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幸運な奈々子 Episode 7- Age 43


#創作大賞2024 #漫画原作部門


幸運な奈々子 Episode7

奈々子はまだ、自分がどれほどラッキーな人間か気づいていない。

それは奈々子、43歳の時であった。

奈々子は血眼になって、
娘、瑠奈の、出産祝いにもらった祝儀袋を探していた。

確かにドレッサーの脇にある、
コンピューターデスクの周辺においたのだ。
親戚から預かったから、後で礼状を出すように、
と母からもらったはずの合計6万円。
確か、母方の叔父夫婦と、
父の従兄弟で、奈々子が新卒の時に職を紹介してくれた慶三おじさん、
その息子の克己から、
合計で6万円だったと思う。
その時すぐに礼状を書いて、預金してしまえばよかったのに、
まだ3ヶ月にしかならない瑠奈の世話に忙殺され、
2週間ほど忘れていた。

神様はその6万円を、
瑠奈出産の影の功労者に渡そう、とお決めになっていた。
だから奈々子がそのお金を見ることは、2度となかったのだ。

やっと昼寝してくれた瑠奈の寝顔は、天使さながらだが、
高齢出産の奈々子は体力の低下をひしひしと感じ、
疲れでイライラしそうなのをこらえている。
「あああ、探し物が見つからないと、イラつく!」
と、独り言を言うことで発散させている。
祝儀袋は諦めて、哺乳瓶の消毒を始めた。
瑠奈のお昼寝という限られた時間内に、
やるべきことは山ほどある。

それにしても、和彦を産んだ後も、
頑張って仕事を諦めずに勤めてきたのは、ラッキーだった。
育休も給付金も十分に取れそうだ。
和彦が小学校低学年の時は、どうにも辛くて、
嘱託社員に切り替えて、
週に3日しか出社しなかった時期もあった。
が、和彦の塾代や教育費にかかるお金を考えて、
正社員に戻してもらったのが2年前、和彦が小学校5年生の時だ。
会社側も、
まさか奈々子が再び産休や育休を申請するようになるとは
思っていなかっただろうが、
そんなことは間違っても口には出さない。
とはいえ、
今は部長代理となっている 北原勇気は、
申請書類を受け取りながら、
「おお、して、やられたり!」
と、言った後で、急いで
「冗談っすよ」と、否定していた。
大体なんで、
こんなヘラヘラ男が部長代理まで出世しているのか。
男女雇用均等法というのは、
男女が平等に扱われていないから存在するのだ、
とひしひしと感じた。
和彦出産の時に、産休申請を提出したパフィは、
昨年定年退職し、
今は子会社に移動になっていた。

この出産を不意打ちだと感じたのは、お互い様だ。
奈々子も、自分が42歳で身籠るとは考えていなかった。
中学生になる息子に、子供を産むことを告げるのは、
なかなか微妙で、
嬉しいのか恥ずかしいのかわからなかった。
もっとも、
恥ずかしいと感じる自分が恥ずかしいのだが。
あなたの両親はとっても仲良しなのよ、
とアピールしながら、嬉しそうに話してみた。
どこかの育児書に、
仲の良い両親の子供は良い子に育つ、
と書いてあった気がするからだ。
和彦は、「ほえ~い」という、
返事なのか何なのかわからない声を上げた後、
「弟?」
と、直接的な質問をした。
「いや、妹よ」
というと、
「おお」と、
感動したような声を出したが、
妹のが嬉しかったのかどうか、計りかねた。
とはいえ、毎日帰ってくると、
十分ぐらい瑠奈を眺めている和彦は、
お兄ちゃんになって、ちょっと成長したようにも感じられる。
ただし、義彦とおんなじで、
「おむつ変えた方がいいと思うよ。臭い」
などというだけで、
変えるのは手伝ってくれない。
でも、先日は、
取り込んだままになっていた洗濯物から、
自分のだけ取り出して、部屋に片付けていた。
口で言ってもやらないことを、自然にやるようになるとは、
必要は最良の教師、大きな一歩だ。

今日は和彦が帰ってくる5時半までに、
なんとか部屋を片して、少しでも綺麗にしたい。
明日の土曜日は大学時代の友人たちが、
瑠奈を見にきてくれることになっている。
と言っても、
エリート社員と結婚した真澄は、
夫のシンガポール転勤について行って、
向こうで子育てしているから来られない。
和彦より一つ年上の女の子がいる。

