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幸運な奈々子 Episode 3 - Age 33

https://note.com/lindsay_journal/n/n7ee3ff90dd6b


奈々子はまだ、自分がどれほどラッキーな人間か、気づいていない。



それは、奈々子33歳の時であった。

3歳半になる息子の和彦を、ママチャリのチャイルドシートに乗せ、
暗闇坂を疾走していた。
これほどの体力と運動能力が、自分の一生の中で必要になるとは、
いったい想像することがあっただろうか。

高校の体育やクラブ活動のバスケットだって、全く比にならない。
自転車というバランスをとる乗り物に、
子供をのせ、
チャイルドシートの後ろに和彦のお昼寝用お布団をくくりつけ、
シーツと枕カバーは和彦に抱っこさせ、
前バスケットに保育園バッグ、
そして奈々子自身の、会社用ビジネスバッグとお弁当バッグも入れて運ぶ。
ビジネスバッグには資料の分厚い書類も入っている。
走っていなければ自転車の前輪は、
ヘッドの重さでくるりと横を向いてしまうほどだ。
しかも、この辺は坂が多い。
電動とはいえ、登りは坂の上まで行けずに、
降りて押すこともしばしばだ。
そして、登れないほどの急坂を降りる時には、
ブレーキ命、だ。
万一、道に凸凹があったりしたら、そこに引っかかって、
パーンと倒れそうだ。
しかし、やらねばならぬ。
大事な子供を乗せているのだ。
何があってもやらねばならぬ。

という、意識下のプレッシャーを原動力にして、
奈々子は、9時半のスーパーバイザーミーティングに間に合うため、
なんとか8時15分までに和彦を登園させようと、
必死の形相であった。

が、今の奈々子は、
ジャージーとスニーカーで運動能力を全開にすることができた、
高校生バスケットプレーヤーではないのだ。
それなのに、
とんでもなく体力を消耗する登園の後には、
何事もなかったような顔をして、
ふんわりとカールがかかる髪型で、
全身ストレッチ素材のビジネススーツの襟を正し、
全力疾走できる5センチヒールのパンプスで、
颯爽と、出勤しなければならない。
今は春先だから、
手が凍えてブレーキをうまく握れないこともなく、
自転車を降りた後に、暑さで汗が噴き出すということもない。
なんとありがたい季節か、とは、奈々子は思わない。
季節を感じている暇がないのだ。

学生のころは、何にも考えてなかった、
と、時々考えることがある。
いや、あの頃もいろいろ考えていたけれど、
こんな生活を想像できていなかった。
今より体力もあったのに、何にも使ってなかった。
あの頃に子育てしておけば、もっと体力的に楽だったかも、
などという考えがちらりと頭の中を掠めることもある。

坂を下り切って右折した奈々子は、
保育園のゲートの柵の先に、
一つだけ空いている自転車停車スポットを見つけて、突進した。

つもりだったが、
さっと左手から入ってきた、健介ママに取られた。
ああ、なんて運が悪い。
ちっと舌打ちをしたが、
同じ保育園ママに聞かれるとまずい。
急いでにこやかな表情を作ると、深呼吸して、次に空く場所を待つ。
すぐに香ちゃんママが出てきて、
会釈しながら自転車を引き出してくれた。
奈々子も軽く会釈しながら、そこに停めて、さっそく、お昼寝用お布団をはずす。和彦を自転車から下ろして、その首に保育園バッグをかけ、
和彦が抱っこしてきたシーツと枕カバーを受け取る。
布団とバッグの大荷物を持って、元気に、園のお教室に入っていく、
和彦のあとからついていく。
ビジネスバッグを自転車のカゴに置いていきたいが、
重すぎて自転車が倒れるので、これも持っていかなければならない。
ため息が出る。

担任の森谷先生が、
「おはようございます。
お布団はお布団山にちゃんと乗せってってくださいね。
シーツをつけるの忘れないで」
と、明るく優しい声音で、しっかり指示してくる。

