を伸ばし、スピリチュアルであろうとなかろうと、良いと思う情報を取り入れ、実践する。

そんなスタンスでスピリチュアルに向き合っている今、

怖さではなく、楽しさを感じ、
依存ではなく、自立できるようになり、
思考ではなく、行動が促される。

そして、
将来を漠然と不安がるのではなく、
目指す未来に、はっきりと希望を感じられるようになります。

こんな思考と行動の前向きな変化の上に、あくまで「副産物(おまけ)」として、思ってもみなかったラッキーが起こったり、ゆくゆくは願いが叶ったりする。そんな風に、月星座占星術を捉えています。

今回、スピリチュアルをファンタジーに例えましたが、例えばフィクションであるドラマや映画から、リアルに生きている人の思考や行動が変わったりするのは、「十分あり得ること」と捉えられませんか?

目に見えないあやふやなもの、リアルでないものからも、そこに本質を見出せたり、真実と呼べる美しい世界観やストーリーがあるならば、人を良い方向に変える力があるの思うのです。

スピリチュアルを無理矢理遠ざけるでもなく、かといって一体化するほど近づかない。
言語化することで自分の思考を明確にし、ちょうどよい距離感を探る。
その上で、自分に良いことは思いっきり取り入れて、現実を変えていく。
私は、こんな風にスピリチュアルを楽しんでいます。


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