来るとしても、花子と千里だけだ。

花子は4人の中で、最初に結婚し、出産も早く、
上の男の子は今年から大学生だそうだ。
もう一人、高校生の男の子がいる。

千里のことを考えると、
奈々子はちょっと気分が落ち込んだ。
果たして、来てくれるだろうか。

千里とは、3人の中で一番よく会っていた。
外資の一流企業に勤め、
そこで知り合ったエリート社員と結婚し、
奈々子が憧れる港区狸穴町の実家に、
二世帯住宅で同居していた。
つまり夫は、喜んでマスオさんになってくれたのだ。
二人ともバリバリのキャリアで、
千里も、なんとかプレジデント、という役職だ。
8年前に結婚した時、
「結婚が遅くなっちゃったから、急いで子供が欲しいの。
職場での立場は安定しているし、通勤も楽だし、
下の階に住む母親が子供の面倒を見てくれるから、
あとはともかく、赤ちゃんだけ」
と言っていたのだが、
なかなかできないようだった。
頑張り屋で冷静な千里は、愚痴みたいなことは言わないが、
それでも時々、
妊活にかかる時間や費用で、大変だと説明してくれたことがある。
体外受精なども試したが、日本では着床率が悪いから、
アメリカに行きたいと漏らしたこともあった。
自分はなんの苦労もなく和彦に恵まれて、
本当にラッキーだったんだな、と、
普段は自分をラッキーだと思わない奈々子でさえ、
自らの幸運に気付かされた。

神様はそんな奈々子を見て、
少しは成長した、とほっとされた。

実は千里は、
奈々子が二人目不妊で苦しんでいるのだろうと勝手に考えて、
少し気を許して、そんな話をしていたのだ、
と後から気づいた。
それはちょうど1年ほど前だ。
二人でディナーに出た時、
お互いに、「あのね・・・」と同時に切り出した。
「奈々子から言いなよ」
「いや、千里からどうぞ」
という応酬の後、
千里が、
「実は、妊活やめたんだ。もう限界。もうたくさん。
これ以上お金も労力も注ぎ込みたくないし、
自分で自分をボロボロにしたくない」
と言った。
冷静に言おうとした思惑とは裏腹に、
顔が歪んで、涙が頬を伝った。
そして、
「二人目不妊を頑張ってる、奈々子にしかいえないよ」
と言いながら、涙を拭って微笑んで見せたのだ。
千里は必死だったのだと思う。
しかし、
奈々子は愕然とした。
自分が二人目不妊を頑張っている、
と、思われていたとは・・・。
和彦が小学生の時に、社員から嘱託に変えたりしたからだろうか。
それ以上に、
奈々子は困り果てた。
というのも、
奈々子の打ち明けごととは、
42歳にして妊娠したこと、
だったからだ。

しかし、不幸中の幸いだ。
言えば気まずくなるのは避けられないが、
千里の打ち明け話を聞く前なら、
いつもの調子で、
「ちょっと、聞いてよ。もう。
42歳で妊娠なんて、恥ずかしいっていうかなんていうか、
もうわけわかんない、私の人生」
などと、口走るところだったのだ。

少なくともそんな、ふざけたようなことを言うのは許されない、
と奈々子も気づいた。

それで、妊娠したことを、言葉少なに告げると、
千里は、両手で奈々子の右手を握りしめて
「おめでとう」
と言ってくれた。
なんて、いいやつなんだ。
でも、彼女がいいやつであればあるほど、
かつて彼女が言った言葉が痛いように思い出される。
「妊活ってさ、妊娠できた人と妊娠できなかった人を、
はっきり分けるんだよね。
ああ、また着床しなかった、っていう時のあの感じ。
持てる者と持たざる者を、明確に分断するんだよね」
何年か前に千里がそう言った時、
奈々子は、
「持てる者」はあなたでしょう。
エリート会社員の子供で帰国子女で、
超有名会社のキャリア組みで、
港区に実家がある。
羨ましい、と密かにため息をついたのだ。
が、こうなってみると、
「え?うそ、私ってラッキーなの?」
と、自問自答せざるを得なかった。

それ以来会ってない千里。
果たして明日来てくれるだろうか。
などと思いを馳せたのは束の間。
瑠奈を寝かしつけ、
和彦をベッドに追いやり、
とりあえずテーブルの上に
チンすれば食べられる義彦用の夕飯を並べたあとは、
ベッドに倒れ込んでいた。
今日もフル回転の1日であった。
明日のことは明日考えよう。

翌日の昼、まずは大学生の息子が運転する車で、
花子がやってきた。
ちょっと自慢げである。
あと5年もすれば、和彦が運転するようになるのだろうか、
と、走り去る車を見送りながら、奈々子は考えた。
「ご主人は一緒じゃないんですか」
と、義彦はちょっとがっかりしている。
実は、花子の夫、志郎とは、
釣りの話で盛り上がるのだ。
奈々子は釣りのことはわからない。
お金のかからない趣味として、
義彦が夢中になるのを容認していた。
ゴルフみたいに高額な趣味は、うちでは無理だからねえ、
と思っていたのだ。
だが、知らないだけで、
実は釣りは、かけようと思えば
いくらでもお金のかけられるスポーツなのであった。

