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「教育心理学特論」を学んで

10月から放送大学の修士選科生として履修していた「教育心理学特論」。
個人的にこの講義が壮大なドラマのように面白かったので、自分にとって学んだポイントをここでまとめておく。

「学ぶ」ことと「分かる」こと

人は生きている間にいろいろなことを経験する。その経験が「学び」となるが、経験は千差万別なので、人が得る学びも理解も千差万別になる。また、あることを学んで理解すると、今まで見えていたものが違って見えてくる。そこでさらに新たに知りたいこと、学びたいことが現れる、という繰り返しとなる。

よくある「やる気」を引き出すアプローチは、このあたりにヒントがありそう。つまり、よく言われるように、やる気は待っていても起きることはなく、まずはやり始め、ある程度分かってくるとさらに学びたくなる、というサイクルが始まるということになる。

そう考えると、実は大事なのは「分からない状態」が「分かる状態」になることではなく、「分かる状態」が「分からない状態」になることと言える。こうして理解はどんどん深くなり、学びが終わることはない。

メタ認知の重要性

自分がどのようにそのことを理解したのかを見直す過程が「メタ認知」。
知識そのものが簡単に調べられるようになった時代には、知識を覚えることよりも、得られる知識の組み合わせで何かを生み出したり新たな理解を得たりすることが重要で、そのためには「どうやってその理解に至ったのか」を知ること、ものごとの理解の仕方を確認しておくことが実は重要。この客観的なメタ認知が本当の学習能力につながる。
そして、これはなかなか一人ではできない。自分の考えを客観的に意識するには複数人で作業したり、きちんと言語化するのが効果的。

先日書いた子どもの学校での「ポートフォリオ検討会」は、まさにこのメタ認知養成に効果的だと思う。

教育=学習環境デザイン

人の学びの過程(認知過程)は千差万別で、誰もが「その人なり」の学びをしている。そうであるなら、適切な状況や環境をデザインすれば、誰もが学び成長できることになるはず。この学習環境のデザインこそが教育
つまり、今や教育は「何をどう伝えるか」ではなく、学習者の学びの力を引き出すためにどのような場を用意してあげればよいかを考えるものになっていると。人は、適切な状況や環境に置かれれば、意図的に教えられなくても必要に応じて学んでいくのだと。

これがこの特論で最も感動したところ。

問いの立て方

では、よい学習環境とはどんなものか。

  1. 共通して答えを出したい問がある

  2. その問への答えを、正解・不正解ではなく、一人ひとりが少しずつ違う形で持っている

  3. 一人ひとりのアイデアを交換する場がある

  4. 皆で意見を交換しあって一緒に考える雰囲気がある

  5. 皆の意見や発表により、さらに手ごたえのある答えに到達できて、自分なりに納得できる答えが得られる

このあたりが、巷で言われるところの「探究学習」の肝だろう。探究学習だからといって、フリーなテーマで自由に調べればいいというものではない。何を学ばせたいのか、それを一人ひとりが深めた形で理解できるようにするにはどうデザインしたらいいのかといった観点から、テーマ(問)は綿密に考えられる必要がある。
そして「何を学ばせたいのか」を考える過程で評価軸であるルーブリックができあがることもわかった。

対話の重要性

アイデア交換の場が必要と書かれていることからわかるように、一人ひとりの学びを深めるためには人との対話が重要。
例えば、自分の考えは自分の経験に裏付けられていることから、そのまま他人に理解してもらえるとは限らない。他人に理解してもらおうと、または他人とどこが異なるのか、自分がなぜそう考えるのかを振り返ることで、自分の考えをさらに深くすることができる。このことからも複数人での協調学習は効果的だということだ。

「人との対話を通して自分の考えを見直すことになる」というあたりが、質問に答えることで、視点を変えて自分の考えを見ることができるようになるコーチングにも通じるところがある。ここが、自分が心理学としてもうちょっと深堀したいと感じたところだった。

おわりに

この講義は、自分が浅い知識しか持っていない認知心理学・認知科学について、質の高い豊かな講義で学ばせてもらったと感じた。毎回の講義を聞き、テキストを読むと、「こういうことを私は知りたかったんだ!」とその都度思わされた。そして飽きない。
自分が昔から思っていた「人はその人なりの成長というものがあるのでは?」「人がそれぞれのやり方で学ぶことのできる授業の作り方は?」「探究するとはどういうことか」といった疑問に応えてくれる学問があったことを知ることができて、本当に楽しかった。