他の年少組のお母さんたちが、
子供を置いたらさっさと退園していくのを横目に、
奈々子は靴を脱いで「みんなのお部屋」に上がり、
お布団の山が入っている押入れを開けた。
「よしかわかずひこ」と、大きく書かれたシーツを、
持ってきたお布団にはめてから、布団の山に乗せ、
山全体を押し込めるようにして、押し入れを閉めた。
つい、足を使いたいところだが、
どこに目があるかわからない。
「和ちゃんのお母さん、足で布団を蹴ってた」
などと言われては、たまったものではない。
体をかがめ、両手を使って、これらの作業を終えた。

ああ、和彦よ、
なぜ毎日のようにお昼寝時間におねしょをするのだ。
ママも、
他のママみたいに、さっさとここを出たい。
ああ、私ってなんてアンラッキー。

和彦が保育園に通うようになって、
まだ一年弱だ。
2歳半になるまで、保育園に空きがなかったのだ。
リモートで仕事をしながら、
ほとんど毎日を和彦と二人きりで過ごしていた、
あの世間から隔離されたような孤独の日々。
夫の義彦が帰宅する頃には、息子と二人、爆睡中で、
翌朝まで夫の顔を見ないような毎日だった。
そして、夫以外、
生活の中で知り合う大人は、ほぼ、いなかった。
言葉の話せない子どもとの日々。
が、時間をかけて面倒を見ることができていたせいか、
入所前に和彦は、きちんとお手洗い躾ができあがっていた。
通園に大型オムツを用意する必要もなかった。

それなのに、数ヶ月前から、
しばしばお昼寝中におねしょをするようになり、
最近ではほぼ毎日という頻度だった。

奈々子は、お着替えの下着とパジャマ、
そしてお昼寝用布団と、シーツと枕カバーを、
毎日のように、洗わなければならなくなった。

他の3歳児以上の保護者は、
月曜の朝に持ってきて、金曜に持ち帰れば良い布団セットだが、
奈々子だけは、毎日運ばなければならなかった。
しかも、帰りは濡れてて、臭くて重くなっている。

それまでほとんど家にいて、ただでも鈍っていた体は、
大荷物の自転車通勤に悲鳴をあげそうだった。
が、会社に行って、
他の大人たちと話ができるという一種の希望が、
奈々子の原動力の一つでもあった。
もちろん、会いたくない大人も会社にはいたが、
言葉の通じない子供と二人きりの孤独からは抜け出して、
社会に戻してくれるのが、保育園だった。
保育園様様、なのだ。

なのに、
保育園と自宅の間に、
大型洗濯乾燥機を備えたコインランドリーが無かったため、
大回りして帰らなければならなかった。
そこで1時間半待つのも辛いので、
一旦、家に帰って、
和彦に夕飯を食べさせ、
また和彦を後ろに乗せて、ランドリーを取りに来た。
短時間でも、幼児を家で一人にはできないと感じていたし、
気軽に見てくれる人も近所にいなかった。
洗濯物を回収している間、
涙が込み上げてきて、奈々子は自己憐憫の情に駆られた。

忙しい夕刻に、お布団セット洗いは、
罰ゲームでしかなかった。

夫の義彦も、指を咥えてみていたわけではない。
週に2日は、
和彦を保育園に登園させる約束になっていたのだから。
自転車で和彦とお布団セットを運ぶのは、大変な事だと実感した。
その上、
布団をシーツに入れることができず、自暴自棄になりかけたこともある。
みかねた園長先生が手伝ってくれた。
その後は、自分から積極的にお願いするようにしたのだが、
4回目には目があっても避けられてしまった。

そんな経緯もあり、
急いで大型の全自動洗濯乾燥機を、冬のボーナスで買った。

だが、神様は、この若い夫婦に、
さらなる試練、というさだめを仕込まれた。

洗濯機が設置された後で、義彦はついうっかり、
「君のためのクリスマスプレゼントだ」
と、奈々子に言って、地雷を踏んでしまった。
単純に、仕事が楽になるよ、という意味で奈々子と喜びたかっただけなのだ。
36回ローンで安くなかったし。
だが、地雷を踏んだ義彦に、奈々子の怒りは収まることがなかった。
「それって、どういう意味?
基本的に子育ても家事洗濯も、私の仕事だと思ってるってこと?
だから私へのプレゼントなの?
それとも、
和彦がおねしょをするのは私のせいだとでも言うの?
あの子はちゃんと2歳半までに、おトイレ躾ができてたんです!
それなのに、それなのに!」
顔を真っ赤にして、目のふちに涙を光らせながら、
奈々子の叫びは延々と続いた。