今回、瑠奈の出産一時金を得て、
少し気が大きくなっていた義彦は、
仲間から、
中古の「がまかつエクセルシオ」と言う釣り竿を、
譲り受けていた。
流石に新品だと、出産一時金を全部出しても足りないほど高い。
実際の出産費用を払った残りに、
目についた祝儀袋の中の6万円を足して支払った。
かつて、和彦が保育園に通っていた頃、
お金を貯めて新品を買おうとしたが、
おねしょが治らない和彦のために、全自動洗濯機を買って、
がまかつは諦めた。
今こそ、瑠奈の出産という神々しい記念日に、
自分へのご褒美として、
ただし、釣り仲間以外には誰にも内緒で、
ゲットしたのである。

実は、
志郎はその噂を、釣り仲間から聞いていたので、
自分がノコノコ行けば、
釣り竿を見せられて、その金額の話になり、
奈々子たち夫婦の間に、不穏な空気が流れることになるだろう
と察知した。
それで来なかったのである。
賢明な男だ。

おかげで、
忙しくてお金の管理にまで頭が回らない奈々子は、
この義彦の買い物について、
一生知ることがなかった。
奈々子にとって無価値の釣り竿が、
ガレージに一本増えただけである。

神様は、瑠奈の誕生というめでたさに免じて、
影の功労者である義彦に、
高額な釣り竿をお許しになったのである。

花子から少々遅れて、千里が来た。
ケーキと花を持ってきてくれたが、
その後ろに、
千里のお母様がついて来た。
「本当に、お邪魔してしまってごめんなさいね」
と、上品にお話になる様は、
一世代前の、お金持ちのお家の良妻賢母、
というオーラを、華々しく放っている。
みんなが瑠奈を抱っこして、可愛いを連発した後、
「お祝いとは別に、もらっていただけないかしら」
と、千里のお母様が、大きな荷物を解き出したのである。
「奈々子、義彦さん、ごめんね。
お母さんには、やめてちょうだいって言ったんだけど」
と、千里が困惑顔で奈々子を見る。
「失礼かとは思ったんですけど、
でも、とても吟味された、良いものばかりだから」
と、次々に紙袋から取り出した。
ベイビーディオールのドレスにバレーシューズ、
オーガニック素材のおくるみにキャップ、
フェンディのロンパースに
ラルフ・ローレンのセーターとポロドレス、
奈々子の知らないブランドのお食い初め食器セット、
靴下にビブにべビー・キャリア、
ティファニーのぬいぐるみ・・・。
「どうぞ、一度でいいから使ってちょうだい。
あとはどう処分なさってもいいのよ」と、
千里の母は空になった紙袋を丁寧に畳んでいる。
「こんなに?いいんですか?」
奈々子と義彦は顔を見合わせる。
「私もバカだから。つい可愛くて、
こんなにたくさん買っちゃって。
この子にプレッシャーかけちゃって」
と、千智の背中をさすり、
「持ってたってしょうがないの。
瑠奈ちゃんのお役に立ったら嬉しいわ」
と、言った。
奈々子は、
もちろん大事に使わせていただきます、
そしてメルカリで売らせていただきます、と心に誓った。

ギフトを広げたあと、千里の母は、
「また瑠奈ちゃんに会わせてね。
家にも遊びに来てね。まだいろいろあるから」
と言いながら、先に帰って行った。

奈々子は千里と目を合わせ、
思わず同時に吹き出していた。
なんだかちょっとおかしくて、ちょっと悲しかった。
ともかく、千里が来てくれたことが嬉しかった。

もちろん、現実的な意味では、
大量の高級ギフトも嬉しかった。
しかし、こんなものを揃えられていたとは、
千里の通ってきた「持てる者」のプレッシャーは、
いかばかりだったろうか。

ということで、
瑠奈の人生の出発を豊かにしてくれたのは、
千里夫婦が妊活を諦めたおかげであった。
が、誰も、そんなことは口にしない。

その後、数回使った豪華ギフトを、
義彦がせっせと、メルカリで売るのを手伝ったのは、
いうまでもない。
がまかつエクセルシオのために着服した金額を、
十分取り戻せたのだから。


今日も奈々子は特に痛みもなく、五体満足で生きている。だが、自分がどれだけの幸運に恵まれて生きてきたのか、気づいていない。


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