「わかった、そういう意味じゃなくて。ハウスギフトだ、ハウスギフト、な?」
頃合いを見て、義彦は、なんとか奈々子を宥めた。
「濡れたおねしょ布団を持ち帰ったこともないくせに、偉そうに言わないでよ」奈々子は痛いところをついてくる。
義彦はまだ一度も、お迎えに行ったことがなかった。

とはいえ、
もし全自動洗濯乾燥機を買わなければ、
義彦は、
鮎釣り竿の「がまかつエクセルシオ」を買ってしまうつもりでいたから、
洗濯機をゲットした奈々子は、どれほどラッキーだったことか。
しかも、がまかつエクセルシオなどという、訳のわからない名前のついた釣竿が、実は全自動洗濯機を二台買えるほどの高額だ、
ということを、知らないで済んだ奈々子。
万が一にも、
がまかつエクセルシオが家庭内に持ち込まれた時は、
血を見ないでは収まらなかったはずである。
感謝を感じないで、自己憐憫に浸っている奈々子は、恩知らずである。

この騒動で、やはり目は和彦に向けられた。
園からは「ちゃんと食べました」や、
「今日は折り紙の端を合わせて折ることができました」
などという連絡帳の言葉と並んで、「今日もおねしょしてしまいました」
という客観的なご連絡しかなく、
それをどうにかしろというプレッシャーは、与えられなかった。
先生たちはプロである。

だが、奈々子は小児科医に和彦を連れて行った。
「うーん、環境が変わったから、色々とプレッシャーがあるだけだね。
あんまり騒ぎ立てない方がいいでしょ」
と、かかりつけの林田先生は、のんびり言う。
そして、和彦に向かい
「そうかあ、保育園で頑張っているのか。偉いねえ、和彦君。楽しいかな?」
と、話しかける。
和彦は嬉しそうだ。
それを見ている奈々子は複雑だ。
息子が褒められたのを、喜ぶべきなのか。
問題なしと言われたのを安堵すべきなのか。

でも、親は騒ぎ立てるな、という林田先生が、
おねしょの洗濯を手伝ってくれることは、決してないのだ。

林田先生は、和彦の頭と髪の毛を触って見回し、
目の粘膜と喉のアーンをさせたあと、
「はい、健康だ健康」
と言って、診察を終えた。

和彦のお昼寝おねしょは、4歳半になるまで続いた。
その間ずっと、
奈々子は、週末以外毎日のように、お布団セットを洗い続け、運び続けた。
最初は、毎日お布団にシーツをセットするところを、
他の父兄に見られるのが恥ずかしかったが、
そのうち慣れると、多少は周囲に目が行くようになった。

ある日、健介ママが、
職員室から、頭を下げながら出てくるのに遭遇した。
登園する時間が近いのか、
健介ママとはいろいろなところでバッティングするが、
会釈をする関係以上には親しくなっていない。

「お兄ちゃんたちの小学校のことも、教えてくださいね」という、
森谷先生の声が、
職員室を出ていく健介ママの背中を追いかけ、
小走りの健介ママは、
「はーい」と答えながら、
靴を履いて、逃げるように行ってしまった。

健介君のお兄ちゃん二人、小学校1年生と3年生が、
学校でアタマジラミを移されて、家庭内で健介に移し、
それが保育園に広まったため、
年少組の男の子は、
和彦以外全員、アタマジラミにかかってしまったということを、
奈々子は知らない。
寝相が悪い上に、おねしょの多い和彦は、他の子から離されて布団が敷かれ、
且つ、おねしょのせいで毎日布団が洗濯されていたので、
シラミにかからなかった。
なんという幸運。

しかし、
奈々子が和彦のおねしょに感謝することはなかった。

今日も奈々子は特に痛みもなく、五体満足で生きている。だが、自分がどれだけの幸運に恵まれて生きてきたのか、気づいていない。

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